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神の輪廻転生

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 本人が、安楽死を望んでいたにも関わらず、家族がそれに応じないというパターンもあるのだ。ただこれは珍しい例であるが、患者にそれまで口では言い洗合わせないほどの迫害や苛めを受けてきて、この時とばかりに、
「どうせ死ぬなら、簡単には殺さない。苦しみぬいて死んで行けないい」
 という、私的復讐に駆られる人もいる。
 だが、それは表には決して出てこないことなので、表面上は、
「家族が何とか本人のために、延命を望んでいる」
 という風にしか見えないだろう。
 本人も当然、元気な時の所業を、他の人に話すなどしていないだろう。していたとすれば、その時点で逮捕されるからだ。だから決して苛めを行っていたことが外部にバレることはない。だから、これこそ復讐という意味での完全犯罪であった。
 医者の方としても、いくら本人の意思があるとはいえ、家族の意志を無碍にはできない。医者が判断を迷っている間、患者は苦しみぬくことになる。そして結局安楽死になるのか、苦しみぬいての死になるのかは、分からない。死後の観察では分からないからだ。
 そういう意味では安楽死を認めるか認めないかという問題も大きな問題であるが、安楽死を認めるということになった場合の弊害として、個人的な復讐に使われる可能性があるということである。
 となると、安楽死を認める場合は、その国で家族が絶対に裏表がなく、平和に暮らせる土台が整っているということが最低限の問題となってくる。
 もちろん、安楽死を認めない場合も同じことだが、まったく正反対から見た、同じ内容の事例であっても、立場が変われば、違った結果が生まれるということの典型的な例ではないかと思うのだった。
 もちろん、これは安楽死に限ったことではないが、果たしてどのように考えればいいのか、私は悩んでいた。神が悩むのだから、人間にその結論をゆだねるのは酷というものだ。それだけこの問題は奥が深いと言っていいだろう。
 今は、それだけ、
「生まれてくることも、死ぬことも選ぶことはできない」
 ということになる。
 すると、人間の尊厳はどこにあるというのだろうか?
 我々の世界では神がいることは周知の事実となっているが、他の世界では神は想像上のものとして、確立はされていない。そんな中、これだけ尊厳のない世の中なのだから、それこそ本当に、
「神も仏もない」
 という感覚が浸透しかけている。
 これは寂しいことに違いはないが、実はある意味ではいいことでもあった。つまり、おかしなカルト教団に引っかからないという意味ではいいことだ。
 カルト教団は、
「死後の世界で、幸せになる」
 ということであったり、
「この世でも神を信じていれば、幸せになれる」
 というものであるが、死ぬことへの尊厳の権利もなく、また生まれてくる時の尖閣スラないのであれば、生まれ変わりに希望が持てないからだ。
 ちなみに、他の世界では、死後に生まれ変わるとしても、同じ世界で生まれ変わるという発想だからだ。別の世界という発想はあっても、生まれ変わりを別の世界ということにしてしまうと、宗教としては相手に信じ込ませるには説得力に欠けるからだった。
 あくまでも相手を信じ込ませるための方便としての発想、すべてはカルト教団の都合によるものでしかないのだった。
 そんな状態において、生まれ変わりの発想も、生まれること、死ぬことへの尊厳も他の世界においては、夢も希望もないが、そのおかげでカルト教団に騙されることもないというのは、実に皮肉なことだと言ってもいいのではないだろうか。
 里穂は、そのことをまりえに伝えようか迷ったが、まりえならもうすでに分かっているのではないかと感じていたのだ。
 豊には分かっていることだったのを、山口は確認していた。、やはり山口も豊も、しっかりとしている人間であることは確かだった。
 他の世界の人間は、死後の世界、生まれ変わりのメカニズムに関してはまったく知らない。根拠のない発想はあるのだが、それはその世界ごとに独特であった。だが、その発想のすべてが、長い間の歴史の中で育まれてきたことは確かだった。だからこそ、世界の違う歴史が繰り広げられてきたことで、発想もすべて変わってくる。これは祖語の世界は生まれ変わりのメカニズムに限ったことではないのではないか。
 さて、そんな中で、里穂は山口のことを一体どのように見ているのか、そのことを私は少し危惧していた。
 なるほど、まりえに会って、彼女の考えに接することができた。彼女には豊という彼氏がいて、その人だけを大切にしている。だが、それは本心なのか分からない。なぜなら、まりえも、豊だけを愛している自分が、どうしてそういう心境になっているのか、本当の理由を分かっていないからである。
「浮気をしたり、一度に複数の人を好きになるという発想が私の中にはないからなんでしょうね」
 とまりえは言ったが、それは暗に、
「二股を掛けたりすれば、まわりからどんな目で見られるか分からない。それが恐ろしい」
 と言いたいのではないだろうか。
 もし、里穂もまりえの立場になれば、同じことを思うだろう。里穂は自分の世界にいるから、二股であっても、不倫であっても何でもありという世界だからこそできることだった。
 実際には里穂の世界であれば、二股や不倫が許される理由とすれば、
「浮気されたことで、憤りを感じるのであれば、それだけ自分に甲斐性がないということを恥じなければいけない」
 という発想が主流だった。
 つまり、
「浮気をされたのであれば、した人間よりも、された人間の方が悪いのだ」
 という発想である。
 他の世界の人はそれを訊いたら、どんな気分になるだろう。弱い者苛めのように思えてくるかも知れないが、どうしてそんなに弱い人ばかりを擁護する必要があるのだろうか?
 たぶん、一つには民主主義の限界である、
「貧富の差などの差別が発生する」
 という意味の、差別はF平等が生まれることを危惧してのことだろう。
 だが、実際には、見方によっては傷の舐めあいにしか見えないのではないか。
 これではせっかく努力をして勝ち取ったものであっても、そこで他の人の妬みを生んでしまうと、そっちを重要視して、せっかく努力して勝ち取ったものを返納などさせられる可能性も出てくるだろう。
 そうなるとどうなるか。
「世の中、どんなに努力しても報われない:
 と思うだろう、
 しかも、それが自分の力不足での未達成ではないのだ。ちゃんと自分の力で達成したことが、まわりの都合と潰されてしまう。これほど理不尽なことはない。
 そうなると、他の世界の人は何と言うだろう。
「皆、努力をして競争したのだから、勝つ人間がいれば負ける人間もいる。だから、勝った人間が称えられるのは当たり前のことだ」
 というに違いない。
 では、二股や不倫はどうなのだろう。
 彼女さえしっかりしいていれば、そんな不倫や二股などはない場合だってあるだろう。相手に不安や不満があるから、保険として他にもう一人と考える人もいれば、今の彼氏では心もとないと、別れてもいいか、今の彼を担保にしている考えも存在するのではないだろうか。
作品名:神の輪廻転生 作家名:森本晃次