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神の輪廻転生

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 だが、山口の方では違っていた。自分も里穂のことを好きになってしまい、里穂の世界ではあまり考える人のいない考え方をするという意味で、そんな雰囲気を表に醸し出すことで、次第に山口の立場は、微妙なものになっていた、
 だが、この感情は、実は二人だけの問題ではなかった。里穂の世界の朱儁期は、まりえの世界の思春期のように、不安定で壊れやすく、多感でデリケートな時期であった。
 多感な時期を過ごす中で、
「恋愛感情というものを持つことはいけないことなのだろうか?」
 という感情は、誰もが通る道だったのだ。
 それを自分の中だけで抱え込んでしまっているので、そんな考えに至ってしまった自分に対して、
――こんなことを考えてはいけないんだ――
 と、感じるようになっていた。
 つまり、いい悪いの問題よりも、考えてしまった時点で、まるで自分が悪いことをしたというような感覚に陥ることが問題だったのだ。
 そんな里穂は、まりえになるべく、
「あなたが、好きな人に対してどんな感覚でいるのかということが知りたいわ」
 と言って聞き出そうとしていた。
 しかし、まりえの考え方があくまでも、まりえの世界におけるまりえの常識としての話になるので、里穂には理解できない部分もあった。
 だが、本当はそれをすべてひっくるめて理解しようとしないと、中途半端にその部分だけを切り取って考えようとしても、理解できるわけはない。それはまりえの世界の人間であっても同じことである。まりえの世界の人間にはその理屈が分かるので、そのつもりで話を訊くのだが、結局、他人なので、その人の考えていることの神髄が分かるわけはないのだ。
 そのあたり、つまりは、自分がもう一人の自分であるが、住む世界が違うということと、まりえの世界の人は、他人ではあるが、同じ世界に住んでいるということを考えると、お互いに、
「帯に短したすきに長し」
 というところではないのだろうか。
 このことわざはまりえの世界の言葉であるが、里穂の世界にも似たような言葉が存在している。それを思うと、
「遠いように見えるけど、肝心な部分は似ているところが多い世界なのかも知れないわね」
 と、里穂は感じていた。
 実はその思い、里穂よりも先に、まりえの方が感じていた。
 まりえは、自分からあまり余計なことをいったわけではなく、里穂の方から自分の世界の話をしてくれた。
 まりえは里穂の話を訊きながら、自分に置き換えて、
「自分の世界での自分と、自分の世界に里穂が存在していたら?」
 という考えであったり、里穂の世界をどのようなものか、里穂という人間の性格を分析するうえで、その後ろに控えている世界を勝手に想像してみたりしていた。
 それは、話を訊いて、耳から入ってきた情報を頭の中で?み砕いて介錯しようとするからだった。
 話を一方的にしている里穂にはその感覚はなく、まず理解してもらったうえで、自分の期待しているような答えを求めるという思いであったのだ。
 里穂にとって、まりえというもう一人の自分は、最初考えていたよりも、
――本当にもう一人の自分なんだろうか?
 と考えてしまうほど、根本的なところで違っているように思えたことで、戸惑いのようなものがあった。
 だが、それは里穂の勘違いであった。
 まりえは里穂が思っていた通り、肝心なところではやはり似ているのだ。それを認識できなかったというのは、里穂がまだまだ未熟だったというわけではなく、里穂のいる世界の常識と、こちらの世界の常識が根本から違っていることが原因だということであった。
 元々、根本的なところで違っていなければ、別の世界が出来上がるなど、考えられないだろう。別の世界を作るというのは、よほどの大きな力が働いていなければならないはずで、その力の一つが、
「考え方の根本的な違い」
 ということになるのではないだろうか。
 里穂がまりえを見ているのと同じように、山口も豊を見ていた。しかし、山口の豊に近づいた理由は、里穂の思惑と非常に似ているが、それはニアミスというもので、もし、すれ違ってしまえば、その後決して交わることのないものであろう。
 それを思うと、二人がそれぞれにすれ違いを見せるのではないかと思うのは当たり前のことで、これから二人がどうなるか、
「神のみぞ知る」
 というべきではないか・
 実は、ここで他人事のようにこの記録をしている人間は、里穂の世界で信じられている「神様」
 の一人であった。
 私は、まだまだ未熟な神であり、我が世界における信仰の対象となっているのは、私の先生とでもいえばいいのか、すでに神として君臨している人たちだった。
 里穂の世界の人たちが進行深くなったのは、実は最近のことである。
 まりえの世界のように、神も仏もいない世界においては、信仰というものは、太古から存在していた。
「神も仏も存在しない」
 というと、かなり乱暴な言い方だが、実際には自分たちの心の中に存在しているのであって、そのことは、皆感じているのであった。しかし、一部の人たちはそれを神物化することによって、人を洗脳したり、自分たちに都合よく事態を導くために利用する人も少なからずいた、
 そんなことが原因となり、宗教間でのいざこざが起こることで、世の中が乱れるというのも珍しいことではないだろう。
 実際にまりえの世界では、過去に起こった戦争のほとんどは、宗教関係が絡んできている。そもそも、宗教というのは、人を平和にそして幸せに導くものなのではないかと思われるが、実際には、
「死後の世界において、G苦楽浄土に行くための教え」
 というものが、多いのも事実である。
 ということは、宗教を信仰している連中は、この世に絶望しているということであろうか?
 この世で、自分が死後の世界、極楽に行けるようにするための行動をとればいいだけなので、全体の平和など、どうでもいいのである。だから、宗教団体というのは閉鎖的で、運営しなければいけないという理由で世間と関わるが、それ以外は世間と隔絶している。
「宗教団体なんて、しょせん何を考えているか分からない」
 と思われるのはそのせいではないだろうか。
 実際に一部の団体は過去にテロ集団ともいうべき、恐ろしい集団となって、大きな社会問題を引き起こした例はいくつもあるではないか、
 それはやはりいるかどうか分からない神を信じ込ませるということが、証拠としてないために、信者を繋ぎとめるという意味もあって、過激な行動に出るとも考えられないだろうか。
 里穂の世界で神がいるということは、その世界の人間の誰もが分かっていることで、神である自分たちも、時々人間の前に姿を現すこともあるので、これ以上確定的な証拠はないというものだ。
 私のような神は、人間一人に一人という形で存在しているわけではない、もっと言えば、人間に対してついているわけではなく、その存在意義は人間に対しては絶対秘密であった。それを口にすると、口にした神は神ではいられなくなる。どうなってしまうのかは、まだ未熟な神である私には分からない。先輩の神様であれば分かるのだろうというくらいにしか思えないのだった。
作品名:神の輪廻転生 作家名:森本晃次