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悪魔のサナトリウム

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 何と言っても、自分から、あのアンタッチャブルな部署を要望するなど、自殺行為もいいところだからである。
 だが、彼の経歴を見ると、
「そんな彼のような研究員のために、あの部署はあるのだ」
 と言わんばかりに言われていることだろう。
 彼のそんな希望が叶い、細菌研究部へ配属されると、研究所でも異色ともいえる、袴田教授の助手という肩書になった。
 袴田教授というのは、心理学にも精通した精神科医で、主に催眠術や洗脳などと言ったところを研究している。
 他の病院にも催眠術や洗脳などを研究する教授はいるだろうが、それらは、少しでも一つの理論ができれば、すぐに治療法に結びつけようとする。
 そのために研究しているのだから。それは当然なことなのだが、実際には、中途半端な状態で治療に使っていると思っているのが、袴田教授だった。
 表にも催眠術を研究している教授がいる。彼は他の大学と同じような研究を行い、すぐに治療に結び付けていくが、袴田教授はそれで満足できるわけではなかった。
 そのために、自分の研究を完成させることが医学界への近道だと思うようになった。だから、中途半端だと自分で思っている間は、治療には使わない、ある意味、
「妥協を許さない研究者だ」
 と言っていいだろう。
 そんな袴田教授は教授会からもあまりよくは思われていない。
「とっつきにくい、昔カタギの教授だ」
 と言われて敬遠されている。
 袴田教授がそれでよかった。
 別に自分が好きでもない相手に好かれる必要などない。
「自分が一人で研究していることを信じればいいだけで、他の人とつるむのは、それだけ自分に自信がないからだ」
 と思っている。
 研究というものが、人を押しのける材料になることを、一般の教授はよしとしないと思っている。ただでさえ、教授などというと、堅物のイメージを持たれてしまうのだ。せっかく大学教授として尊敬される立場にいるのだから、それを自分で壊すなどということをどうしてできるであろう。
 袴田教授が研究を行っているのは催眠術、催眠術によって、治療もできれば、洗脳もできる。治療は最後の総合的な発想として、まずは洗脳の部分からの研究を行う。それが袴田教授の事故理論であった。
 催眠術からの洗脳というと、どうしても頭に浮かぶのは、宗教団体というものである。
 いわゆる、マインドコントロールと呼ばれるものであり、人が不安に思っていること、助けを求めてすがってくる人間を自分たちの考え方に洗脳し、利用するという考え、昔からの宗教ではなく、新興宗教というものの中の一部にそういう傾向があるのは事実であろう。
 かつて、そんな宗教団体がまるでクーデターか、テロ組織なる暴挙に出たことがあった。
 世界を震撼させた事件も発生し、国もそれらの団体に対して、法律の整備を行ったりしたことがあった。
「これは人類に対しての挑戦であり、文明に対しての挑戦でもある」
 と、法律設立のための訓示で、そう言ってのけ、さらには、
「それらの団体を決して許してはいけない。被害者をこれ以上出すわけにはいかない」
 という考えからであった。
 そういう意味で、その事件発生後から、政府も催眠術や洗脳に関しての研究を行ってきた。もちろん、極秘裏にであったが、政府の高官というのは、頭が固いというのか、それとも、見方があまりにも狭いというのか、それらの研究員がいることで、彼らが研究の結果、自分たちが宗教を立ち上げると言った。
「ミイラ取りがミイラになる」
 というような滑稽なことになった。
 しかも、彼らの発生に一躍買ったのは政府であり、研究費用として使われたのは、国家予算と言う名の、国民から摂った血税である。
 それを思うと、どこまで許しておけばいいのか、疑問に感じるところである。しかも政府はそうなってしまったことを、自分たちのせいだとは思っていない。思っていないというよりも、自覚自体がないのだ。自分たちが自らで作ってしまった悪を認めることが頭の中でできないと思っているから、対策も取ることはできない。そのままのさばらせて、最後には法律で彼らを検挙するしかできない。
 それでも、政府に罪の意識がないのだから、第二第三の団体が生まれてくるのは必至で、そのたびごとに、
「どうしてこんなことになるのか?」
 と、一番自分たちが悪いということをまったく見ていない人たちには、やはり対策が打てるはずなどありえるわけはないのだ。
 そのおかげで、
「催眠術を研究している人は、あまりいいレベルではない」
 と政府には思われているようだ。
 自分たちが悪いのに、研究員を蔑むような言い方。これが政府の政府たるゆえんだと言ってもいいだろう。
 研究というものを理解もできない人が、私利私欲だけで世の中を生き抜いてきて。そんな彼らにゴールはないのだ。
 私腹を肥やせば肥やすほど、彼らの中に罪悪感が少しずつ蓄積されてくる。その思いがどんなにゴールを目指しても、ゴールが見えずに迷走することになる。
 もう政治家などに任せておけないということで、K大学は、旧細菌研究所を、政府には極秘で、政府の発想とはまったく別の妥協を許さないやり方で、進めることを選んだ、
 それが、K大学細菌研究所の本来の目的だったのだ。
 政治や忖度などに惑わされる、彼らの感性で進める研究。それがひいては医学界の発展にも繋がる。
 だから、中途半端な状態での発表を行わないという主旨もそこにあるのだった。
 袴田教授もその精神を受け継ぎ、安藤助手も同じ気持ちに変わりはない。
 しかし、教授や研究員は決して自分の気持ちを表に出そうとはしない。だから、袴田教授は安藤氏の、安藤氏は袴田教授の本当の姿を見ることができないのだ。
「自分が見えるということは相手からも見られているということ、自分が見えていることを優先するより、相手に見られることを優先しなければいけないこともあるのだ」
 という考えの元、ここの研究所では、若いのに、研究に没頭できる毎日が楽しくもあった。
 安藤氏はそんな研究の毎日を、
「あっという間に終わることもあれば、なかなか時間が過ぎてくれない時もある」
 と、大学生の頃までと同じ考えだった。
 だがそれは、言葉だけのことで、その気持ちの奥にある感性はまったく違ったものだった。
 学生時代の研究では、なるほど研究の時間は他の人とかかわりがないようにするほど別の時間であり、研究が終われば、飲みに行ったり、カラオケに行ったりと、大学生という普通の側面も持っていて、見た目は普通の大学生だった。
 しかし、研究所に来ると、研究の時間も、プライベートでも感情は変わらない。下手をすれば、寝る時間や食事の時間以外は研究をしていても、別に苦にならないという生活になってしまっていた。
「大学生活があって今がある」
 という言葉は賛同するが、実際にはその考えとは、他の人が考えている思いとはかなりの差があるような気がする。
「研究は楽しい」
 という言葉は、研究所に配属になってからは、皆無であった。
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次