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尊厳死の意味

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「何かをすれば、必ず成功し、見返りも十分にある」
 と言われていた時代で、よほどの間抜けなことさえしなければ、大きな失敗はなかった。
 だから、素人の投資家が増えたり、
「土地ころがし」
 と言われる、土地を売買するだけで、暴利を貪れる時代だったのだ。
 企業も、どんどん事業拡大する。すればするほど利益が生まれるのだから、何もしない方が罪の時代だった。
 だから、仕事も定時というのはあってないようなもの。残業など当たり前で、二、三日寝ずに素ごとをするなど当たり前だった。
 過労死などというのもその頃からだろう。
 だが、それは社会の歯車が綺麗に回っていたからで、一旦狂ってしまうと、すべてが悪い方にいく。
 まず、
「絶対に潰れない」
 と言われた大手銀行が倒産するという信じられない事態に陥った。
 事業を拡大すれば、当然銀行の融資が必要になる。銀行は何をしても儲かる時代なのだから、融資をどんどん増やして、売り上げを増やし、ライバルよりも少しでも多く、融資を貰おうと必死だ。
 だが、バブルがはじけたことで、株の不当たりが目立ち始め、次第に会社が倒産していく。そうなると、融資先からの返済が滞り、
「融資金が焦げ付いてしまう」
 ということになる。
 多額の負債が回収不可能おとなると、さすがの銀行もやっていけない。民間は何とかこの苦境を、
「銀行からの融資」
 で乗り切ろうとするが、もう銀行には融資ができる力などない。
 自分の首が危ないのだ。
 親会社が請け負った仕事を子会社へ、そして孫会社へと下請けに回すことで、親会社はその利ザヤだけで稼ごうとする。それこそが実態のないバブルなのである。
 その頃に生まれた言葉が、
「リストラ」
 である。
 利益が望めないのであれば、支出を減らすしかない。そうなると、企業にとっての一番の支出は。ほぼどの会社も、人件費である。
 人件費を削るには。それまで年功序列の終身雇用に胡坐を掻いていた中堅から、五十代くらいの社員が標的だった。まず彼らに自主退職を促したり、いよいよ危ないとなると、若い連中もターゲットになる。
 バブルがはじける少し前は、バブル最盛期、つまりは飽和状態だったのだろうが、事業が拡大してきて、人材不足から、大学生はほとんどが就職できた。その十年くらい前では絶対に合格もしなかったであろうレベルでも、数社の大企業から内定をもらい、しかも優秀な社員のつなぎ止めのため。入社前の研修として、海外旅行をさせてくれる企業も少なくはなかった。完全な売り手市場だったのだ。
 だが、いざ時代が変わると、リストラの対象は、その連中になってくる。
「それほど就活に苦労はなかった」
 と言っていた連中が、入社数年で、リストラ第一候補になるのだ。
 本当に、世の中何が起こるか分からないとはよく言ったものである。
 そして、残った社員は、それまでの五人くらいでやっていた仕事を三人で行わなければならなくならず、しかも、人件費削減ということで、残業手当はつかない。さらに経費節減から、不要な電気はすべて消すということを徹底されるので、真っ暗な中で仕事をしなければならなくなっていった。
 ただ、その頃からmアルバイトやパート募集が多くなり、非正規雇用などというものが増えてきて、正社員にいく仕事は、アルバイトにフラれることになり、仕事量は軽減した。だが、その分、責任は大きくなり、責任のないアルバイトが行った仕事の責任はすべて正社員ということになると、余計な手間や時間だけで業務をしているせいで、楽になった仕事ではあったが、終わらなければ結局自分に戻ってくることになる。
 そうなると、ストレスばかりが溜まってきて、仕事は今までに比べれば少しは早くなっただろう。バブルの頃までは、夜中までも平気で仕事をしていたが、弾けてからは、夜八時くらいまでの残業で終わるようになった。それは仕事自体が減ってきているということもあってなのだが、次第に慣れてくると、そのうちに、ほぼ定時くらいまでに終わるようになってくる、サービス残業もなくなってくるのだ。
 その頃になると、収入は少ないが、仕事は早く終わり、時間だけが残ってしまう。人によっては、飲み会に精を出す人も出てくるのだろうが、元々給料のいい人は飲みに出かけるくらいはそれほどではないのだろうが、家庭持ちで給料が下がったのが、そのまま自分の小遣いにまともに引っかかってくる人間はそうもいかない。
「飲みに行くくらいなら、何か趣味的なことをするようになれば、時間が潰せていいのではないか?」
 という発想が生まれてくる。
 それまでは仕事一筋の人間だった人が趣味を持つようになったのだ。
 それでも、さすがに最初はなかなかそうもいかない。仕事しかやってこなかった人間は残業手当だけが楽しみの一つで、収入が増えることがセットだった。しかし、趣味というのは、収入が増えるどころか、小遣いを使って自分でやるもの。お金のかかる趣味はご法度だった。
 ゴルフなどはもってのほか、せめてスポーツクラブに週に一度か二度通ってみたり、料理教室に通ってみたりと、あまりお金のかならないところが人気だった。中には行政が行っている教室などは、それほど金銭的にも高くはないだろうから、入会も多かったかも知れない。
 つまり、バブルがはじけたことの副作用として、サブカルチャーなどの趣味を行う産業が流行り出したことでもあったのだ。
 だから、それまではただごく一部の人しかやっていなかったものを、そお頃は、
「猫も杓子も」
 と言った具合に、
「○○人口が増えてきました」
 とばかりに、趣味にアフターファイブを使う人が多くなったのだ。
 それは、小説を書くという世界にも、その波は押し寄せた。
 何しろ、極端な話、筆記用具と原稿用紙などの紙、あるいは、パソコンがあればできるという安上がりな趣味であり、上達していけば、いずれは自分の本が本屋の棚に並ぶかも知れないなどと想うと、やりがいもあるというものだ。
 ハッキリとした数字は分からないが、小説を書きたいと思っている人数が、バブルがはじける前と後とでは、桁が違うくらいの増え方をしたような気がする。
 自費出版系の出版社の出現は、そんなサブカルチャー産業が増えてきて、小説を書きたいと思う人間が巷に溢れてくるようになってから、表に出始めたのだ。
 最初は、新聞広告や、雑誌の広告蘭に、
「原稿をお送りください」
 という文句が躍っているだけだった。
 小説を書き始めたばかりの人であれば、そこまで注意を払っていないだろうが、少し経ってからであれば、その文句に興味を示すようになる。
作品名:尊厳死の意味 作家名:森本晃次