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悪魔のサナトリウム

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 いわゆるSNS、ソーシャルネットワーキングサービスということらしいが、社会的ネットワークの構築ということである。
 つまりは、今の時代、人を誹謗中傷しても、社会的に許される世界が広がっているということでもあるのだ。それがどれほど危険なものなのかということである。テレビドラマなどでも、SNSに対して、皮肉を込めた内容の作品が作られているのも、一つの社会現象であろう。
 そういう意味では、姉のように記憶を失ってしまったというのは、世の中の嫌な部分を見なくていいという意味ではいいことなのかも知れないが、そもそも姉の方でそこまで分かっていて、記憶を格納しようとしていたのだとすれば、根拠のある記憶喪失なだけに、記憶を取り戻させるのが本当にいいことなのかという思いも働いて、自己嫌悪の引き金になってしまうのではないかと考える。
 つかさがどうしてこれほど自転車を憎んでいるのはどうしてなのか? そういえば、どうしてなのか、自分でも不思議だった。
 自転車に乗るのが今でも怖い。実際に練習をしていたという記憶はあるのだが、自転車をいかに運転していいのか、感覚がまったく分からない。
 姉も自分も自転車に乗らない。
「そういえば、安藤さんも車には乗るけど、自転車には載らないと言っていたっけ」
 というのを思い出した。
 自転車に乗らないというだけで。これほど自転車に対して怒りを感じるものだろうか。まるで自分が歩道を歩いていて、ぶち当てられたみたいな怒りではないか。
「自転車に轢かれそうにでもなったのかな?」
 と思って思い出そうとするが、そんな感覚はなかった。
 自転車の練習をしていたのは、確か小学二年生の頃、姉が小学三年生の頃に自転車の練習をしていたが、急に途中で練習するのをやめていた。何でもできるまでやっていた姉にしては珍しかった。
「自転車なんて、誰でも乗れるようになるんだけどね」
 と母が言っていたが、やはり姉はそれ以降も練習したが乗れるようにはならなかった。
 つかさは、
「自分だけでも乗れるように」
 と思っていた。
 今までは姉の方が自分よりも優れていて、友達からも、
「お姉ちゃんは何でもできる」
 と言われて羨ましがられたが、できるのは姉であって、自分ではない。
 その思いが強いことで、つかさは、それが姉に対しての妬みであることを自覚していた。
「お姉ちゃんのようになりたい」
 とは思っていた。
 しかし、お姉ちゃんのようにというとことで線を引いてしまうと、姉以上にはなれないということを、小学生低学年の頃には理解していなかった。
 いや、理解していなかったというよりも、まずが姉に追いつくことが先決で、それ以上になろうと思うと、努力するしかないということは分かっていたが、どうしても、姉を意識してしまうと、姉以上になれない気がして仕方がなかった。
 自転車に乗っている人を見ていても、決して羨ましいとは思わなかった。中学生になると、友達が、
「サイクリングにいかない?」
 と誘ってくれたが、つかさが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、違う友達が、誘いかけた友達に耳打ちをすると、誘ってくれた友達は、申し訳なさそうに、
「ああ、ごめんなさい。もう誘わないわ」
 と言って、申し訳なさそうに去って行った。
 つかさが自転車に乗れないことを気の毒に思ったのだろう。つかさとすれば、そんなことはどうでもよかった。それよりも、変な気を遣われてしまったという方が少し気になってしまうことであり、
「いいのよ。気にしていないわ」
 と言っていいものかどうか分からなかったので、何も言わなかった。
 もし、自転車に乗れたとしても、行かなかったように思う。そもそも、集団でどこかに行くというのはあまり好きではなかった。中学時代まではである。
 高校生になってからは、旅行など誘いがあれば、出かけるようになった。それだけに自転車は、本当に載れないという理由で断っていたかのように思われていたのだろう。
 中学生時代には嫌だったかも知れないが。高校生になってからはあまり気にしなくなってきた。それだけ、高校に入ってから、まわりから誘いをたくさん受けるようになったということである。
 だが、旅行に行く場所も気を付けなければいけない。場所によっては、レンタサイクルでの観光が主流のところもある。自分だけ自転車に乗れないからと言って、まわりの人を巻き込むわけにもいかない。自分からレンタサイクルのない観光地を探してくるようにするために、
「旅行先の候補は私が探して、情報も集めておくわ」
 と言って、率先するようになった。
 最初の頃は、それでもよかったが、そのうちにつかさの考えに気づいた人が、
「今度は私が探してくるわ」
 と言って、探すようになると、つかさの居場所がなくなってしまい、そのうちに旅行はおろか、友達グループにも参加しなくなっていた。
――これはしょうがないわ――
 と、つかさも諦めていた。
 そして、つかさは友達の間から浮いたような存在になった。そんな時、救いの神だったのが、姉だった。
 姉は大学生になっていたが、友達とはそれなりにうまくやっていた。自分から自転車には乗れないことを公表していたが、まわりに気を遣わせないテクニックを身につけていた。
 それだけに、仲間も結構いて、旅行に誘われることも多く、そんな姉のことを皆が考慮して、レンタサイクルがありところでも借りないようにしていた。
 そんな姉が、
「つかさもたまには旅行にでも行った方がいいわよ」
 と言って誘ってくれた。
 最初は、家族も、
「女の子二人だと危なくない?」
 と言われたが、
「大丈夫、女子大生二人とかだと変な奴に引っかかるかも知れないけど、姉妹だったら、よほど、危ないエリアに入り込まないかぎり大丈夫」
 と姉が言った。
 それは、半分ハッタリであったが、姉の言葉には説得力があり、
「弥生がそこまで言うならね」
 と、心配はしていたが、許してくれた。
 それだけ姉は家族から信頼もされていたのだ。そんな姉が記憶を失ったのだから、両親のショックもそれだけ大きかったに違いない。
 姉について旅行に行ったのは、何回あっただろう。つかさが大学生になってからも、姉と一緒に旅行していた。ただ、大学時代には友達も結構でき。一緒に旅行する人もいたりした。大学生になれば、別に自転車に乗れないくらい、気にするほどのことではないようだった。
「お姉ちゃんは、いっぱい旅行していると思うんだけど、どこが好きだった?」
 と聞いたことがあった。
「うーん、いろいろ好きなところはあるけど、いきなり頭に浮かぶとすれば、萩かな?」
 と言っていた。
「萩ってどこになるの?」
 とつかさが訊くと、
「山口県よ。長門の国というところでね。江戸時代は長州藩があったところ。だから、維新の元勲と呼ばれる人たちが生まれたところと言えばいいかな? でも、私はそれだけじゃないのよ。萩が気に入っているのは」
 という姉に対して、
「どうしてなの?」
作品名:悪魔のサナトリウム 作家名:森本晃次