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悪魔のサナトリウム

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「萩というところは、毛利家が関ヶ原の戦いで敗れていわゆる左遷されたところなんだけど、その毛利家の墓があったり、海岸線には、小さな火山があったりね。夏みかんが名物で、何といっても、道路のそばにある溝には、鯉が泳いでいるのよ。そんないろいろな場面を見せてくれる時代を超越した街という感じがお姉ちゃんはするのよね」
 と姉は言っていた。
「そうなんだ。もっといろいろありそうね」
 というと、
「お殿様がいたので、お城もあったのよね。それにあの街は、萩焼という焼き物の街でもあるの。何でもありという感じかしらね?」
 と姉は教えてくれた。
「私も行ってみたいわ」
 とつかさがいうと、
「今度、一緒に行ってみようかしらね?」
 と言っていたが、何しろ山口県というと結構遠い。しかも、日本海側になるので、新幹線の駅からも結構離れている。移動するだけで一日がかりになってしまうというものだ。
「夏みかんって、何か懐かしさを感じるの。以前、どこかの空き地のようなところで夏みかんを見た気がしたの」
 と言ったが、この意識は、まるでデジャブを感じさせた。
 なぜなら、姉が入院しているサナトリウムの庭には、夏みかんの気が植わっていたのだ。
 まだ食べるには時期尚早だということだったが、なっているのを見ると、行ったことがないはずの萩に行ったかのような気がしてくるのは、なぜなのだろうか?
 姉も、表の夏みかんが気になるようで、いつも、その場所まで行って、手で触ってみている。最近では、鉛筆とスケッチブックで夏みかんの木をデッサンしていた。
「お姉ちゃん、あんなに絵がうまかったかな?」
 と思うほどの技で、妹のつかさをビックリさせていた。
「夏みかんの木は、本当に素敵」
 と姉は言っていた。
 そういえば、姉は一人で萩に行ったことがあり、その時夏みかんの絵を描いたことがあると言っていた。その絵は姉の部屋に飾っているという話だったが、姉がいる間は姉の部屋には入ってはいけないということで、姉が高校生以降から入ったのは、記憶喪失になってから一度退院した時に介添えで部屋に入ったその一度キリだった。
 その時は、まわりを気にする余裕はなかったが、第一印象とS手、
「だいぶ子供の頃に比べて部屋のイメージが変わった」
 ということであった。
 壁には何枚かの絵が飾られていた、それは意識していたが、ゆっくり見る暇があるはずもなく、姉の絵が飾られているのかどうかまで考えることはできなかった。
 ただ、今思えば、あれは姉が自分で描いた絵だったのかも知れないと思う。根拠はないが、姉が部屋に自分以外の絵を飾るとは思えなかったからだ。自分も絵を描いているのだから、まずは自分の枝と思う。
 いくらプロの絵だと言っても、
「人の絵を飾ってどうする?」
 という考えのはずだと思うからだった。
 その時に夏みかんもあったような気がするが、思い出せなかった。家に帰ってから見てみようと思う。
 姉が絵を描いているシーンを以前に見たような気がした。どこでだったのか覚えていないが、一緒に旅行に出かけた時だったような気がする。
 確か滝の絵を描いていたような気がする。
「滝の絵って難しいんじゃないの?」
 と聞くと、
「うん、難しいわよ。これほど難しい絵はないわ。でも、それだけに言い訳ができるのよ。下手だとしても、下手鳴りにね」
 と言って、笑っていた。
 本心というよりも、意識して言っているという感じだった。
 絵というと静止画のイメージが強いが、確かに動いている絵を描くのは難しいだろう。ただ実際に動いている絵を描いている人は、ほぼ動いている絵専門ではないかと思うのは、つかさの偏見であろうか。
 だから、姉も描いている絵が、最初は静止画だったはずのものが、次第に動いている絵に趣向が変わってきたのではないかと思うようになってきた。
 姉が、記憶喪失になる半年くらい前に旅行に行ったことがあった。
 確かあの時は栃木県だったように聞いていたが、ひょっとすると、華厳の滝にでも行ったのではないかと思ったのだ。
 何も姉の専門が滝だと限定しているわけではないが、今思い返してみると、確か姉の部屋にあった絵の中に、滝の絵もあったような気がした。
 だが、先ほど、姉が絵を描いているシーンを見たと言ったが、それは実際に見たわけではなく、絵を描いているシーンを夢に見た記憶があったからだ。
 どうして滝を描いているシーンを夢で見たのか考えてみると、それは姉の部屋で見たからではなかっただろうか。
 ということであれば、その夢を見たのは、姉の部屋に入った時、つまり、姉の記憶が喪失してから後のことだということになる、
 中学時代までは、何度も入っていた姉の部屋。あの頃は、
「広い部屋だな」
 と思って羨ましく感じられたが、今になって思うと、錯覚だったのかも知れない。
 姉の介添えで入った時、明らかに狭く感じた。元々が広く感じていたので、普通の人さだったとしても、狭く感じるものなのだろうが、圧迫感を感じさせるものだっただけに、余計に狭さが感じられたのだ。
 それが絵のせいだったのではないかと思う。しかも滝の絵もあれば、その迫力に押されたと言ってもいいだろう。
 圧迫というものがどういうものなのか、つかさの中で何ともいえない感覚が芽生えていた。
「絵というものを描いているとね。たえず、先々が見えてくるというのか、考える暇もないほどに筆が進むの。むしろ、考えてしまうと、思っていたような絵は描けない。だから、絵を描けるかどうかは、真っ白いキャンバスやスケッチブックを目の前にした時点で、すでに決まっている、いや、すべて終わっていると言ってもいいくらいなんじゃないかって思うのよ」
 と姉が言っていた。
 ここから先は、夢ではなく実際に聞いた話だったんだけど、姉に対して、滝の絵を描いているのかを訊いてみると、
「ええ、描いているわ。動くモノが最近気になるようになってね。でも、今は、大げさな動きのものがきになるわけではなく、微妙な動きだったり、小刻みな動きが気になるようになった毛や海などの波紋だったりね。海は波そのものなんだけど、池などは風によって起きる年輪のような波は、実に気になるものなのよ。そして、細菌気になっているのは、コーヒーを淹れたカップを上から見た時ね。コーヒーの微妙な色が私は好きなの。元々私はミルクは入れないので、本当のコーヒーの色を楽しむの。あの色は実は透き通った色であって、向こう側を見通せるんじゃないかと思うの。アイスコーヒーのようにグラスに入っていれば見えるんだろうけど、アイスコーヒーの豆はアイスコーヒー用で、少し濃いものなので、なかなか向こうが見通せないので残念な気がするんだけどね」
 と言っていた。
 記憶を失っていても、自分が自分で理解した内容は、そう簡単に忘れるものではないのだろう。
 特に姉のように絵を描いているという人は、自分の世界を持っていて。その世界を開発するということは、きっと記憶の中でも忘れたくないものとして意識されているものだったのではないだろうか。
 この間、散歩の時、いつもは缶コーヒーなのだが、
「喫茶店でコーヒーを飲みたい」
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次