尊厳死の意味
言い方を変えれば、
「私の力がなければ、あなたの作品では会議に掛けることすら無理なんだ。出版したいなら、自分のいうことを訊け」
と言っているようにしか聞こえなかった。
さすがに、こちらもかちんときたが、
「それでも、企画出版を目指します」
と、怒りを抑えていうと、今度はさらに相手がキレてきて、
「企画出版なんて、百パーセント無理です」
と言い出すではないか、もうこちらもほとんど一触即発の精神状態で、
「それはどういう意味で?」
と聞くと、
「こちらだって、慈善事業でやっているわけではないんだ。しっかり担保になるものがなければ、企画出版なんてありえない。芸能人のような人か、あるいは、過去に犯罪者になった人のような有名人でもなければ、うちで企画出版なんてありえない」
というのだった。
つまりは、作者のネームバリューがなければ、本は作っても売れないのだという本音を、逆切れして言ってしまったのだ。冷静に考えれば、営業としては最後まで隠さなければいけない本音を、キレながら顧客にいうのだから、まったくの失格者だと言えるだろう。
さすがにそこまで言われると、前の時の金銭的な矛盾もあって、出版社の営業を信じられなくなるのも無理はない。
ただ、この出版社とは絶縁することになったが、他の出版社には原稿を送り続けていた。他の出版社は、そこまでひどい営業ではなかったので、キレられることも、本音を言われることもなかったが、相変わらず批評をして返してくれる。これは小説を書いているうえで、足場がしっかりしているようで嬉しかった。
しかも、それらの出版社の中には、出版した本を販売するという目的で、主要都市のいくつかに、カフェコーナーを作ったところがあった。そこでは執筆者にも優しいスペースがあり、電源を貸してくれたり、そこで、他のアマチュア作家が出した販売用の本を立ち読みのように、コーヒーを飲みながら読めるというありがたい場所があったのだ。
おじさんは、その場所をありがたく使わせてもらったという。相手も作家と話ができて嬉しいと言っていたが、半分は本音だったのではないかと、、おじさんは感じているようだった。
自費出版系の罠
そんなことができる出版社は、その頃には、全国の出版社の中でも出版数だけに限れば、日本一だった。この頃が、自費出版業界としては最盛期だったのだろうが、たぶん、新聞で記事が目立ち始めてから。五年も経過していなかった頃ではなかったが。マスコミも新たな成功した商法としてもてはやし、特集も組まれるようになったが、実際の衰退は、すでに始まっていたのかも知れない。
そこから二、三年は確かに、出版数や売り上げはかなりのものだったのだろうが、綻びというのは、一度発生してしまうと、そこから崩れてくるのは早いもののようだった。それだけ土台がしっかりしていなかったというのか、まるでプラスチックでできた石垣の上に、城が建っているようなものだったのだ。
崩れ落ちるわけではないが、徐々に足場が崩壊していく。その理由はいわゆる「自転車操業」にあったのだ。
その理由は崩壊していくうちに分かってくるのだが、全貌が見えてくると、
「どうしてこんな簡単なことが誰にも分からなかったのだろうか?」
と言われたが、それだけ、時代が荒廃した状態で、底辺にいたから、後は上しか見えないという感覚があったのかも知れない。
そもそも、こういう商法における成功のシナリオとしては、
「会員を増やして、その人たちにお金をたくさん使ってもらう」
ということが、根底にあるのだ。
会員を増やすための最大の方法が宣伝であることは誰もが分かっていることであろう。最初に見かけたのも、新聞広告ではなかったか。何しろそれまでには存在していなかった業態で、誰もが海の者ともう海女の者とも分かっていなかったが、それでも、とりあえず原稿を贈ればただで批評をしてくれるという意味で、それまで、自分の作品に対して批評をしてくれることがなかった業界なので、それだけでもありがたいことである。しかも、お金がかからない。そこが善良なところだったのだ。
そして、実際に批評をして返してくれる。
しかも、その内容が、いいことばかりを褒めちぎるわけではなく、悪いところもしっかりと批評してくれる。そこがありがたかったのだ。
いいところだけでは、いかにも自分たちの目的を察知されやすく、胡散臭いと思う人もいるだろう。そこを見越して、残念なところもあるが、すぐにそこさえ気を付ければ、最高にいい作品になるなどと書かれていれば、信用したくなるのも人情というものなのだろう。
それを考えると、宣伝で人を引き付けることには成功する。後はいかに協力出版に持ち込むかであるが、正直、おじさんも他の人が協力出版に踏み込む気が知れなかった。
「数十万じゃないんだよ。百万以上のお金がかかるんだよ。はい、そうですかって、簡単に出せる額ではないよね? 作家デビューがプロとして約束されているわけでもないのに、確かに有名出版社から出版できて、自分のコーナーが本屋にできるなら、百万も出せなくはないだろうが、そうでもなければ、そんな清水の舞台から飛び降りるようなことができるわけもないよね。そもそも、本屋で自分のコーナーができるくらいの作家に、お金を出させるなんて、ありえないでしょう」
ということだった。
それは訊いていて、もちろんな話だった。考えてみれば、おかしなことが多すぎる。本屋に一定期間置くというが、一日にどれだけの作品が世に出るというのか。これだけ出版社がたくさんあるのだから、一社一冊出たとしても、一日に何十冊と新刊が出続けることになる。それが毎日続くのだ。そのうち売れるのは、どれくらいで一冊だというのか、一週間で一冊売れる本があるとしても、数百冊の中から一冊ではないか。それも、有名どころの出版社から、プロの作家が入れ代わり立ち代わり刺していくのである。
それを思うと確かに以前言われた、
「売れる本というのは、最初からネームバリューのある人の著作でないと無理なんだ」
という言葉を思い出した。
悔しいが、まさしくその通りである。そういう意味では、早いうちに分かってよかったというおじさんの話にはそれこそ、信憑性があった。
「しょせん、自分はプロ向きではないのかも知れない」
と想うと、気が楽になったというか、
「どうせプロになったとしても、自分の思ったような執筆ができるわけではない。あくまでも、主催は出版社であり、出版社が発注した通りの作品を作り上げなければならない。ただ、それも売れる保証はまったくないのだ」
とおじさんは言っていた。
要するに、出版社が発注することで、書きたいものが描けなくなるし、ます最初にプロットを書く前に出版社と協議し、その企画に沿ってプロットを書く。そして、そのプロットの内容が出版社の中の編集会議に掛けられ、OKになれば、初めて、採用されるということになる、
誠也自身もそうなのだが、おじさんもプロットを作るが苦手のようだ。