悪魔のサナトリウム
坂道をブレーキも踏まずに歩道を人をすり抜けるように、猛スピードで駆け抜けていく。歩行者は後ろに目があるわけではないので、少しでも自転車を運転している人の想定外の行動があった場合どうするというのか、例えば道に避けなければいけないものがあれば、歩道は基本的に歩行者専用なので、普通は走行してはいけないはずである。
法律もそうなっていて、基本的に走行可能という標識がない場合、自転車が歩道を走るのは道路交通法違反である。
「通行区分違反」
ということで、罰則として、
「三か月以下の懲役、または、五万円以下の罰金」(2021年月現在)
ということになっている。
法律はどんどん厳しくなっているので、これ以上の罰則になることはあっても、これ以下になることはない。
つまり、自転車が通行してはいけない歩道を走るということは、自動二輪車が、歩道を我が物顔で走っているのと同じことである。読者諸君は、そんな光景を見たことがあるだろうか? バイクが走っているとすれば、それは当然、誰もが反論するはずである。
ただ、自転車であっても、走行可能標識がなくても走れる場合がある。
一つは、児童である場合、そして老人である場合、そして身障者(身障者の場合は、その度合いも考慮が必要であろうが)、または、本来通行するはずの自転車が、客観的に見て走行が困難な場合、それだけに限られるのだ。
今の。
「客観的」
という言葉であるが、これは、自分での判断ではいけないということだ。
「誰の目から見ても、走行困難でなければいけない」
という意味での、
「客観的」
という言葉である。
果たして、今我が物顔で走っている連中に、それらの条件を満たしている人がどれだけいるだろう? いや、誰もいないと言ってもいいだろう。満たしているのであれば、そもそも車道を走ることが危ないということで補導走行が許されているのだから、爆走などするはずがないからである。
身障者や子供にそんな爆走は危険でしかない。これは危険走行とみなされても仕方のない案件であろう。
また、道路交通法では、
「いかに自転車が歩道を走っていいという場合であっても、あくまでも歩道は歩行者優先である。つまり、歩行者が広がって歩いていても、それを自転車に乗車している人間が、歩行者に対して、クラクションのようなものを鳴らすことは許されない」
ということである。
どうしても、先に行きたいのであれば、自転車から降りてしまうと、同じ歩行者なので、
「どいてください」
ということもできるだろう。
そう、違反走行をする連中には、そもそもそんな簡単なことを理解するという頭もないのだ。まだ悪いと思う気持ちがあるのであれば、まだしも、まずそんな人はいないだろう。悪いと思っていれば、歩道を走るなどという暴挙はないはずだからである。
自転車がやむ負えず歩道を走らなければいけない状況になった時は、自転車は決して歩行者の侵攻の邪魔をしてはいけない。そして。危険を感知するのは自転車の方であって、接触なりの事故があった場合は明らかに、自転車が悪いのだ。
横断歩道で、赤信号を無視した歩行者を車がはねたとしても、悪いのは車だということは、運転していない人でも誰にでも分かることだ。歩道においてであろうがなかろうが、一番弱いのは人間であって、自転車であっても接触などの人的トラブルがあれば、圧倒的に立場上不利なのは自転車ということになる。我が物顔で走っている連中には、そんなことはこれっぽっちも感じていないことであろう。
最近では、自転車に対しての罰則もいろいろあるようで、世相に照らした罰色もある。
昔であれば、手放し走行であったりなどであろうが、細菌では、手放し走行に付随する形になるが、スマホを見ながらお走行であったり、電話を掛けながらの走行などもそうである。もちろん、昔から言われている、二人乗りやヘルメットの未着用など、当然罰則となるものである。
さらに、自転車が加害者となる歩行者に対しての事故ともなると厄介である。
もし相手がけがをしたり、ひどい場合には死んでしまうことだってある。けがをさせてしまうと、当然警察に届ける必要がある。これも道路交通法では自転車は軽車両となるので、損害賠償が生じてくるだろう。
しかし、なかなか自転車の事故まで予見して、自転車保険に入っていない人もほとんどではないか。そうなると、賠償のすべてを負わなければいけなくなり、相手との話がこじれると、自分で弁護士でも雇って、中に立ってもらわなければいけなくなる。そうなると、さらにお金もかかるし、時間もかかる。相手が後遺症が残ったり、死んでしまったりすると、その人の人生は終わったも同線だと言えるだろう。
「もし、あの時」
と思っても、すでに後の祭りである。
「ごめんで済んだら、警察はいらない」
という言葉もあるが、後から謝ってもどうにもならないのだ。
そんな状態を警察というものが助けてくれるはずもなく、
「かわいそうだ」
と思ってくれる人もいない。
何といっても、被害者ではなく加害者なのだから。
徒歩の人だって、同じことが言える。走行中、スマホを見ながら歩いていて、誰かに接触してその人がバランスを崩して歩道から車道にはみ出した時、運悪くそこに車が来ていればどうだろう? 基本的にスマホを見ていたことが事故を引き起こしたと言えるかどうかがカギなのだが、この場合は言い訳は一切できない。今はいろいろなところに防犯カメラが設置されているので、言い訳は一切きかない。
「スマホなんか見ていませんでした」
と証言したとしても、簡単に分かるウソである。
防犯カメラだけでなく、まわりの目だってあるのだ。
そんな見え透いた嘘をつくやつは、情状酌量も次第に薄れていく。
「被告には反省の色がなく、極めて悪質」
などと裁判官が判断すれば、下手をすれば殺人罪にもなりかねない。
真面目な話、その人の人生はそこで終わってしまうことになるだろう。
そういう意味での事故が発生した場合、歩行者や自転車は、そもそも被害者にしかならないという安直な考え方をしていることから、取り返しのつかないことに発展するのである。
発展すると言っても、結局はちょっとしたことから派生しただけのことで、冷静に考えてみれば、
「そんなこと、ちょっと考えれば分かる。当たり前のことだ」
と言えるのではないだろうか。
これを訊いて、まるで他人事のように考えている人も多いだろうが、これらのことは、誰にでも起こることだと考えておかないと、
「あの内容は自分への警鐘だったのだ」
と思ってみたところで、もうどうしようもない。
「誰も助けてはくれない」
ということを、普段から感じておかなければ、いざ事件が起こってからではどうしようもない。
世間というものは、ネットでいくらでも言いたいことが言える。相手を目の前にしていれば、気を遣って言えないことでも、罵詈雑言、いくらでもいえるのだ。
それだけ日頃のうっぷんを持っている人であれば、言葉も辛辣になるというものだ。