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尊厳死の意味

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。今回もかなりの偏見を持った発言をしていますが、フィクションです。またしても世相でフィクションではないと思われるような話になりますが、あくまでも私見であることをご了承ください。(ただ、なかには事実が含まれていて、作者が経験した屈辱的な事実を、登場人物に語らせるという形のノンフィクションも存在します。ここは怒りに任せて書いていますが、作品を書いた時点ですので、令和三年三月末日時点となります)

            常識ってなんぞや?

 今年、十五歳になる山際誠也は、やっと中学を卒業し、高校生になった。普通であれば、
「もう、義務教育も終わったのだから、十分、大人の仲間入りだ」
 と言われてもいいくらいなのだろうが、
「高校生というのは、まだ中途半端で、進学か就職かによっても変わってくる」
 と思っていた。
 誠也にとって青春というのが、自分ではまだ始まってもいないと思っていた。それは、大人の、特に父親の影響が強かったからではないだろうか。
 誠也の父親は、とかく常識という言葉にうるさく、相手が子供であろうが関係ない。しかも、それが自分の子供に限らないところが厄介で、公園などでやかましい子供を放っておいて、親同士で話をしている様子を見ていると、隣にいても、怒りに身体を震わせているのを感じ、いつその矛先がこっちに飛んでくるか分からない状態に、いつもビクビクしていた。
 そのせいで、そんな気持ちに自分をさせたおばさんたちにも、誠也は憤りを感じ、自分の怒りが父親に向いているのか、おばさんたちに向いているのか分からないくらいだった。しかし、怒りを父に向けてしまうと、間違いなく矛先が飛んでくるのが分かっていたので、ウソでもいいから怒りはおばさんたちに向けなければいけなかった。
 まわりから見ていて、
「何て面倒臭い親子なんだろう」
 と思われたことだろう。
 しかも、誠也にはまったくそんな意識がないのに、父親の怒りが向いたことでのおばさんへの矛先なので、ある意味しょうがないのだろうが、そんなことはまわりの人に分かるわけはなかった。
 常識という言葉、子供の頃から父親はいつも使っていた。
「常識ある大人。常識ある社会人」
 という言葉を、まだ小学生の頃の誠也に対してまで口にしていたのだ。
 まだ大人どころか、子供としても成長過程にある小学生に、そんなことを言ったって、ピンとくるはずもない。それを父親は分かっていないのだ。
 そんな言葉を裏打ちするかのような出来事が中学時代には結構あった。
 中学生になると、結構友達も増えて、よく友達の家に遊びに行くことも多かった。特に試験前などともなると、
「友達の家で勉強してくる」
 と言えば、簡単に母親は許してくれた。
 友達の家は裕福な人が多く、そもそも誠也の住んでいる街は、高級住宅街に位置していたので、友達の多くは、会社社長の息子だったり、弁護士の息子だったり、比較的裕福な家の子が多かったのだ。
 遊びにいくと、庭には蔵が建っているくらいの家もあり、何と、ハウスキーパーの人までいるくらいだった。
 出してくれるおやつは、高級洋菓子店で注文したお菓子だったり、紅茶も輸入品だったりと、普段は口に入らないようなものばかりだった。
 友達はそういう高級ブランドには詳しく、子供心に、そんな友達を頼もしく思っていた。もう少し学年が進むと、それが次第に妬みに変わってくるのだが、まだ中学に入ってすぐくらいは、そんな友達であっても、相手にしてくれるだけでも嬉しかった。
 それだけ小学生の頃は孤独だったのだが、中学に入ってから相手をしてくれるようになった友達は、単純に誠也を自分の奴隷扱いするための、
「飼いならし」
 のつもりだったのかも知れない。
 父親の威厳によって、いずれ友達関係が崩れてくることになるのだが、その時だけは、父親に感謝すべきだったのかも知れない。だが、それもきっとその時だけのことで、それ以外はすべてにおいて、父親に対しての嫌悪しか存在しなかったに違いない。
「父親の威厳って一体なんだのだ?」
 時間が経って、もう少し成長すれば、それが時代遅れの化石のようなものであることに気づくのだが、それが分かるまでは、誠也を悩ませるだけの厄介なことでしかなかったのだ。
 父親の威厳もまだ小学生の頃までは大きな存在だった。父親もおじいちゃんから、相当常識を押し付けられたのか、自分も嫌だったはずのことを棚に上げて、自分もおじいちゃんから受けた教育を踏襲していた。
 そのたびに、
「他の家はそんなことが言わないってよ」
 と言って口答えすると、余計に腹を立てる。
「よそ様はよそ様、うちはうちだ」
 と言って、問答無用の仕打ちだった。
 父親の中には、
「他の人と同じでは嫌だ」
 という気持ちが強いのは分かっている。
 この部分に限っては、息子の誠也も賛成だった。人と同じで何が楽しいというのだというのは、小学生の頃よりも中学に入ってからの方がそう思うようになり、その部分で共鳴することがなければ、本当に父親を嫌いになるどころか、軽蔑に値するほどであった。
 父親を軽蔑など、子供の頃には思いもしなかった。威厳という言葉の迫力に押されて、それは自分だけではなく、母親の方が強いようだった。
 高校生くらいになれば分かってきたのだが、自分と父親は血がつながっているが、母親と父親の血は繋がっているわけではない。そういう意味で、父親と距離が近いのは息子の方だった。
 そんなことは保健体育の授業に関係なく、子供の頃から分かっていたはずなのに、それはあくまでも、生理学的なことであり、実際の生活や家族関係に関係することではないので、そこまではなかなか子供では考えることもなかった。
 もっともウスウスは感じていたというもので、
「言われてみれば目からうろこが落ちた気がする」
 というものであった。
 だからこそ、父親が真剣に怒ると、恐ろしいのかも知れない。自分は血の繋がりがあるので、怒っている時の父親のその怒りの度合いが分かるのだ。下手をすると、
「これは、芝居なんじゃないか?」
 ということも分かるくらいであった。
 というのも、
「息子を怒らせて、何か言い訳させて、それを父親の威厳で叩き潰すことに快感を覚えているのかも知れない」
 と思うと、むかついてくるのだった。
 もっと大人になれば、それがいかに大人げないことであるかが分かるというもの。子供の頃に父親の威厳をひけらかしていたくせに、子供が中学、高校生になると、今度は同じレベルになって、少しでも自分を上に見せようとするのだ。
 しかも、相手は自分の息子である。今までせいぜい威厳を示して、上から押さえつけていた相手と同じ目線になり、そこで、
「どんぐりの背比べ」
 をしようというのだ。
作品名:尊厳死の意味 作家名:森本晃次