神の輪廻転生
にとっては、そんな団体は本当に他人事であり、関わること自体が、百害あって一利なしだったのだ。
そんな状態の中で、
「訴えたって、同じかも知れないが、とりあえず訴えを起こそう」
として訴えを起こした。
世間のワイドショーなどでは、そんな訴えを興味を持って報道したが、その興味も完全に他人事の意識であった。
しかも、報道するマスコミが、報道の隙間を受ける程度での間に合わせ記事なだけに、ただでさえ皆が興味も持っていない記事を見ることもない。
こんな記事があったということすら、すぐに忘れられる程度である。
完全に見捨てられた彼らに同情する人はいない。
「ちょっと考えれば分かることじゃないか」
と言われてそれまでである。
社会的影響としては、
「まだまだ、カルト宗教の詐欺行為は、なかなかなくなる気配を見せていない」
という意味での社会問題だったのだ。
被害者に対して、被害者意識を持つこともない。訴えたということで、彼らはただの原告であり、団体は被告というだけなのだ。
「まだまだ宗教による信者が被害に遭うことはなくなりそうもありません」
というアナウンサーの声も、どこか嘲笑しているように感じられて仕方がなかった。
「宗教なんて、しょせんはそんなものだ」
と、本当はいいたい評論家であろうが、さすがに公共の電波でいうわけにもいかない。本音とすれば、
「騙されるやつがいるから、騙すやつがいる」
と、騙される方も悪いと思っているのではないだろうか、
口に出せないだけで、全体を他の人よりも分かっているだけに、評論家というのはそう思っていることであろう。
ひょっとすると、自分の書物のようなもので、あからさまではいけないので。言葉を選んで書いていることであろう。
宗教団体というものが、いかに人間に寄り添っているように言っているか、やはり騙された本人たちにしか分からないだろう。分かった時のギャップで、自殺をした人もいたかも知れない。
それは全財産を失って。お先真っ暗という意識もあるだろうが、これから先、何を信じていいのか分からなくなったことが、自殺の直接の原因であろう。
それを思うと、彼らに対してよりも、宗教団体に対しての怒りだけがこみあげてくる。被害者に対しての哀れみの気持ちなど、宗教団体への怒りに変えなければいけないと思うくらいであった。
そんな例は、何も、
「世界最終論議」
だけに限ったことではない。
いろいろな宗教における問題が聞こえてくるが、全財産をはぎ取られたわけではないが、宗教団体に対しての失望と、何を信じればいいか分からなくなったことには変わりはない。やはり騙されたことで自殺する人もいたのだ。
「何も自殺しなくてもいいのに」
と言われていたかも知れないが、本人たちにしか分からないことを、嘲笑するのは、少し違うような気がする。
それでも、こんな事件が日常茶飯事のように起きていて、そのたびに時間だけが過ぎていくことで、皆すぐに忘れていく。それを思うと、世の中の流れさえ、宗教団体は計算に入れているのではないかと思うと、その計算には、恐れ入るものがある。
もちろん、そんな宗教団体は一部の過激なところであったり、宗教団体という名前を隠れ蓑にして、本当は最初から詐欺のために作られた団体だったりする場合が多いだろう。だから、
「カルト教団」
なのである。
カルト教団は宗教団体ではない。ただの詐欺集団なのだ。そのことをここで筆者は強く書き残しておく必要があると思っているのだった。
そんなカルト教団は、ある意味、しっかり勉強している。人を騙すのも、ある程度の歴史や、知識を知っていなければできないことだ。詐欺の基本は、
「相手を信じ込ませること」
だからである。
説得力のない相手に誰が信用などするものか。つまりは、信用しているからこそ、相手を信じるのだ。不安な人間ほど余計に信頼できる相手以外を信じるわけはない。逆にいえば、
「自分が信じられる相手なので、それ以上の相手はいないのだ」
という自己暗示をかけていることであろう。
宗教団体は洗脳しようとする。信者になる人は自己暗示を掛けようとする。その二つが絡み合ってピッタリくれば、信者になったとしても、何ら不思議なことではない。それが宗教という言葉を使うカルト集団の恐ろしいところである。
そんな恐ろしい教団は、どこの世界にも存在していた。
だが、それは前述のように、カルト教団であって、宗教ではない。つまり神も仏も関係ない、自分たちが万能の神であり、神を信じるということは自分たちのいうことを訊くというのと同じなのだと思い込ませることだった。
ただ、人を洗脳するということは、それほど簡単なことではない。その人のまわりにはたくさんの人がいて、まずいところに行こうとしていれば、普通であれば止めてくれるであろう、
だが、もし自分を止めてくれる人から、それ以前に裏切られたことがあればどうだろう?
人というのは、相手に気づかないところで、えてして恨みを持っていたりするものだ。
それだけに、知らないところで恨まれていたりして、下手をすれば犯罪に結びついたりする。
そのあたりをカルト集団はうまくついてくる。
「あなたはまわりを敵だらけのように思っているかも知れないが、我々はあなたのことを一番よく分かっている」
と言って近づくのだ。
分かっているのは当然であろう。その男がまわりを信じられなくなっていく段階からずっと見続ければ、誰よりもその人のことを分かるというものだ。
だが、逆にいえば。
「なぜ、その人がまわりからひどい目に遭うことになるのかということが事前に分かるのだろう?」
という疑問はあるかも知れない。
だが、この世ではそういう人間が想像以上に多いのだ。
少々、人間不信に陥っていると思えるような人物は、たぶん、石を投げれば当たるというくらいの確率でいるのではないだろうか。
それほど、世界というのは、人に対しての不信感や憎悪、そして嫉妬などが渦巻いている世界なのだ。
だから、ちょっと見ただけで感じている人を追いかければ、それでいいだけのことであった。
彼らにとっての詐欺というのは、その程度のものである。
死んだ人の行く世界
カルト教団というのがどれほどいい加減なのかというのは、里穂や山口であれば、すぐに分かるというものだ。
彼らの世界では、
「人が死んだらどこに行くか?」
ということを知っているのだ。
ただ、これは彼らの世界でもトップシークレットであり、他の世界の人に教えることはタブーだった。もし見つかれば、極刑に処せられるだけの大罪である。せめて、無期懲役であれば、いいくらいのことだった。
だが、
「死んだらどうなるか?」
ということは、どの世界でも研究されていることであるが、どのみち、研究だけにしかとどまらないことは誰もが分かっていた。
何しろ裏付けがないからだ。
死ななければいけない世界なので、死ぬということは、二度とこの世界に戻ってこれないということを意味している。つまりは、
「誰にも証明することのできないことだ」
と言えるだろう。