神の輪廻転生
こちらの世界だって、好きな人と毎日一緒にいないと我慢できないという人もいるが、デートはお互いの休みの日で、普段は自分のことで精いっぱいというカップルもたくさんいる。そういうカップルの方が結構うまくいくもので、お互いの気持ちが通じ合えるのではないだろうか。
セックスというものも、一つの愛情表現なのだ。里穂の他の世界ではほとんどが、
「欲望の果てにある犯罪」
というものが憚っていることもあってか、あまりいいイメージではない。
言葉に出すことすらタブーとされ、恥ずかしいことのように言われているではないか。里穂はそこに大きな矛盾を感じるのだった。
「子孫を残して、家計を繋いでいくことを、まるで人間が生まれてきた意義のように言っているくせに、その子孫繁栄のために必要不可欠なセックスを、どうしてタブー視しなければいけないのだ?」
という思いである。
そのせいで、世界によっては、セックス禁止令などが出て、セックス産業は死滅し、子孫繁栄のために、行うことは、そのすべてが代理出産なるものとなった。要するに、セックスという行為だけを、
「悪である」
ということにしてしまい、子孫繁栄のためにセックスによらない妊娠を行うための技術が開発された。
代理出産という言葉を使ったが、最近開発されたばかりで、やっと実用化を行う法案が可決されようとしているところなので、正式名称がついていない段階だった。
その裏には、まったく減らない性犯罪への政府としての最後の手段であった。
性犯罪に対してまったく無力な警察に対しての国民の怒りは頂点に達し、政府と警察は苦肉の策として打ち出したのが、この政策だった。
政府や警察としても、
「そもそも、市民生活の中で鬱積した歪んだ精神を持った人間が増えたのは、皆個人個人のせいではないか」
という思いだったのだ。
個人個人の抑えきれない欲求が爆発して、弱者に向けた犯罪が横行し始めた。確かに政府のいうことにも一理ある。
しかし、ただすべてを個人に押し付けてもいいのだろうか? 国民の考えとしても、
「政府が体たらくな方針しか政策として打ち出さず、社会が歪んでしまったのは、こんな社会というものを作り出した政治観のせいではないか」
と言いたいのだろう。
要するに、責任のなすりつけ合いが起こした一種の、
「悪法」
と言っていいだろう。
さすがにそんな時代がくればどうなるか、見当もつかない。性犯罪への懲罰は、信じられないほどひどいものになった。
今では書類送検で済んでいる事件でも、実刑で五年くらいが妥当とされ、執行猶予がつく事件は、五年以上の実刑、もちろん、執行猶予などない。そもそも執行猶予がつくのは実刑で三年以下だからだ。
そして、強姦ともなると、無期懲役、強姦殺人ともなると、よほどの情状酌量でもなければ一発死刑であった。
性犯罪は上告が許されず、最初に出された判決がそのまま結審される。そんな信じられないような法改正となっていた。
「そんなに厳しい法改正をしたんだから、セックスに対してそこまで神経質になる必要はないのでは?」
という国民の意見や専門家の意見であったが、政府や警察は、
「自分たちの立場を揺るがすようなことがあれば、これくらいの思い切ったことをするんだ」
という思いを持って、まるで見せしめであるかのような狂気に満ちた、常軌を逸した発想になっていたのだ。
実はこのような状況は非常に危険で、国家や警察が国民生活に大きく、さらに深く介入するということであり、かつて存在した社会主義なるものの復活を予見するものでもあった。
社会主義というのは、そもそも民主主義の限界を考えて生まれてきたものだということは前述の通りであるが。それは、国家による国民への過剰な関与である。
元々民主主義というのは、多数決であったり、自由競争によって、発展ばかりを目指したものであるため、その弊害である、
「貧富の差」
であったり、
「少数派意見の黙殺」
であることから、社会問題が絶えない世界であった。
だが、車K市主義が台頭してくると、政府が強く社会に介入することで、政府による独裁であったり、産業の国有化が進んで、その結果、政府に逆らう勢力は粛清されてきて、産業は競争がないので、停滞してしまうという状態になり、発展はまったく見えなくなるのだ。
だからと言って、貧富の差はなくなるわけでも、少数派意見の黙殺がなくなるわけでもない。却ってひどい状況になる。
「貧富の差はないかも知れないが、全体的に富んでいるわけではなく、全体的にじり貧なのだ。政府が暴利をむさぼることで、政府に非協力的な団体は迫害され、潰される運命にある。少数派意見に関しては、粛清という言葉で抹殺されることで、表に出ることはない」
それが、実情であった。
そんな社会にならないようにどうすればいいのか考えなければいけないのだが、社会主義の世界が実際に存在し、二大巨頭として世界に君臨していた時代がどういう時代であったかということを考えると、本当は進んではいけない道であり、切ってはいけないカードでもあることは歴史が証明しているのだ。
だがいかんせん、そんな時代の悲惨さを知っている人が、すでに現役ではなくなってしまった。すべての事実は、歴史の教科書にしか出てこないほどになってしまい、
「あの時代を繰り返してはいけない」
ということを声を大にしていう人がいなくなっていたのだ。
そんな時代を誰がこれからの時代に予想するというのか、歴史学者や社会科学者くらいでしか考えられないようになった。
実に危険な状態にあると言ってもいいだろう。
話は横に大きく逸れてしまったが、里穂としては、今までの自分が実に理想に叶ったような毎日を送っているので、何も文句もないはずであった。里穂の社会では実に優等生のような生活をしているのだが、まりえの世界では、そんな生活は堕落という烙印を押されてしまうような人間性である。
しかも、里穂は里穂でその世界の理想のような男女関係を結んでいて、まりえは自分の世界ではこれが理想だと思っている。しあし、まりえの方では里穂のような男女関係に対して、
「これが理想なんだろうな」
と、話を訊けば聞くほどそう思うようになっていたのだが、実際の心境としては、
「私には決してできないこと。もし自分がそんな人間になったら、私は自分が嫌いになるに決まっている」
と感じていたのだ。
そのことを里穂は分かっていたが、どうしてそう思うのかが分からなかった。そもそも里穂がまりえに興味を持ったのは、どうしてそういう考えを持つかということを知りたかったからである。
里穂がまりえと話をしての感覚でが、やはりすべてを理解するというのは難しいようだった。徐々に理解していくしかないように思うのだが、その理解の焦点がどこにあるのか、そのあたりをしっかりと見極めていかなければいけないと感じていた。