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悪魔のサナトリウム

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「まあ、そこまで大げさなものではないのかも知れませんが、もし、表に出てきていないが心的外傷があるのであれば、そこには、必ず何かとのジレンマ、つまり板挟みのようなものが絡んでいるはずです。私はそれを突き止める必要があると思うんですよ。まずは、お姉さんの症状の中に鬱状態があるかどうかを見極める必要があるかと思います。ただ、これは記憶喪失になっている人で、鬱状態なのか、そうではないのかというのを見極めるのは至難の業ではないかと思うんです。鬱状態であるならば、鬱病としての診療から、その記憶を失う原因になっているものを探すこともできます。催眠療法などが役に立つのではないかと思われますが、実際にただ記憶総つぃつだというだけで、安易に催眠療法を使うことを私はあまり推奨しません。催眠を掛けてしまうと、本人の意思を薄めることになり、元来、記憶をいずれは元に戻すという意識でいる人にとっては、阻害でしかありませんからね。だから、私はあまり催眠療法を推奨してこなかったでしょう? あくまでも催眠療法は最後の手段くらいに思っておかれた方がいいかと思います。要するに、心理的な障害や、本人の意志などによって起こされた記憶喪失には、特効薬なるものはないということです。抗生剤のように、ひどくならないようにしたり、他の病気を誘発しないようにしたりはできると思います。記憶喪失状態から中には鬱状態に陥る人もいたりしますからね。それだけに。今投与している薬は、抗生剤と同じです。だから、入院は必要なんですよ」
「じゃあ、今の姉に起こっているあの反抗期みたいな症状は何なのでしょう?」
 とつかさが訊くと、
「理由はいろいろ考えられますが、一番考えられるのは、記憶喪失にある何段階かの階層の切れ目のようなものに嵌りこんでいるのではないかと考えられることです。お姉さんは、たぶん、自分の中でジレンマと葛藤しているのではないかと思いますが、それは普通の人でも同じです。皆さんは夢を見るでしょう? 夢というものにもいろいろ種類があって、現実と理想のジレンマから葛藤の場所を夢の世界に求めて、そこで妄想しているというパターンですね。だから夢には覚えているものもあれば忘れているものもある。人によっては、睡眠では必ず夢は伴うものであり、見ていないのではなく、忘れているだけなんだと言っている学者もいます。私もその意見には半分賛成で、半分は反対なのですが、根本的には賛成ですね。反対だと言ったのは、その理論をそれだけ生かして考えられるかどうかということです。それさえ分かれば、もっといろいろなことが解明できると思うんです。夢というのは、ある意味、記憶の封印された場所から、溢れたものだという人もいます。これには私も賛成で、たぶん、納得される方も多いのではないでしょうか? でも学説としてはまだまだ弱いのは、夢と記憶喪失の因果関係が証明されていないからではないでしょうかね」
 と教授は言った。
 つかさも何度も頷きながら聞いていたが、その意見には賛成だ。きっと自分の中でも思っていたことを代弁してくれたという意識が強いのかも知れない。
 その話を訊きながら、安藤も納得していた。つかさは、教授の話を頭の隅に置きながら、それでも、何かあった時には真っ先に思い出すような体勢を取るつもりで、姉に接しようと思った。
 つかさとすれば、ただでさえ病院といういかにも相手を病気だという意識で追い詰めていることに違和感を覚えていた。なるべく自分は姉のことを、
「この人は病気なのではない。少し悩みを内に篭めているだけだ」
 と思っていたが、それが、どれほど自己中心的な考えであるかということを自分で理解していなかった。
 どこか上から目線のような発想は、つかさにとって自分ではよく分かっていないが、見る人がみれば、違和感があるのだろう。
 女性によくありがちば、
「あざとさ」
 に似ているのではないだろうか。
 姉がそんなつかさをどう感じているかということである。
 介護をする人というのは、身内であれば余計に上から目線という意識が強い。中には、
「どうして自分が面倒みなければいけないの?」
 という意識を表に出したくない一心で、
「私が、この人の面倒を見ているのよ。何か文句ある?」
 という虚勢を張っているかのごとくに見せている人もいるだろう。
 そんな思いと一番受け止めているのは、実際に身近で介護を受けているその人に他ならないだろう。介護を施しているつもりで精神的に相手を追い詰めているという例も少なくはないだろう。
 征服欲のようなものがその人にはあるのかも知れない。自分がいないと何もできないことで、その人のすべてを自分が征服したかのような勘違い。確かに介護を受けている人はその人がいないと生存することができない状態にあるのかも知れないが、その人間の尊厳までも征服できるわけではない。そのことを勘違いしてしまうと、介護を施している人以外に対しても、同じような征服欲を抱いてしまっているかも知れない。
 何かの集会に参加した時でも、自分だけが輪の中心にいて、まわりを牽引しているかのような誤解は、征服欲から繋がっているのかも知れない。団地などでの集団では、その中の一人くらいは介護をしなければいけない立場の人もいるだろう。事情を知っている人は、それなりに対処法も分かるだろうが、まったく何も知らない赤の他人であれば、上から目線で見られると、まずその人に心を開くことはない。亀裂しかないだろう。
 つかさもそんな予備軍にいることを自分で分かっていなかった。今感じていることは、
「私が姉の記憶を何とか取り戻させたい」」
 という思いであり、その奥に、
「それができるのは私だけだ」
 という思いも併用しているはずだが、気付いているのかいないのか、誰にも分からなかった。
「お姉さん、何か思い出した?」
 と聞いても、姉は何も言わない。
 それどころか、悲しそうな顔をすることが多かったのだが。それはあくまでも、姉が自分の記憶を思い出せないことに悲しいというよりも、つかさの中に見える征服欲を感じて悲しんでいるのではないだろうか。もし、姉が自分の記憶が戻らないことに対して感じていることがあるとすれば、苛立ちではないだろうか。だとすると悲しい顔というよりも、歯ぎしりをしているかのような悔しいと思うような感覚の顔になるのではないだろうか。
 教授ならそれくらいのことは分かるだろうが、つかさには分かっていなかった。悲しそうな顔はあくまでも、思い出せないことを自分で悲しんでいるという意識でしかなく、それこそ上から目線だと言ってもいいだろう。なぜなら、悔しい顔になるであろうことは、つかさが相手の身になって考えればおのずと分かってくることではないだろうか。それが分からないということは、つかさが、自分のこよりも姉のことを考えているということであり、自分のことを棚に上げて相手を見ると、どうしても高いところからの目線になってしまう。なぜなら、自分は棚に上がっているからである。
 上から見られるのを、今の姉は嫌だとは思っていないだろう。却って気が楽だと思っているのかも知れない。
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次