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神の輪廻転生

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 今では、他の世界でも、男女平等を叫んで、やっと認められようとしているが、それも、なかなか難しかったりする。確かに女性が強くなってきたことで、男女平等になってきたのかも知れないが、女性と男性とでは、そもそも身体の作りが違う。すべてを平等などありえないことだ。それを理解せずすべてを平等だなどと言っていると、そこに社会の歪が生まれ、今度は男性に対しての差別が起こってくる。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
 という言葉だってあるではないか。
 だが、そもそも最初から男女がその特性を生かして、最大限の能力を発揮していれば何の問題もない。そう。男女平等というのは、
「男であろうと、女であろうと、自分の能力を十分に発揮できる世界であれば、別に男女という意識をする必要などないのだ」
 ということではないだろうか。
 だから、風俗も、
「女性が女性として生きていくうえでの能力だ」
 と考えれば、それを卑下する必要などないのだ。
 男女平等の意識があるために、男も女も偏見の目で見るのだろう。
 だから、こちらの世界では、男も女も変わりがない。しかも、欲望を悪いことだとは思っていないので、余計に性風俗は流行るのである。
 いくら性に明るいとはいえ、モテる男もいればモテない男もいる。女も同じである。それはどの世界にも同じことだ。
 しかもこちらの世界ではドライな人が多いというのもあるのか、
「恋愛だけが人生ではない」
 と思っている人も多く、結婚しない人も多い。
 いくら、他の世界でも離婚率や未婚率が上がってきたとはいえ、こちらほどではないだろう。
 そもそも。離婚も未婚も悪いことだとは思っていない。
 他の世界では、昔であれば、結婚しないと、一人前の男として認めてもらえないとか、結婚できない女は、世間からのつまはじきにされたりしたものだったが。そんな世界でも今では少しは変わってきている。
「仕事を一生懸命にするので、結婚なんかしなくてもいい」
 であったり、
「自分の夢に向かっているので、結婚はその生涯にしなからない」
 などと言った考えも目立ってきている。
「結婚して子供を産んで、家を守る」
 などという古臭い風習は、昭和の頃まであったにも関わらず、
「まるで封建制度の時代の出来事なんじゃないの?」
 と言われるほど、地齋の差を、混在して考えるほど、歴史認識がまったくない連中がいるのも事実だろう。
 離婚にしてもそうである。
「戸籍に傷がつく」
 などと言われていたのは今は昔、それこそ今では、
「バツイチの方がモテる」
 などと言われる時代だ。
 離婚して実家に帰ってきた女は
「出戻り」
 などと言われて、
「あんたは、体裁が悪いから、近所の人の前に顔を出さないで」
 などということを親が言っていた時代である。
 離婚したといえば、帰ってこいと言って暖かく迎えてくれたのかと思えば、その仕打ち、それを訊くと、
「親がなんぼの者じゃ」
 と言いたくなるのも無理もないことであろう。
 そんな変な風習は、こちらの世界には存在しない。
 血痕するも離婚するも自由。しかし、逆にいえばすべては自己責任。誰も助けてはくれない。
 したがって。どこかの世界にあるような、
「できちゃった婚」
 などというのも存在しない。
「子供ができたんだから、責任を取って結婚?」
 そんなことはありえないのだ。
 そもそも誰も面倒見てくれない世界、否認していないとどうなるかというのは、学校教育でしっかりと勉強させられる、他の世界では倫理に反するなどと言って教えない、セックスのやり方や否認の方法、そして他の世界で起こっている、いろいろな犯罪であったり、悲劇などを、教材として教えてくれるのだ。
 これが本当の性教育であり、生協域は道徳の時間の一環として勉強させられる。
「いいか。他の勉強はおろそかにしろとは言わないが、この世界ではすべてが自己責任なんだから、これからの話を曖昧に聞いていると、後で困るのはお前たち自身だ。だから、中途半端な気持ちでは聞くんじゃないぞ」
 と、先生は、性教育の前ではそう言って訓示するものだった。
 さすがにそれ以外の性に関してのことはあけっぴろげな世の中なので、一つくらい引き締めるところがあってもいいだろう。生徒もそう思っているから、生協域の授業を真剣に聞く。それこそ、これから学んでいくための人生勉強のスタートラインに立つからであった。
 そんな世界なので、当然、男も女も好きになった人がいなければ、結婚する必要もない。家を守るなどという感覚はなく、別に自営業の人出も、弟子に優秀な人がいれば、その人に後を託せばいいだけだ。
 そうすれば、生まれながらに先代の息子というだけで、世襲しなければいけないというプレッシャーも子供にはなく、いくらでも職業を選択でき、しかも、店の次代も、
「ちゃんと任せられる人」
 として、先代が認めた人間なので、大丈夫なのだ。
 これほど合理的なことはないのではないか?
 確かに社長を継ぐために生まれてきたということであれば、親は嬉しいカモ知れないが、子供にとっては、生まれながらに大きな足かせをつけられているようなものだ。
「職業選択の自由」
 それがないということは、もし、途中で継ぐのが嫌だということになると、家を出なければいけなかったり、勘当されたりして、それ以降、一生親と溝ができたまあ暮らしていかなければならないという悲惨な人も他の世界では決して少なくはないだろう。
 その点、里穂の世界ではそんなことはないのだ。
 何しろ、
「どうして、店が世襲でなければいけないのか。優秀な人たちが継いでいけばいいのではないか」
 ということではないのか。
 そう思うと、子供ができたからと言って、そこで、
「跡取りだ」
 ということがないように、法律もできていた。
「親が息子の職業選択の自由を奪ってしまうことは許されない」
 ということを基本にできた法律だった。
 だからと言って、子供ができない家庭が多いわけではない。うまく人口が増えすぎず、かといって減っていくわけではない。この世界は、人口問題など今までに発生したことはない。皆が食べていけるだけの食料はちゃんと確保できているのだ。
 血痕しない人も多いのに、どうして子供が減らないかというのは、国が子供二人目からの養育費をかなりになってくれているからだ。
 小学生までの医療費がただであったり、義務教育までの学費や、教材大、給食代までがただなのだ。
 それは税金によってまかなえている。
 かといって、税金が高いわけではない。どこかの世界のように、一部の政治家が国民の税金で私腹を肥やしたり、無能な政治家が必要のないことに税金の無駄遣いをすることがない世界だからである。
 政治に国民が深く入り込める世界になっているので、首相を決めるのが、政府や政党によるものだというような中途半端な民主主義ではないのだ。
 民主主義の形をとりながら、社会主義の考え方のいいところを絶秒な割合で取り込んだ政府の方針は、功を奏していて。民主主義の課題である、
「貧富の格差」
 であったり、
「自由競争による敗北者の悲哀」
 などはありえない世界になっていた。
作品名:神の輪廻転生 作家名:森本晃次