ポイントとタイミング
「それにあの人年齢を詐称しているかのように思うのよ。あの顔のあの体型で、ゆうななんて名前、ありえないでしょう」
という言葉で完全に、自分が確定したことを悟った。
不思議とショックはなかった。逆にそんな風に言われていることで気が楽になった部分もあった。
――これだったら。私も好きなようにできるわ。ある意味ありがたいくらいだわ――
と感じた。
負け惜しみというわけではない。実際にそう思ったのだ。
影からチラッと見るとその中に、これから引っ越していこうという女性もいた。先ほど、あれだけの言葉は社交辞令でしかなかったのだ。いや、悪口を言われた時点で、社交辞令でもなんでもない。心にもないことを、さぞや嫌な思いで口にしたのだろう。
――だけど、そこまで言わなくてもねぇ――
と思いながら、赤石はニンマリと笑った。
「悪魔の微笑み」
とはまさにこのことだろう。
「ちょうどいいや。あの女にかぶってもらおう」
と、嘯いたが。それを聞いているものが誰もいなかったのも、当然のことである。
「それにしても、引っ越しを業者の人に任せて、自分はゴミを捨てに行くという名目で下まあで降りてきて、何もこちらの悪口を言わなくてもいいものを」
と言いながら、心の中で、
――キジも鳴かねば撃たれまい――
と、呟いたのだ。
赤石は自分の部屋に戻ってきて、いよいよ隣の部屋が空くということを嬉しく思っていた。この瞬間から、この赤石に何か心境の変化があったのか、それともそれ以前から燻っていたのかは分からないが、決定的に変わる要素になったのは事実であろう。
むしろ、元に戻ったと言っていいかも知れない。ここに以前からいた人はきっとそう思うことだろう。
さっきウワサをしていた人の中心にいたのは、以前からここにいた人だったはず。さぞや当時から嫌味を言ってきたのだろう。いまさらではないのは分かっている。
「何か、どうでもいいって感じがしてくるんだけど、やはり聞きたくないことを聞かされたからなのかしら?」
と思ったが、それだけではない。
心の奥の時計が、逆回転しているかのような気がしていた。
さっきまでのドタバタした音が粗大に静かになっていき、表で男性と女性の声が聞こえた。どうやらお礼を言っているようなので、引っ越し業者の作業が済んだということだろう。時間的にも夕方近くになっていた。どんな様子か扉を開けて、少し垣間見たが、その時、どこからかいい匂いがした。他の家庭では夕飯を作っている時間帯なのだろう。
「どうもご苦労様でした。明日、荷下ろしの方のよろしくお願いしますね」
と言って挨拶していたが、
「ええ、かしこまりました。本日は一晩、トラックの中で、お荷物はお預かりする形になります。明日は、午前十時からあちらの方で、荷下ろしにかかるようにいたしますので、お客様の方はその少し前にいらしてくださいますようにお願いいたします」
と、体格のいい男性が帽子を脱いで話した。どうやら今回の引っ越しのリーダーのようだ。
引っ越し会社は、以前に自分も雇ったこともある地元では有名な引っ越し屋、テレビCMでもちょくちょく見かけるので、知名度は高いとことである。
以前利用した時の感覚では、親切さには定評があるだけ、安心丁寧なところが人気の秘密のようだ、やはり地元で人気というだけのことはあった。本当は、ついつい全国でも有名なところを選びがちなのだろうが、敢えて地元で有名なところにしたというのは、ご近所さんに相談して決めたことだろうが。自分がそうだっただけに、
「きっと、そうなのだろう」
と勝手に思い込んでいるのだった。
赤石は、わざわざ表に出ていって挨拶をするのは煩わしいと思い、扉の隙間から垣間見る程度だった。
――そりゃあ、さっきのあんな会話を訊かされたんだから、こっちも気まずくなるのは当たり前だわ――
と思っていた。
あんなことを言われてショックであるのは間違いないことだったが、そのショックもすぐに失せていった。それを
「いい性格だ」
と赤石は思っていて、
「嫌なことをすぐに忘れられることがいいに決まっている」
と思っているというよりも、自分に言い聞かせていた。
隣の奥さんは、引っ越し業者を送り出してから、部屋の掃除をしているようだった。荷造りが終了した時点で、一度掃除機をかけていて、今はその掃除機もトラックの中にあるので、最後の仕上げ程度の小さな法規と塵取りでの簡単な同時だった。引っ越しの際に出た埃を取り除く程度の本当に簡単な掃除で、それもすぐに終わったようだ。
普通なら、部屋全体を一度見渡しものなのだろうが、彼女はきっと寂しさが募るとでも思ったのか、すぐに踵を返して扉を閉め、そのままそそくさと表に出て行った。
「やっぱり、カギ掛けないんだ」
と、自分の時もそうだったが、同じことをその時に感じた。
確かにもう一度帰ってくるというのが分かっているので、その時にカギをかけて、管理人にカギを渡せばいいと思っているのだろうか。
「 その女がマンションの入り口を出て、旅行カバンをガラガラ言わせながら、一度もマンションを振り返ることなく立ち去っていくのを見ると、先ほどの自分の考えを改めるべきかと感じた。
「あの人は、ここに思い出があるから敢えて振り向かないのではない。もう未練も何もなく、新たなところしか見ていないんだ。そして、このマンションのことなど、あの角を曲がった瞬間に過去のことになっているんだろうな」
と思ったのだ。
しょせん、マンション住まいなんてそんなものだ。近所づきあいなどと言っても、何が嬉しくて井戸端会議に参加しているというのか、今まで参加することはおろか、近所の人とあまり話をしたことのない赤石には井戸端会議が理解できなかった。
「集まれば、必ず誰かをターゲットにして、その人が聴いていないことをいいことに、言いたい放題。その中の誰かが、ふいに本人にポロっと喋ってしまうというリスクを考えたことがないのだろうか?」
と思った。
もし、それが本人にバレて、恨まれようとも、しょせんは開いて一人である。少なくとも井戸端会議でその人をコケおろした人たちは皆一蓮托生、皆自分の味方ではないかと思う。
「でも……」
とふと感じることがある。
密告した人が自分をターゲットにして言えば、まわりが自分を擁護してくれるとは思うが、果たしてその時に一緒に悪口を言っていた他の人が同じようにターゲットにされると、自分もその人の立場になって、戦うということができるだろうか?
あくまでも相手がその人だけをターゲットにしているのであれば、自分は安全地帯にいるはずだ。それをわざわざリスクを犯してまで、相手と騒動を起こす必要場あるのだろうか?
それは、相手との力関係によるであろう。
一緒にウワサをしてターゲットになってしまった人と、うわさ話の被害者と、それぞれ自分との関係。どうしても、自分の関係が深い方に向いてしまう。
最初から、悪口を言った相手のことを嫌いであれば、一緒に悪口を言った人につくであろうが、その時の陰口には、
作品名:ポイントとタイミング 作家名:森本晃次