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悪魔のサナトリウム

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 では、もういch度すべてをリセットしてやり直すことを望むだろうか?
 それこそナンセンスな考えだ。
 今までの人生に不満もなく歩んでこれた人生が、やり直したからと言って歩んでこれるかどうかどこに保証があるというのだ。
「これ以上悪くはならないかも知れないが、決して良くなることはない」
 と感じた。
 そんな人生をやり直してどうなるというのだ。
 たぶん、自分の人生がやり直したいとこでいっぱいだったとして、実際にやり直したと考えても、そこで生まれる人生は、変わることはないだろう。自分が変わらない限り同じなのだ。
 一つ一つのターニングポイントでは、結局同じ選択をするに決まっているのだし、そうなると生まれてくる結果も同じではないだろうか。
 そもそもやり直しをしようと思っても、
「やり直すことなんかできっこないんだ」
 という思いを頭に描いているだけに、うまくいくはずもない。
 それは、夢を見ていて。
「今夢を見ているんだ」
 と感じることと同じである。
 どこか、夢の中に逃げ出したいという意識があることで、夢を見ていると自覚できるからである。普通は夢を見ているとは思っても、本当の夢ならそこで目が覚めてしまうはずだ。それを見続けるということは、きっとその後にはロクな結果になるわけはない。なぜなら、
「目が覚めるにしたがって覚えている夢というのは、怖い夢などの、自分にとって結果が悪い夢ばかりなんだ」
 という意識があるからだった。
 そんな夢をよく見るようになったのは、姉のことがあってからのことだった。
 姉が狙われたのは偶然のことだった。
 最初は警察も怨恨と、通り魔の二つで捜査を行っていた。確かに当時、似たような事件が近所で数件起こっているという話は聞いていた。ただ、姉の場合は一番被害が大きく、しかも、何かを撮られたというわけではないので、強盗傷害というわけでもなかった。
 捜査は傷害事件として捜査を行ったが。実際に犯人が捕まるまでにそんなに時間が掛からなかった。
 犯人は味をしめたのか、姉の事件から頻繁に女性を襲うようになった。防犯カメラと捜査員を増やしての見張りから、犯人を現行犯で逮捕できた。そして、犯人の犯行自供から、姉の事件と結びついたのだった。
 犯人はまだ大学一年生で、愉快犯だったようだ。精神的に病んでいたようで、警察監視の下で治療が行われ、起訴された状態で、このまま裁判に入るとのことだった。
 とりあえず犯人は捕まり、当然裁判も気になるところではあるが、姉の状態はそれとは関係のないことだった。
 家に帰ってきてからの姉は、そのほとんどを家で過ごしていた。引きこもりとは若干違っていて、何かに夢中になることもなく、今はそっとしておくしかない様子で、母親も少し気が重くなってきているようだった。ちょっとしたことで夫婦喧嘩になりかかるが、我に返って思いとどまっている。そんなピリピリした状況が今の家の状態だった。
 姉の表情は相変わらず変わりはない。会社の方も親の方が手杯して、休職扱いにしてもらっている。犯罪被害者なので、それくらいは仕方のないことだろうとは思うが、記憶のない状態がどこまで続くかによって、会社の態度も変わってくるだろう。
――自分の部屋であって。自分の部屋ではないという気分はどういうものなのだろう?
 と考えてしまう。
 何を触っても怒られてしまいそうな気がするのではないか。しかもその怒る相手というのも自分なのだ。
 記憶があっても、記憶を失くした状態を想像できないことで、どう対応していいのか分からず。その不安が分からないだけに、無表情さが怖いのだ。
 だが、親に対しては、まったく無表情ではあるが、妹に対しては若干表情が緩んできているように思う。どうしても自分のことなので贔屓目に見てしまうが、年齢が近いというのも、大きいだろう。
 さらにもう一つ感じるのは、自分が妹だからというのもあるかも知れない。自分の方が年下だと、どうしても親に対して馴染めないのに、姉に対しては馴染めるという理由が、自分の中で見つからないからではないか。
 それを思うと、姉が妹のつかさを慕ってくれているようで、妹としても嬉しかった。
 姉には子供の頃から頭が上がらなかった。成績も姉の方が優秀だし、芸術にしても、姉は絵画にて、コンクールに何度も入選するくらいだった。
 それに比べてつかさの方は、何が得意というわけではない。しいて言えばどれをとっても平均的なところというだけの、実につまらない人間だと思っていた。
 それがコンプレックスになっているのだが。姉三対してのコンプレックスが自分にとっての最初のコンプレックスだったのだ。
 その姉が。いくら犯罪事件に巻き込まれたと言っても、今では自分を頼ってくれていると思うと。これほど愉快なことはない。
 愉快と言ってしまうと不謹慎なのだろうが、それだけ今まで鬱積したものがあったことを、今回のことで思い知らされた。
 実は、姉に対しての尊敬の念を抱いているだけで、コンピ宇レックスを感じながらも鬱積したものはないものだと思っていた。
 それなのに、気付いてしまうと、
「自分が姉を助けなければ」
 と思うことが、これほど楽しいとは思ってもいなかった。
 自分が成長して追いついたのであれば、一番いいのだろうが、姉の方で落ちてきたのである。それなのに、払拭できるコンプレックスというのは。どのような種類のものだったのだろう。
 嫉妬などの思いであれば、こんな感覚に至ることはないような気がする。どちらかというと、今の姉に対して抱く感情が本当は自分の中に元々あって、願望が叶ったかのような悦びから、楽しさのようなものが溢れてきているのかも知れない。
 姉は妹がそんな思いを抱いているなど知る由もなく、妹に頼っているようだった。
「姉さん。散歩にでも行こうか?」
 というと、
「うん」
 と言って、嬉しそうについてきてくれる。
 それは、まるでペットのようではないか。飼っている犬に対して。
「散歩行くよ」
 と声をかけると、尻尾を振って、抱き着いてくるようだ。
 その時には、いつも電流が走っているのではないかと思うほど、身体が反応してしまう。
「気持ちと身体が離れていくようだ」
 と感じることがあったが、この時の姉に対しても同じような感情を抱いたのだった。
 姉の嬉しそうな眼は潤んでいるようだ。何を求めているのか分からないが、目に見えない尻尾がぶんぶんと回っているかのように見える。
 姉はつかさの手をぎゅっと握って離そうとしない。離してしまうとどこかに富んで行ってしまうかのようだが、そんな時、つかさの方では、
「そんなに握られたら、そのまま二人揃って、つり橋から落っこちてしまう」
 とばかりに、よく夢で見る吊り橋の途中で立ち往生しているのを思い出してしまう。
 その感覚を思い出すと、その空間から姉は消えている。自分だけが、別の世界に入り込んでしまって、本当は姉のことを心配しなければいけない立場なのに、自分のことだけでどうしようもなくなってしまうのだ。
――姉のことを考えないようにしようと、わざと、夢の世界を感じさせられるのかも知れない――
 とばかりに、感情が高ぶっていた。
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次