悪魔のサナトリウム
確かに中学時代は、姉と一緒に散歩するのが好きだった。
夜遅くなってというのは危ないので、お互いに学校から帰ってきてから、少しして、姉が誘いにくるのだった。
「つかさ、散歩行くわよ」
と言って、屈託のない笑顔を示す姉に、
「ええ、ちょっと待ってね」
と、本当はすでに用意はできていたのだが、わざと少し時間を作るようにするのも、つかさのやり方だった。
と言っても、そこに何かの曰くがあるわけではなく、ちょっと間を置くというのが、姉といつもベッタリの自分にとって、少し距離を置く代わりのワンクッションだと思っていたのだ。その妹の心境を姉は知っていたのかどうか分からないが、結局何も言わないのだった。
「お待たせしました」
と言って、ラフな格好になると、姉もその姿を一目見て、
「うんうん」
と頷いて、一緒に表に出た。
コースは決まっていて、途中、公園に立ち寄るが、その前に自動販売機でジュースを買っていく。姉はコーヒーだが、つかさはオレンジジュースだった。
「コーヒーとかよく飲めるわね」
と姉に聞くと、
「つかさも、そのうちに飲めるようになるわよ」
と言っていた。
「そう? 私はそんな気はしないんだけど?」
というと、
「sおれは今だけのことよ」
と言って、笑っていた。
だが、確かに姉の言う通り、大学生になってから飲めるようになった。先輩に喫茶店に誘われ、先輩がコーヒーを注文すると、自分もコーヒーを飲まないわけにもいかない。そのうちに、コーヒーがいつの間にか好きになっていたのだった。
大学生になると毎日のように飲み始めるようになったコーヒーだが、中学時代には飲めなかった。
「コーヒーって大人の飲む飲み物」
ということで、ビールと同じ括りで見ていたのだ。
確かにビールは年齢制限があるので、明らかに大人の飲み物だが、コーヒーの場合は、子供の頃に親からだったと思うが、大人から、
「コーヒーは子供が飲み物じゃありません」
と言われたものだった。
その理由がその頃にも分からなかったし、中学時代にも分からなかった。だが、大学生になって飲めるようになってから分かったことは、
「コーヒーは呑み始めると、毎日でも飲まなければ気が済まなくなってしまうから」
ということであった。
だからこそ、大人は子供の頃から飲むものではないということが言いたかったのであろう。もし、自分が大学生になって毎日飲むようになっていると、中学生の自分に対して、
「まだ、コーヒーは早い」
という言い方をしただろう。
大人の飲み物という言い方の方が、言い方としては柔らかいのだろうが、つかさとしては理由を知りたいという意味では、少々きつめの、
「あなたにはまだ早い」
という言い方をされた方がいいと思うのではないだろうか。
それを思うと、高校時代の姉がどうして、自分にコーヒーを飲むように勧めていたのかということが分からない。
姉が自分と違った感性を持っているからなのか、それとも、あくまでも妹であっても、別の発想を持っていて、それを認めようとしているのではないか、もっと他にも……、と考えるのであった。
つかさにとって姉が自分のことをどのように考えていたのかということを思い返してみるのは、きっと今だけのことであるとは思っていた。
姉がどうして記憶喪失になったのかは分からないが、つかさにとって姉を正面から見てみたいと思える唯一の機会なのではないかと思うようになっていた。
それは、自分が姉に寄り添っていることの理由として、自分に言い聞かせている理由付けだと思っていたのだ。
「つかささんは、お姉さんを見ていて、どこかが変わったように見える?」
と看護婦さんに聞かれたが、
「私は一度家に戻ってからの姉も知っているので、ずっと見ているだけに却って分からない部分の方が多いのよ。そういう意味では看護婦さんの方が途中抜けているだけに、どう感じているのかを訊いてみたいわ」
というと、
「私は、その抜けている間も、ずっと何も変わっていないかのように思えるほどなの。戻ってきた時、まるで昨日までここにいたかのような錯覚を覚えたわ。それが今の質問の答えというところかしら?」
と看護婦は言った。
その言葉で、何が言いたいのか分かった気がする。だが、姉が家に帰ってきた時は、少し変わっていた。そのことは自覚していただけに、看護婦さんにそのことを言おうかどうか迷ってしまった。本来であればいうべきなのだろうが、つかさは躊躇した挙句、そのことをいうことをやめたのだった。
そんなことを思い出しながら散歩していると、姉が、
「喉が渇いたわね」
と言って、ベンチの近くん座り、缶コーヒーを開けて、飲み始めた。
実に美味しそうに飲むのを見ていると、つかさも同じように買ってきた缶コーヒーを開けて飲み始めたのだが、何か美味しいという気分ではなかった。
缶コーヒーは、実際にお店で飲むコーヒーに比べれば劣るのは当然だが、嫌いではなかった。それなのに、その時は実に苦いと思ったのだ。
――こんなに苦かったかしら?
と思ったが、姉は構わずおいしそうに飲んでいる。
最初の二口目くらいまではおいしかったと思ったが、それ以降は飲む気がしなかった。顔もまずいというのを隠す気もなく、さぞや苦そうな顔をしていたことだろう。
姉はそんな妹のことを意識することなく、ぐいぐいと飲んでいた。
あねがあまりにもおいしそうに飲むので、妹のつかさもつられるように飲んでみた。すると、最初こそ苦くておいしさが分からなかったが、次第に苦さを感じなくなってきた。
今までであれば苦さを感じなくなると、味に対して感覚がマヒしてきたのだと思い、ただのお湯を飲んでいるというくらいにしか感じなかった。それなのに、今回は苦さだけが取れて、コーヒーの味は残っていた。しかも、まろやかさを含んだ味なので、コーヒーの後味がそのまま最初の味になっている気がした。
つかさはコーヒーの苦みは嫌いで、後口に残ったまろやかさと、コルクのような香ばしさが好きだったのだ。
もちろん、コルクが食べられるわけではないが、ワインなどを呑む時、コルクの味が残っているような気がしていて、それがまろやかさを運んでくるようで好きだったのだ。
昔、コーヒールンバという歌が流行ったと聞いて、歌詞を調べてみたことがあったが。確か不思議なムードで男は若い娘に恋をしたというところがあったような気がした。子供の頃だったが、
「女が若い男に恋をしてはいけないのか?」
と思ったものだった。
だが、どうせなら好かれたいと思うのも女心というものだろう。
いや、そうではなく。男であれば、女性から好かれたいという思いを抱くことは多いだろうが、女性の方とすれば、好かれるよりも自分が好きになる方が大切だと思うのではないかと思った。
それは女性に限ったことではない。男性でも同じこと。
「好かれるよりも好きになれる相手が目の前に現れてほしいと思う方が強いのかも知れない」
と感じた。