悪魔のサナトリウム
「一体、何をどう判断したらいいのでしょう? 私はここまで考えてきて、何か分かったつもりでいるんだけど、結局何も分からないまま、意識が戸惑ってしまっているかのように思えてきたんですよ」
とつかさは言った。
「お姉さんがすべてを知っているのは間違いないのだけど、つかささんはお姉さんから何かヒントのようなものを訊いていませんか?」
と安藤に訊かれて、
「ヒントですか? よく分からないですが、今思い出したところによると、姉にはたぶん、彼氏のような人がいたと思っているんです。でも、その人とはどういう人なのかも分からないし、分かっていたとしても、その人が表に出てきてくれないことで、姉の中でその人の意識を、記憶と一緒に封印しているのではないかと思うんです。その人も私たちの前に姿を現すということを一切しようとはしませんからね」
とつかさは言った。
「じゃあ、そういう不思議な人がいるということは間違いないんですね?」
「ええ、そうだと思います」
というところで、話がこれ以上膨らむことはなかった。
大団円
このお話はいよいよクライマックスに入ってきました。
つかさと弥生の姉妹を取り巻く環境は、今はすべてが姉の関係者に絞られてきたが、姉が隠そうとしているものが何なのか、彼氏がいるということを聞いていたのに、記憶喪失になってからの姉に誰も連絡を入れてくる人もいない。そして、姉のことを見舞ってくれる人も最近はいなくなった。
最初こそ、知り合いが来てくれたが、そのほとんどは一度きりであり、
「一度きりというのは、本当の社交辞令であり、様子見という意味合いもあるのではないだろうか?」
とも考えられた。
つかさにとって、姉がどういう感情を抱いているのかハッキリとは分かっていないが、それがすべて記憶喪失から来ているのだとすれば、こんなことを考えてはいけないのかも知れないが、
「記憶喪失というのは、実に都合のいい発想だと言えるのではないか?」
という思いであった。
殺された男が誰だったのか、次第に分かってくることで、姉のところに刑事がやってきたのは、死体が発見されてから一週間が経った頃だった。
「島崎弥生さんですね? こちらは、K警察のものですが、少しお話を伺えませんか?」
と言って、ちょうど看護婦と安藤助手がいるところに入ってきた。
看護婦と、安藤助手と、つかさがその場から立ち去ろうとすると、
「安藤さんと、妹さんは、このままここにいていただけませんでしょうか?」
ということだった。
「看護婦は付き添っていなくてもいいんですか?」
と安藤氏が訊くと、
「ええ、大丈夫です。何かあったら、安相氏がうまくできるでしょう?」
という含みを持った表情になった。
「袴田教授には許可は頂いていますので、そこは安心してください」
と言った。
さらに続ける。
「この間、こちらの表の道で、殺人事件があったのは、ご承知だと思いますが、その被害者というのが、板垣四郎というストーカーのようなことをしている男で、実は昔、麻薬の運び屋のようなこともやっていたので、指紋から被害者が割れました。前にやつが所属していた組は、今では解散していて、彼が殺される理由もそのあたりからはないように思われたんです。どちらかというとチンピラのような感じの男で、鉄砲玉とでもいえばいいのか、少しでも目立って、出世したいというような血気盛んな男でした。いかにもチンピラという感じの男だったんですが、さすがに組がなくなってしまうと、どうしようもなくなって、そのうちに、女に食わしてもらうという紐のような状態だったんです。結構イケメンだったので、騙されていた女性も多かったようですね。その中に。こちらのお嬢さんの名前が出てきたのでこうやって来てみたんですが、どうやら記憶を失っておられるということなので、ほとんど期待はできないかも知れないと思いながら来てみました。ですから、いくつか質問をさせていただき、危ないと思えば質問をやめます。そこで危険の度合いが分かりにくい場合もありますので、そのあたりのコントロールを安藤さんにしていただこうと思っているところです」
と刑事は言った。
「そういうことですね。じゃあ、お願いします」
と、安藤は意外と他人事のように言った。
まるで警察には何も分からないだろうと言わんばかりであった。
「弥生さんは、板垣四郎という男をご存じですか?」
と訊かれて、姉はつかさの方を見て、
「いいえ」
と言った。
「じゃあ、あなたに最近誰か男が近づいてきた記憶は?」
と訊かれて、今度は安藤の方を向いて、またしても、
「いいえ」
と答えた。
刑事はそれを見ながら、何に感心したのか、何かを感じて頷いているようだった。つかさにはそれが不気味に感じられて下かがない。むしろ、不安な感覚を強く持っているのは、安藤の方だった。
安藤は研究室の医者という立場でしかないので、何もそんなにソワソワする必要もない。つかさも、ビクビクする必要もないのにビクビクしているにも関わらず、それ以上に安藤の挙動は不審だったのだ。
「今度の事件ではですね。非常に慌てていたでしょうか? それとも疑われても証拠がないとタカをくくっているからなのか、現場には弥生さんの指紋が結構いっぱい残っていたんですよ。で弥生さんを探してみると、ここで記憶喪失のため、入院しているというではないですか。でも、弥生さんと板垣の線を洗っても、結局何も出てこなかったんですよ。女関係があまりにもたくさんありすぎるので、一つ一つ潰していくのは骨が折れましたね。ただ、その中で、女性関係からか、出てきた中にこの病院の関係者がいたんですね。それが、安藤さんでした。あなたは、自分の前に付き合っていた彼女が、板垣に騙されて精神的に病んでしまった時、自分の催眠療法を試したんじゃありませんか? それが原因でおかしくなった彼女をこの病院にいれば。彼女はあなたや教授の介護の甲斐もなく、最後は自殺してしまった。そこで教授はあなたに催眠療法と記憶喪失に関しての研究をやめさせたんです。教授も自分なりに責任を感じていた。そこで君をここから追い出すことができなかった。それを今は教授は悔やんでいます。ただあなたをこのまま放りだす手も結果は変わらないという意識はあったんでしょうね。難しい選択だったと思います。しかし、そこから先は教授に責任はありません。あなたが、自分で手を下すことをせず、彼女を使って、自分の復讐を企てた。精神疾患であり、何らやつに対して恨みもない弥生さんを巻き込んだのは、あなたの負のループからなんでしょうか? 少なくとも許されることではない」
と刑事は言った。
「じゃあ、殺したのは、お姉さんということですか?」
「ええ、この男がそのように催眠を掛けたんです。そして、最後に記憶喪失の中に紛れ込ませたんでしょう。それがしたかったから、彼女を記憶喪失状態にした」
「じゃあ、最初は記憶喪失ではなかったけど、この男のせいで?」
「ええ、そういうことです。一種のやらせです」
と刑事は言った。
「でも、つかささn、あなたも同罪ですよ」
と刑事は言う。
「どういうことですか?」