悪魔のサナトリウム
「ええ、僕は誰かに聞いてもらいたかったんです。同じ学者であれば、その人の研究にヒントを与えるようなものですからね。私には敵に塩を送れるだけの技量は持ち合わせていませんからね」
と、安藤は気を付けた話し方になっていた。
「そのお気持ちは分かる気がしますね。私も、時々どうしても人に話したくなることがあるんですよ。他愛もないことなんですが、それだけに人は忘れないんじゃないだろうかという勝手な思い込みなんですけどね」
とつかさは言った。
「人に聞いてもらいたいと思うことって、どうしても避けられない気持ちなんでしょうね。私はあまりそういうことは考えないのですが、たまにどうしても聞いてもらいたいことが出てくるんです」
と安藤は頭を掻きながら言った。
「僕は、これでも結構、いろいろ記憶喪失や催眠術について、個人的に勉強したり、研究もしているんですよ。でも、教授の方では、まだ時期尚早を理由に、なかなかそちらの方の研究に携わらせてもらうえないんですよ」
と安藤がいうと、
「それは、ある意味しょうがないのではないですか? 例えば、職人さんなんかのように、本当の伝統芸能や昔からその店などに伝わる秘伝というのは、なかなか弟子には教えてくれないものじゃないですか、料理人なんかは、採取の何年かは、包丁も握らせてくれないなどといいますよね?」
とつかさは言った。
「確かにそうかも知れません、私の実家もそういう職人関係のところなので、そんな話をよく聞かされます。僕は長男ではなかったので、実家の家業を継ぐなどという、そんなことはなくて助かったのですが、大学の研究室ではそこまではないと思っていましたが、少し甘かったですね」
と安藤がいうと、
「でも、教授がおっしゃるのも無理もないことだと思いますよ、何といっても扱っているのが人間の心という生ものですし、デリケートなものですから、間違ってしまうと、すみませんでは済まなくなりますからね」
と、つかさは言った。
それを訊くと安藤は、一瞬ドキッとしていたが、それ以上言い返すことができないようだった。
「そうですね」
と、短く答えると、つかさは続けた。
「姉がどうして記憶を失くしてしまったのか分からないですが、私は何か、そこに他人の手が介在しているような気がしてならないんですよ。姉というのは、優しい人だから、もし、そこに他人が介在するとすれば、よほどの関係がある人、普通に考えれば、家族や恋人、そして、自分にとって、家族や恋人に近いくらいの大切な人ですね」
とつかさがいうと、
「家族や恋人に近いくらいの大切な人というのは?」
と安藤がいうと、
「ハッキリとは分かりませんが、命の恩人のような人であったり、何か大切なことを教えてくれた人であったり、要するに誰にでもいるとは思うんですが、自分にとっての人生を見つけてくれたり、人生の中での恩人と言えるような人ですね」
とつかさが言った。
「それは、尊敬できる人という意味ですか?」
「ええ、それもあります。人によって感じ方はまちまちですね。安藤さんにとっては、尊敬できる人が、今私が言った話の相手となるわけですね?」
というと、
「頭にパッと浮かんだ人がどの人でしたからね。恩人とでもいう感じでしょうか?」
と安藤が言った。
「じゃあ、安藤さんは、その人のためであれば、自分が記憶を失っても、その人を助けたいと思いますか?」
と訊かれて、
「究極の選択になりますね。私なら、そうですね。そこまでは考えないと思います」
と、安藤は答えた。
「それが普通だと思うんですよ。いくら自分に影響を与えてくれた人であっても、いざとなると、なかなか自分を犠牲にまではできませんからね。でも姉ならできる気がする。その人のことをある意味で愛しているならばですね」
「ある意味というのは?」
「恋人としてという意味です。つまり、恋愛感情が存在すれば、相手は恋人になる。もちろん、片想いであれば、恋人と言えないでしょうが、片想いであったら、普通なら、そこまではできないでしょうね。でも、姉の場合ならできてしまう気がするんですよ。それが姉の怖いところだと思うんです」
とつかさは言った。
少し沈黙があって、さらにつかさは続けた。
「だから、私はもし、姉にそこまでさせておいて、その相手はなちゃんと現れるか姉を救ってくれることがなければ、私はその人を恨みます。いずれ見つけ出して。それなりの制裁を受けてもらいたいと思うでしょうね」
と言った。
「でも、今の話は想像なんでしょう?」
「ええ、そうです。でも、私の中で、今限りなく真実に近いことだと思うようになっているんですよね」
とつかさは言った。
安藤は何かに覚えているような気がする。
実はつかさには、何か思惑があって、こんなことをいったのだ。姉が記憶喪失になったのは、
「私がまったく知らない人間か、あるいは、あまりにも身近過ぎて、見えない存在の人ではないか?」
と思っているからだった。
人間には、
「路傍の石」
という意識があるのだとつかさは思っていた。
路傍の石というのは、
「いつも見ているのに、その存在が当たり前過ぎて、目の前にいても、見えているのに、意識がない」
というものである。
目の前に石ころが落ちていても、それをいちいち意識するだろうか? そこにある石が昨日と少しずれていたとしても、気付く人など誰もいないだろう。
もし誰かから、
「あそこの石のことなんだけど」
と聞かれたとすれば、
「えっ、あんなところに石なんてあったかしら?」
という程度の意識しかないことだろう。
見えていて、網膜に刻み込まれたはずなのに、意識していないので、当然記憶に残るわけもない。
だが、逆に人間には、意識していないことでも記憶として残っていることがある。まるでデジャブ現象のようだが、デジャブという現象を科学的に解明されているわけではないので、その発想から繋がっているという説があっても、別におかしくはない。
普通であれば、
「何か意識していることと、自分の記憶がうまくかみ合わない時、見てもいなかったものを見たという感覚に陥ることで、意識の辻褄を合わせようとすることがデジャブ現象を引き起こすのではないか?」
という説につかさは、惹かれていた。
今まで数えきれないほどの石ころを見てきたが、石ころの方がこちらを意識したと思えるようなことがあったような気がする、
ふっと思わず、その石を見つめてしまったことで、目の前に転がっている石だけが何を感じさせるというのか。石のまわりに何があったのか、石を引き立てる何か存在があったことで、石に意識が向いたような気がした。
つまり、自分から石というものは自己表現できないのだが、まわりのものによってその存在を証明させるかのような、
「衛星のようなもの」
と言えるのではないだろうか。
月のように、太陽の光を浴びるか、太陽の光を浴びた地球の影となってその存在をあらわ閉めるかというものである、
しかし、地球にとって月というのは、その存在は、地球の存続に大いなる力をもたらしている、
有名なところでは、
「潮の満ち引き」