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悪魔のサナトリウム

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「血の繋がり」
 などというただの言葉にしかすぎないと思っている感覚と違って、別の意味で繋がっているという感覚を確かなものにしてくれることで、姉が本当に自分を慕ってくれていて、自分も姉を尊敬しているということが分かるのだ。
 今の姉はつかさを慕ってくれている。つかさも尊敬はしているが、それは過去の姉に戻ってからだと思っていた。
 今の姉に対して、尊敬という感情は、
「傷口に塩を塗るようなものだ」
 という感覚でいるのだった。
 今の姉は、誰に対しても赤ん坊のようだった。誰に甘えればいいのか分からないというよりも、誰に対しても甘えている。
「天真爛漫というのは、あのお姉さんのことをいうんじゃないかしら?」
 という人もいるが、
「そんなこと言っちゃダメ。お姉ちゃんに失礼です」
 と言いたいのだが、それを言ってしまうと、角が立つと思い、角を立てる必要もないところで角を立てることがどれほど無意味なことなのかということを。いまさらながらに思い知えりそうな気がして嫌なのだった。
 週に一度姉のところに通ってくるようになって何度目であろうか? 一度は黄色い絨毯を見た記憶はあるので、昨年の秋口より前だったことは間違いないだろう。学生時代は大学祭の時期でワクワクしていたものだが、今では虚しさ氏感じなくなった自分に寂しさを感じていた。
 最初は普通の病院にいた姉だったが、やはり姉を他の患者と一緒にしておくのをあまりいいことだとは思わなかった家族が、姉をこのかつてのサナトリウムであるK大学病院の特別病室に入れたのだった。
 病院の方でも、ここの病棟を、敢えて別の名前を付けることをせず、そのために、
「特別病棟」
 という名前が浸透してしまったのは皮肉なことだったが、それも仕方のないことであった。
 この病棟の近くにある、旧細菌研究所も今も細菌の研究を行ってはいるが、この頃は精神医学関係を扱っているようだ。
 詳しくはオフレコのようだが、その内容としては、最近術であったり、睡眠療法のようなものを研究していたりするらしい。要するに、K大学病院の本棟では大っぴらに研究できなかったり、他の病院でも極秘に研究が行われている部分を、K大学ではここで行うようになったのだ。
 ここで研究されたことが学会で発表され、今まで表に出ていなかった教授が、その研究で脚光を浴びるようになり、マスコミからの取材や、テレビ出演などで、急に引っ張りだこになり、そのおかげで、今では本棟の方で、この病院で一番有名な先生となったという話もある。
 ここで研究をしている教授のほとんどは、そんな出世を望んでいるわけではない。自分の研究が日の目を見せたいと思うのは当たり前のことだが、だからと言って自分も一緒に表舞台に出たいと思わない人がほとんどだ。
 表に出ることで、自分が表に出てしまうと、二度とここに戻ってきて、表ではできない研究ができなくなることを危惧していた。もちろん、表舞台に出れば、富と名声を手に入れることができ、贅沢な暮らしや、好きなものが何でも手に入るという夢のような世界が待っていることだろう。
 だが、研究への探求心は、何物にも代えられないのだ。そんな気持ちを表に出すと、
「何を言っているの、私たち庶民がほしくても手に入れることのできない人間の欲望の達成が手に入るというのに、贅沢よ」
 と言われることだろう。
 物欲、性欲、食欲、征服欲、それぞれの欲を満たすことのできる世界である。望まないわけはないではないか。
 確かに、誰もが欲しがるもので、そう簡単に手に入れることのでっきないもの。それを手に入れられるのだ。後にはどんな欲が残っているのだろう?
 しいて言えば、欲ではなく、得られる感情というべきではないだろうか?
「満足感であったり、充実感。これは欲望を満たしてしまうと、感情としてはマヒしてしまうのではないか」
 と思う、
「人は、欲を満足させることができたとしても、新たにまた別の欲を持てばいいと簡単にいうかも知れないが、一度欲望を満たしてしまうと、その時の充実感や達成感は、二度と得ることはできない」
 という考えに発展するのだ。
 充実感や満足感を味わうだけでは、また新たな欲を目指していけばいいだけなのに、欲望が一度叶ってしまうと、別の欲望を目覚めさせることは無理なのではないかとおもうのだ。
 そのことに、気付かない人が意外と多かったりする。だから、この研究所で開発した研究を元に、得られた欲望を手放すことができなくなり、それが充実感や満足感を忘れることになるのを、本当に自覚できているのだろうか?
 表舞台に立ってしまうと、
「研究を発表させた教授として、その地位や名声は確固たるものとなり、スキャンダラスなことでもなければ、その地位や名声を失うことはないだろう」
 そのことに固執すると、これまで三度の飯より研究が好きだった教授は、別の人間になってしまったかのようだ。
「別人格なんだ」
 と過去の自分を思ってしまう。
 裏しか知らなかったかつての自分と、今の自分では、別人格であると思いたくはないが、思わずにはいられない。その思いを胸に、自分が研究者の道から、自分が開発、発明した研究を世に広めるインフルエンサーにもなるのだった。
 インフルエンサーが開発者そのものだとすれば、これほど効果のある宣伝もないだろう。これからの時代は今までと違って、開発者によって宣伝する時代がすぐそこまでやってきているのかも知れない。それこそ、研究第一に考えている裏の教授連中が一番恐れていることであろう。
 研究の発表がどこまで自己満足でいられるか、やはり、この場所の存続は絶対不可欠だと言っていいだろう。
 ここでの研究者が、基本的に自己満足に浸っている人が多い。
 助手の安藤氏も同じような感情を持っていた。彼は若くして、ここの研究員を目指すことになったのだが、元々ここの研究員というのは、表の研究員としての下積みがあって、向こうで助教授、准教授、そして教授のどれかの立場を得てから、研究者としての道に邁進したいという思いの元に転属願いを出すのだが、安藤氏だけは、最初から、こちら勤務であった。
 この配属は異例中の異例であり、今まであれば考えられないことだ。
 基本的に、新人でこんなところに回されでもすると、数か月も持たずに辞めていく人ばかりだということは、かつての配属で分かっていることだ、戦後の復興期には、そういう人事もあったが、残る人は皆無だったことで、数年でそんな人事はなくなった。そして、
「新人が、細菌研究部に配属されることはありえない」
 という人事の鉄則になっていた。
 それなのに、どうして彼が配属になったのかというと、
「配属の意帽は、細菌研究部」
 という新入研究員のアンケートに答えた安藤氏に、人事部では少なからず驚いていた。
 彼の学生時代の研究を見ていると、履歴書だけでは分からない。細かい学生時代の研究経歴を見ると、
「なるほど、彼の性格が見えてくるようだ」
 ということで、その内容からは彼の性格が見え隠れしているようだ。
 そんあ彼であれば、
「十分、細菌研究部でも大丈夫だ」
 と思われた。
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次