尊厳死の意味
プロットというのは、書き方は自由なのだが、その内容がしっかりと分かるものでなければいけない。何しろそれが会議に出されるのだからである。
書きたいこともなかなか書けないのに、そんな向こう主導での作品を書き続けられるかどうか自信はない。相当なストレスに悩まされることは分かっている。趣味を職業にしてしまうということはそういうことなのだと、おじさんは悟ったという。
それを感じるようになって、目からうろこが落ちたのだという。
プロになろうと思わなければ、そんなに必死になって、借金してまで本を出したいとは思わない。あくまでも趣味の世界。いずれお金を貯めて出版にこぎつければいいとは思うが、実際にお金がたまって、いざ出版と思った時、本当に出版の意欲があるのかどうかも分からない。
とにかく、本を出したいと思ってお金をがむしゃらに貯めても、最終的に目的への意識がブレてしまうと、きっと本を出したいとは思わないだろう。そう想うと、作品を書き続ける意欲と、本を出したいと思う物欲とでは、これから進む先が別れてくるような気がしたのだ。
そう思っていると、そのうちに、自分が以前にコンクールに応募し、その時もその出版社に投稿用の作品を書いているところ、いきなり原稿応募の締め切りがホームページで掲載された。
そこは、自費出版系の「出版者では、ベストスリーに入るくらいのところで、いろいろなところでの募集広告も派手だったにも関わらず、そんな宣伝広告もなくなってきた。
ネットニュースを見ていると、どうやら、訴訟問題がもちあがっているということだった。
「自費出版系出版社である〇〇社、数人の素人作家に訴えられる」
と書かれていたのだ。
争点になるのは、
「うちで本を出せば、有名書店に、一定期間置かれる」
という話であったのに、実際には、一度たりとも本屋に並んだことがないということだったからだ。
怪しいと思ったその人は、全国の知り合いに頼んで調べてもらった挙句、一度も自分の本を見たことがある人が一人もいなかったということだった。
冷静になって考えれば、前述のように、本というのは、プロ作家を含めて一日に何冊も出版されているのである、本屋の限られたスペースに置かれるのは、プロ作家だけで十分だろう。しかも、次の日も、また次の日も同じ状況が続くのだ。プロ作家の小説であっても、売れなければ返品となる世界である。誰が無名の作家の本をたとえ一冊でも、本屋に並べるスペースがあるというのか。
それに考えてもみよう、日本で有数の有名作家の本であっても、一つの出版社から何十冊と出しているとしても、売れていた時代が、かなり前であれば、かつてベストセラー作家だったというだけで数冊の本しか置かれていないだろう。本当に売れそうな本しか、本屋では置いてはくれない。それが実情だった。
実は本屋もその頃はまだ街にいくつかはあった。大都市にいけば、最盛期には商業ビルの中に一つは本屋があり、大小合わせて、十軒近い店があっても不思議のない時代があったにも関わらず、どんどん衰退していった。
それは、芸術を媒体にした商売の店に共通したことであり、ここ十年くらいの間に急速に衰退していった。
それは、ネットにての販売が主流になり、本であれば電子書籍、音楽CDであれば、音楽配信と言った、媒体を必要としない購買方法が主流になってきたからである。
つまりは、いちいち店に行かなくても、本が読める、音楽がダウンロードできるのだから、媒体としての、本やCDなどを出版しなくなってしまった。
そうなると、街の本屋。CDショップはなくなってくる。街並みがどんどん変わってくるというのは、前述の通りである。
だから、もしその当時存在していた自費出版系の出版社が、訴訟を受けたり、人気が下降してきたりしなくても、いずれは衰退する運命であったのだが、それが自ら滅んでいったとはいえ、実際には自分たちの会社を使って本を出した人を巻き込みながら潰れていったのであるから、社会的な責任は大きいだろう。
潰れる時もおとなしく潰れればいいものを、本当に清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで本を出した人たちの作品を、まるで紙くず同然にしてしまったことは大きな罪であろう。
「でもね、本当は最後まで気付かなかった方も愚かだと言えるのかも知れないと、私は思うんだよ」
とおじさんは言っていた。
その内容としては、
「私にでも冷静になって考えれば分かる自転車操業ですよね。やつらが一番本を出したいという人の心を掴んだというのは、それまでは、ほとんど持ち込みだったことで、まったく読まれることもなく、すぐにゴミ箱にいっていたような原稿でも、読んでくれて、しかも。批評までして返してくれるんですよね。これには二つの意味があって、一つは、読んでくれるということだけでも、それまでまったく何もしてくれなかった大きな硬い山が動いたということと、批評をしてくれることで、自分が今どれほどの位置にいるのかを理解できるという意味ですよね。でも、これって、騙す方からすれば、実に楽なことなんですよ。人を雇って人海戦術でいけばいいわけなので、読んで批評することで読者が動きを悟ってくれる。さらに少々おだて冴えしていけば、簡単に信じてもらえるという考えですね。つまりは今まではあまりにも暗黒だった部分を少しでも開けてくれただけで、皆がここまで信じるということに繋がるということなんですよ。ただ、ここまでに関しては、気付かなくても仕方はないと思うんですよね。実際に私だって、正直騙されていたわけだからですね」
とおじさんは言ってさらに続けた。