悪魔のサナトリウム
記憶を失ったことで過去と隔絶したと思っているので、相手が上から目線で見ている相手は自分ではないという意識でいるのかも知れない。
そんな姉にとって、つかさは妹ではあるが、
「記憶を失ってから。最初にできた友達」
という感覚の方が強い。
それが、姉妹という意識になるのか、弥生は自分の毎日を今までと違って、時計が時刻を刻むのと同じ感覚で、毎日を過ごしている。それだけ感情がマヒしているということであろう。
弥生とすれば、ツバメなどの鳥が生まれた時最初に見たものを親と思うというような感覚で妹を見たのかも知れない。なるほど、姉は生まれたての赤ちゃんも同然であった、元々あった記憶をどう処分したのかは別にして、今ある意識には、
「自分には記憶がない」
という思いしかないからだ。
記憶が消えているわけではなくどこかにあるとしても、今から先に蓄積されていく記憶には少なくとも過去との関連性はないのだ。
――それが記憶を失う意識の一つになったのかも知れない――
と、つかさは素人であったがそんなことも考えた。
過去に持っていた記憶と、これから生まれてくる記憶とがどこかで関係性を持ったら、という恐れを考えたのかも知れない。
それが何かの因果関係であり、思い出したくない。あるいは、思い出すことで、自分に何か危険が及ぶかも知れないという意識が働いたとすれば、姉は天才的な感性を持っていると言ってもいいだろう。
だが、普通に考えてそんなことがありえるだろうか? 将来に起こることを予知でもしなければ、記憶を失うというリスクを負ってまで、過去との関連性を切ろうとするだろうか?
――いや、天才的な感性が人間には元々備わっているのだとすれば、その理屈も分からなくもない。一度、この意見を袴田先生にぶつけてみたい――
とつかさは感じた。
きっとこの考えは、一つの大きな考えの中から、いろいろな派生した発想があり、それぞれの各論の中の一つのようなものだと考えれば、先生が自分に話さなかった理由も分からなくもない。そのうちに姉の記憶喪失のメカニズムが分かってくると、そのうちの各論を話そうかと思っていたのかも知れない。そういう意味では妹が一緒にいて感じたことを話してあげるのも、先生が姉を見る目に何らかの役に立てばそれでいいと感じたのだ。
姉は散歩しながら、何かを呟いているように感じた。まったく聞きとることのできないほどの小さな声なので、姉の表情を絶えず見つめていないと、そのことに気づくことはなかっただろう。
つかさは、最初は見て見ぬふりをしていたが、次第に気になって、
「お姉ちゃん、何をいおうとしているの?」
と軽い気持ちで聴いてみた。
すると姉は、今までにないほどの怯えた表情を見せ、唇が震えているようだった。ただ、怯えているように見えたのは、今までの姉の表情を想像した恐怖に怯える表情であり。今の本当の心境は分からなかった。
だが、
「せっかく気持ちよさそうな顔をしていた姉に対して、こんな顔をさせてしまったのは、私に原因がある」
として、つかさは、
「ごめんごめん、もう聞かないよ」
としか言えなかったのだ。
姉の恐怖に震えるその表情を見てから、さっきの姉の口ずさんでいた顔を思い出すと、何かを口ずさんでいると思ったのは、
「歌を歌っていたのではないか?」
と思ったのだ。
今の姉の表情は、ずっと見つめているからなのかも知れないが、姉が記憶を失うまでと違って、何か表情が急変した時でも、その前の表情が思い出せるほどであった。以前であれば、絶対にそんなことはなかったのに、その思いがあることで、今の姉がずっと無表情だと思っていたのに、想像以上に表情が豊かであることに、その時初めて気づいた気がした。
「まあ、綺麗なお花だわ」
と言って、病院の建物のすぐそばに咲いている花のそばにやってきた。
そこは別に花壇として作られている場所ではなく、無造作に咲いている場所で、確かに作為的に作られた花壇ほど綺麗ではないが、無造作にしては綺麗に生えそろっている。
「ここにいると、私はお花畑の中にいるようだわ」
と、姉が言った。
姉が記憶を失ってから、つかさに対して自分の意見のようなことを初めて口にしたのが、この言葉だった。
「そうね。お花畑のようね」
と、お花畑という言葉を拾い上げたかのようにしていうと、
「そうそう、お花畑なのよ」
と、まるで自分が言いたかったことをつかさが分かってくれたと言いたいのか、必要以上な興奮を見せたのだった。
お花畑というと、空想や妄想を抱くことで、批判・非難されているようなことをプラスに捉えすぎるということで、物事の本質を見抜けない場合の思考を差すことではないだろうか。
それを考えると、姉は自分の記憶喪失に、何か自分に対しての批判や非難があったという意識だけはいまだに持っているということなのだろうか? それを記憶を封印することで排除したのだということを、
「お花畑」
という言葉で表現したかったのかも知れない。
そもそも、意識的に記憶を封印する場合。自分の感じている体感であるとか、記憶自身の中に表に出せない何か負の要素になるものを持っているからではないかと思っている。そんな感覚を姉は持っているのだと思うと、一緒に付き添っている自分まで気が滅入ってくるような気がする。
付き添っている自分もよほどの覚悟がなければ、自分までおかしくなるのではないかと思っておかなければ、記憶喪失者と寄り添うのは難しいだろう。
だが、今の段階では、袴田教授はつかさにそんなことはいわなかった。姉の記憶喪失が人を巻き込むほどの酷いものではないという意識を、袴田教授なりに持っているからであろうか?
つかさは、そんなことを考えていると、花の匂いを嗅いでいた姉が。またふらりと立ち上がって、今度は、フラフラと建物の裏に向かっているのを感じた。
――それにしても、歪なルートだわ――
と感じたが、姉はそのルートをごく自然に歩いている。
きっとこれが姉のいつもの散歩コースなのだろう。姉につきそう看護婦の話では、
「お姉さんの散歩コースはいつも一定ですね」
と言っていたが、先ほどの、
「お花畑」
という表現も毎日のことなのだろうか?
後で、看護婦さんに聞いてみることにした。
(ちなみに、看護婦という言葉は今では看護師というのが正当なのだろうが、作者は敢えて看護婦と呼ぶことにする)
そういえば看護婦さんが言っていたような気がする。
「ここでは、まだ患者の中には、昔からのサナトリウムの感覚でいる人も多いようで、私たちも制服も昔のままなんですよ」
と言っていた。
なるほど、色も薄いグレーの服で、今はほとんど見られないナースキャップもかぶっている。
今ではどこでも珍しくもないマスクも、少し大きめで、聞いてみると、
「ここでは勤務中のマスクは昔から必需品だったので、別に今に始まったことではないので、意識はないわ」
と言っていた。
確かにここの病棟は、昭和の匂いを感じさせる。薬品の臭いも違和感がないのは、病棟自体が昭和の雰囲気を醸し出しているからであろうか。姉もすっかり馴染んでいるようだった。