悪魔のサナトリウム
ということで、別の意味で、それぞれに抑制が掛かっていたのかも知れないと感じることだろう。
だが、実際には三すくみだったわけではなく、あまりにも三人とも発想が違いすぎて、すれ違ったことすら分からないようになっていたようだ。
つかさはその日も姉の見舞いにやってきていた。いつものように今日も散歩をさせていた。しかし、姉の様子は少しいつもと違っていた。そのことを看護婦も分かっているようで、今日はいつもは二人きりにしてくれる看護婦も、
「少しいつもと様子が違うようなので、それが気になるから」
ということで、一緒についてきてくれることになった。
確かにどこかいつもと違うようだった。一つ気になったのが、手首から先に力が入らないのか、何かを持とうとすると、腕が痛いのか、手首の部分を抑えて、引きつった顔になっていた
「どうしたんですか? 弥生さん」
と、看護婦が話しかけても、しかめた顔を戻すことはなかった、
再入院してから数日が経ち、以前の看護婦が付き添ってくれているので、姉は今では看護婦にだけは従順だった。元ともまわりの人には従順な、
「見た目いい子」
だった姉の片鱗が見えているようだった。
そんなお姉さんだったので、看護婦の方も、ちょっとした違いがあれば分かるようで、
「今日は明らかにいつもと違うんですよ」
と言っているくらいなので、妹のつかさが気にならないわけもなかった。
だから、散布に看護婦も同行してくれるというのを断るわけもなく、ありがたく承知したのだ。
「何か危ないような雰囲気はあるんですか?」
と聞くと、
「それはありませんが、どうも手首から先がかなり痛いようで、筋肉痛か何かではないかと思うのですが、その理由が私には見当もつきません」
というのだった。
「ねえ、弥生さん。まだ手首は痛いですか?」
と聞くと、姉は手首から先を振り回すと、やはり痛そうな顔になった。
それが姉の答えだった。
「ああ、いいですよ。もう」
と、看護婦が答えると、姉もそれ以上のことをやめた。
この様子を見ている限り、以前の姉の性格や行動パターンの片鱗が見えているようで、つかさは一抹の不安が取れた気がしたが、なぜ手首が痛いのか、自分でも理由が分かっていないだけに、つかさは気になっていた。
つかさが見舞いに来てからは、少し姉に話しかける形の行動をとった後散歩に出かけるのだが、今日は少し様子が違っているということで、あらたまって話をするよりも、散歩がてら話しかける方がいいと思い、まず散歩に出かけることにした。
いつもは昼からくらいだったが、この日は昼前である。いつもは眩しくない場所が眩しかったり、普段は食事の後なので、少し眠くなるような心地よさだったりしたが、どうもそのあたりの違いは、姉が一番感じているようで、どう表現していいのか分からないので何も言わないが、その様子を見ていると、何か言いたそうでもどかしさが感じられた。
そのもどかしさは、つかさや看護婦の側にもあるようで、二人の方とすれば、
「もどかしく感じるくらいであれば、何でもいいから話してほしいんだけどな」
という思いがあったのだ。
何かを話してくれれば、気持ちの奥底まで分からなくても、こちらとしては分かろうと努力することで、見えなかったものが見えてくる気がする。どのように接すればいいかもわかってくるはずだから……と、感じているのではないだろうか。
そう思うと、つかさには、姉に対して、もうすでに初期段階は過ぎているような気がしているので、毎回同じように様子見でいいのか? という疑念があったのだ。それは看護婦側にも当然あることで、ひいては、袴田教授にもあることだろうと思っていた。
散歩に出かける中で、その日の弥生は普段との違いを最初から感じていたからか、車いすに移動するだけで、少し時間が掛かった。
自分で動くことはできるが、たまにフラフラすることがあるので、万一を考えて、看護婦が介添えしながら、車いすに乗せていた。
これも、本来であれば、車いすに乗せる必然性はなかった。前に入院していた時、頭を殴られたことからくる身体への影響はなくなったことで、散歩に出る時、車いすなしで出かけたことがあったが、最初だけが無事だっただけで、途中から座り込んで動けなくなった。
「歩けない」
と一言言って、座り込んでしまい、動けなくなってしまった。
すぐに車いすを持ってきて、姉を座らせると、その後の散歩は、それまでと変わらずのものとなったのだ。
「大丈夫です。車いすがあれば、散歩はできるようです」
ということで、それからも車いすが必須になったのだが、却って意識として、散歩と車いすは切っても切り離せない包帯になっていた。
「好転してくれば、車いすも自然といらなくなるから、心配する必要はないよ」
と教授が言っていたので。今のところ、車いすを離すという発想はなったのだ。
すっかり車いすに慣れた姉は、今ではほしいものがあれば、病院内であれば、一人で行動できるようだった。
自動販売機でジュースを買ったり、売店に行くくらいのことは問題なかったのだ。
サナトリウムのような場所で、精神疾患の患者が多い病棟で、音手には鉄格子が張ってあるような病院なのに、施設的には普通の病院と変わりない。精神疾患の患者は、軽症者であっても、重症者であっても、普段は一件普通の人と変わりはない。たまに絹を引き裂くような悲鳴のが聞こえてきて、さながら、
「き〇がい病院」
と感じさせるようになるのは、しょうがない場所であった。
医療従事者の方も、それなりの覚悟を持っていないと、自分自身もおかしくなりそうな場所でもあった。精神的に弱い人間には務まらない。患者が患っている病気をそのままもらってしまうかも知れないという危険性もあるのだ。
サナトリウムというところは、元々そういうところである。結核などの伝染病研究であり、過去であれば、決して治ることのない人を収容しているところであった。今のこの場所は、絶対に治らないというわけではないが、治らない可能性のある人も何人かが入っている場所であり、医者であっても、完全に治すことが不可能な患者も数名いたりする。どれだけ患者の自己治癒が望めるかということである。
下手をすれば、自己治癒に期待することもできない人もいる。重度の記憶喪失であったり、鬱病であったり、さらには精神分裂症であったり、それらの人は、なかなか自己治癒は難しいであろう。
そんなことは分かっているので、介護や看護する方にとっても、精神的にかなり強い部分を持っていないと、耐えていけない部分もあることであろう、
一緒に散歩するという普通の人では、
「ただの気分転換」
というだけで終わることが、ここの人にとっては、重要な一日の中のルーティーンになっていることであろう。
「お姉さんは、散歩が好きなようなので、私もそのあたりは安心なんですよ」
と看護婦は言っていた。
「それはよかった。こんな風になる前の姉も散歩は日課だったんですよ。私を誘ってよく散歩したりしたものです。あれは、姉が高校生、私が中学生だった頃、今から思えば懐かしいですわ」
とつかさは、そういった。