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尊厳死の意味

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 そんな情けない父親に対して、高校時代までの自分はムキになっていた。
――どうして、そんなに常識という言葉を口にするんだ――
 という気持ちが大きく、常識という言葉に信憑性も説得力の何も感じなくなってしまった。
 感じるということは、意識をそちらに向けるということだ。しかし、それを口にしているのが父親だと思うと、父親がどんな言葉を吐こうとも、もう、何も感じなくなってしまっていたのだ。
 感じるとすれば、鬱陶しいという感情だけで、共感などあったものではない。
 そんな思いを父親に感じている自分が何か嫌だった。意味は違うかも知れないが、
「ミイラ取りがミイラになった」
 というような、やるせなさというような脱力感を感じるような、そんな気分にさせられたのだ。
 父親が自分の中で子供の頃は大きい存在という以上のものは感じなかったが、今の中途半端に大人でもない、子供でもない自分が見ていると、父親の大きさを感じなくなると、それまで感じていたはずなのに、意識することのなかったものが、一気に噴出してきたかのように思えてきた。
 高校時代が今から思い出しても、実に暗い時代で、その全貌を覚えていないくせに、中学時代がはるかに昔だったように感じるのはなぜなのだろうか? それを考えると、高校時代がいかに不思議な時代で、大切な時代だったのか、考えさせられるというものだった。
 にど ほど、父親の威厳というか、理解できないことで、父親を見限ったことがあった。まず最初は、中学一年生の時に、友達から、
「スキーに行こう」
 と誘われた時だった。
「一応家族に相談して」
 ということで、家に帰って話をしてみた。
 友達の家庭は裕福な過程であるが、アウトドアにはオープンなところで、いつも冬になると家族でスキーに出かけているというのだ。息子も中学生になったことだし。友達も思春期で身体が大きくなりかかっていて、柔軟な身体をしているということで、さすがに小学生を誘うのは気が引けるということで、中学生なら大丈夫だと思ったのだろう。誠也を誘ってくれたのだ。
 誠也も友達の家族を見ていると羨ましくて、ついつい一緒にスキーをしているのを想像して楽しい気分になったのだが、父親に話すと、
「何がスキーだ。危ないじゃないか」
 と頭ごなしであった。
 友達の家族と一緒だと言っても、承知しない。友達のお父さんに少し口をきいてもらったが、それでも態度を変えない父親に、友達の親もそれ以上何もいうことはできなかった。
 その時誠也が感じたのは。
「何をそんなにムキになっているんだ? 子供の俺が恥ずかしい」
 という思いであった。
 それを感じると、今度はそんな惨めな父親の息子だと思われたことが嫌だった。スキーにいけないということよりも、父親の態度が、息子の子供の世界を窮屈にしていることが分かっていないと思えて腹立たしかったのだ。
 そこまで考えてくると、父親を偏見の目で見てくると、分かってきたことがあった。
「相手が金持ちの家なので、自分たち貧乏人の僻みなんだ」
 と思うようになった。
 その頃はまだハッキリとは分からなかったが、大人になって考えると、本当に情けないものである。
 妬みさえしなければ。うまくいくものをと思うと、
「父親がこんなに小さな男だったなんて」
 と、自分がもっと成長してくると分かってくるのだったが。なぜその時に分からなかったのかを思うと、それも腹正しかった。
「父親なんて、しょせんそんなものだ」
 と思わせたのは、その時が最初で、今度は中学二年生の正月の時に、また同じようなことがあったのだ。
 その時は、正月で、友達数人で、いつもリーダー格の友達の家に集まって遊んでいた。
 さすが、リーダー―核だけあって、家族もオープンだった。中学一年の時にスキーに誘ってくれたお父さんとは少し雰囲気は違っていたのは、お父さんがいつも出張で家にいることが少ないという話を訊いていたからだろう。
 友達の家族は、子供の友達にサービス精神が旺盛だった。
「息子のため」
 という思いが強いのは無理もないことだが、まるで子供がたくさんできたような気がすると言っていたくらいに、本当に楽しそうだった。
 夕食の後はお父さんも参加して、一緒にトランプをしたものだったが、普段はお父さんのいない寂しい食卓が急に賑やかになるのは、お父さんも相当嬉しかったのだろう。
 時間がだいぶ過ぎてしまって、帰るのも大変だということで、皆泊ってもいいということになった。
「ご家族に許しを得れば、部屋も布団もあるから、泊っても大丈夫よ」
 と言ってくれた。
 皆家に電話を入れて、
「うん、分かった。迷惑にならないようにする」
 と言って、次々に泊りが決定していく。
 しかし、誠也だけはそうはいかなかった。電話を掛けると母親が出て、
「早く帰ってきなさい」
 というではないか、そして、その後すかさず、
「早く帰ってこないと、お父さんが怒るわよ」
 というではないか。
「何を怒られるっていうんだい?」
 と聞くと。
「こんな時間まで人様のお宅にお邪魔して非常識じゃないの」
 と言われた。
 その時、初めて。常識という言葉が、罪のない凶器であることを知ったのだった。
「とにかく早く帰ってきなさい」
 ということで、向こうの親に替わってもらい、話をしてもらったが、事態が変わるわけもないことは分かっていた。
 そして、結局最終的には誠也だけが家に帰ることになり、他の皆はそのまま泊ることになった。
 帰り道、自分がどれだけ惨めな思いをしたのか、
――これは初めてではない感情だ――
 と、以前にも似たような感情を抱いたことがあるのを思い出した。
 そうだ、あれは小学生の頃、よくモノを忘れることが多く、学校に筆箱を忘れてきた時のことだった、
「学校まで取りに帰りなさい」
 と母親に言われて、取りに帰らされたことがあった。
 それは一度ではなく、数回似たようなことがあった気がする。あの頃の誠也はなぜか、物忘れがひどく、意識はしているのに、絶えず何かを忘れてくることが多かった。
 本当は取りに帰らされたのは、見せしめという意味よりも、
「忘れてくればどうなるか?」
 ということを、身に染みて覚えさせることを目的にしていたのではないかと思うのだった。
 しかし、子供にはそこまでは分からない。ただ、子供が憎くてやっているとしか思えない。
「筆箱を忘れたくらいで」
 という思いを抱く余裕もなく、ただただ、自分が惨めなだけで、どうして帰ってきた道のりをまたしても戻らなければいけないのかという思いに惨めさがあり、屈辱に歯を食いしばる気持ちがいっぱいで、親に対しての憎しみだけで、学校まで帰っていた。どのように歩いたのかというのも、あまり記憶にないくらいで、下手をすれば、赤信号でも気にせずに渡っていたかも知れないと思うほど、まわりから見れば、放心状態だったのかも知れない。
「ちくしょう」
 という気持ちだけが心の中で叫んでいる。
作品名:尊厳死の意味 作家名:森本晃次