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悪魔のサナトリウム

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 なぜと言って、表情に変化があれば、本当であれば、彼女が回復しているのだろうから喜ぶべきものを、変化のないことにホッとしているようでは、確かに悪くはならないが、よくなるという進展もないということだ。
 要するに、
「よくなるということを捨ててまで、悪くならない方を選んだ」
 ということであり、どちらにしても、まったく身動きできない状態に変わりはなかった。
 たまに夢の中で、目の前には断崖絶壁の崖があり、そこに行くためには、同じく断崖絶壁の谷になっているところの上にある吊り橋を渡らなければいけない。
 なぜ自分が、断崖絶壁の崖を目指しているのかすら分かっていないのに、これから差し掛かる谷に掛かっている吊り橋をいかにして渡ろうかと思っているのか不思議であった。
 だが、吸い寄せられるように渡り始めると、最初は無意識に分かっていたのに、急に途中から風が強くなり、そこでふと我に返るのである。
「何、ここ。私はどうしてこんなところにいるの?」
 夢の中だと分かっているのか、夢の中で夢を見ていたようなおかしな感覚に陥っていた。
 それでも。もう半分近くまできている。このまま進むにも戻るにも命がけだ。少なくともここにとどまるわけにはいかないということだけは分かっていた。
 ここのとどまっていても、そのうちに疲れて、そのまま谷底に真っ逆さまという末路だけは見えていたからだ。
 断崖絶壁のちょうど中間にいるという意識があった。前を見ても後ろを見てもまったく同じ光景にしか見えないからだが、気持ちの中では、
「戻りたい」
 という思いが強かった。
 しかし、意識は違っていた。
「前に行かなければいけない」
 という、使命感があったのだ。
 この使命感がどこからくるのかまでは分からないが、今まで意識と気持ちは同じだと思っていたはずなのに、こうも明確に違うこともあるのか、自分でも不思議だった。
「夢の中だからこそ、そうなのかも知れない」
 と思った。
 夢の中では、夢に出ている主人公の自分と、夢を見ているという観客のような自分とが存在している。意識している自分は、きっと主人公を演じている自分で、気持ちを持っているのは、観客としての自分ではないかと思っていた。
 だが、この時の夢は逆なのではないかと思うのだ。あくまでも表から見ている観客の自分は他人事であるので、意識している方ではないか。そして主人公の自分は演技をしているだけなので、気持ちが入っているのではないかと思えたのだ。
 だが、これもその瞬間瞬間で考えると、実は違っているのではないかと思えた。さすがに瞬間瞬間で考え続けることは無理なので、そこまではできないが、ふと思った時に考えると、どちらが出てくるのか、その時の心境でないと分からない気がした。
「何か、聞いたことのあるような曖昧な表現だ」
 と思ったが、それが姉のことを先生にいわれたあの時ではないか。
 今の姉はその時の自分のように、夢の中にいて、もう一人の自分を意識していながら、どっちがどっちなのかで迷っていることで、表に何を出せばいいのか迷っている。それは姉おうれば、至極当然なことであるにも関わらず、おかしな状況に見えるのは、ひょっとすると、我々の世界の考え方の方が、おかしいのではないかという思いに至っていた。
 もちろん、そんな考えは夢の中だから分かることであって、目が覚めるにしたがって、夢の内容をすっかり忘れてしまうのだが、忘れてしまうことで、自分がいかに今の現実を怪しいものだと感じているかということを感じさせる一つの指標のようなものだと考えられるのであった。
 そんな夢を見た次の日の目覚めは、意外と悪くはなかった。夢の内容もある程度までは記憶していて、一度覚えていることを忘れないうちにと思って、目が覚めてすぐに、メモ程度に纏めておいたことがあった。
 身体を起こして動き始めると、頭の中には他のことが入ってくる。そうするとさっきまで見た夢をほとんど忘れてしまっている、ところどころの印象派あるのだが、それだけに奇抜過ぎる夢の内容は繋げることを許さないのだった。
 メモっておいた内容を、今回目が覚めてから取り出して見てみた。
「なるほど、同じ考えで見ていたようだわ」
 と感じたが、見た時の日付を書いていて、しかも夢の中で少しでも前と違ったことがあれば書いておこうと思ったのに、何も書かれていなかった。
 日付はというと、二週間に一度、つまりは、半月に一度のペースくらいで夢を見ているようだった。
 意識の中では、もっと前だったような気がしたのだが、メモを見ると、
「今書いたとしても、同じことを書くだろうな」
 という思いであることに間違いはなく、その感覚はまるで昨日のことのような錯覚に陥るくらいであった。
 こんなことをしても意味はないのかも知れないが、同じ夢を見たという意識で書いているものであった。
 基本的に夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものであり、覚えている夢というのは、怖い夢であったり、気持ち悪い夢が多かったのだが。こうやってメモに残していると、覚えている夢というのは、
「いつ思い出しても、同じ感覚でいられるような夢だ」
 と言えるのではないかと思えた。
 今回の谷底に掛かる橋の夢は、今までにも何度か見たという意識はあった。しかし、今回は少し違った。それはどこを目指しているために、つり橋を渡ろうとしたのかが分かったことだ。
 前の夢では、そこまで意識していなかったのか、それとも忘れてしまっただえなのかが分からない。ただ、
「断崖絶壁の崖の上などという意識の想定外の場所であると感じるのであれば、忘れてしまったというのは、少し違う気がする」
 と思った。
 断崖絶壁な途中から、すすむこともできず、戻ることもできない。それでも前に進むということは、今回に限って強く感じることだった。
 断崖絶壁に何かがあって、それを目指して進んでいた。今まではその先が分からなかっただけに、却って、前に進もうと思うのだったが、今回は断崖絶壁という目標が分かっている。何があるかが分かっていなければ、そんな中途半端な状態であれば、進もうとは思わないはずだった。
 では、一体何があるというのだろう?
 これは夢であるということが分かっているのだとすれば、夢であっても、自分が生まれ変わりたいという意識に基づくものではないか。だが、今まで自分が生きてきて、生まれ変わりたいであるとか、人生をやり直したいなどという思いを感じたことはなかった。今までの人生で、何か大きな失敗をそやなどというものは、そこまではなかった。
 進学も失敗することもなく。第一志望の学校に進むことができた。就活ではうまくいかなかったが、それでも学生時代からの流れで、パートとして勤めることができた。その間に就活も進めている。
 確かに、今が一番の挫折という意識もあるのは事実だが、だからと言ってやり直したいとは思わない。
 なぜなら、自分だけの問題でのやり直しであるなら、その時点からやり直せばいいのだが、就活のように、社会全体が就職難なのだから、いくら、自分がどこかまで戻ってやり直したとしても、そんなに今と変わらない人生を送るに違いない。
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次