ポイントとタイミング
無性に気になってしまい、怖い夢が忘れられない時よりもむしろ、長い間気持ちの中を占有しているものだった。
その日は、あまりいい夢ではなかったはずなのに、その夢を思い出すことはできない。こんなことは珍しいことだった。だから、気持ち悪いという感覚はない。なぜなら、その夢を思い出したいという気にならないからだった。
ただ夢の中で感じたこととして、
「これは夢であり、目が覚めるにしたがって忘れていくのだろうが、いずれどこかで必ず思い出すことのある夢だ」
というものだった。
今何も無理して思い出すことはなくとも、いずれ思う出すのおであれば、それでいいのではないかという発想だったのだ。
ホテルをチェックアウトしたのは、十時前くらいだっただろうか。
朝食を食べてから、少しお腹が太ったという感覚はあった。急いで動くのは少し辛い。身体が、
「動いてはいけない」
という危険信号を示していた。
その信号は彼女だけにあるもので、それは体系を見れば誰もが分かることであった。
「あんなに太っていれば、食べた後すぐなど動けるはずないわよね。放っておいて自分たちだけで帰ってくるなら、あのタイミングよね」
と、他の人から言われているのを、この女は気付いているのだろうか。
正直、
「人は見かけで判断してはいけない」
とよく言われるが、果たしてそうなのだろうか。
明らかに見た目で、どんな人なのか分かり、ほぼ間違いないということもたくさんある。どう見ても悪党面の人は悪党である可能性が限りなく高いが、すべてではない。中には演技をしている人もいて、キャラクターに合わせているだけの人もいるだろう。
俳優などの役者であったり、アスリートなどは、顔や見た目で勝負する人もいる。相手を威嚇することも必要であったりするだろう。そう思うと、その人たちは逆に、
「見た目で判断してほしい」
という人たちであり、せっかくそう思わせているのだから、思ってあげないといけないということだ。
つまり、それ以外の人は、ほぼ当て嵌るだとすれば、見た目での判断も悪いことではない。
むしろ、見た目で判断せず、何とか相手を信じようとしても、結局は騙されてしまったりすることもあるだろう。人によっては、相手を洗脳し、マインドコントロールを施す人もいたりする。それは明らかに犯罪であり、その人が加害者であれば、必ず被害者がいるのだ。
それが表に出るか出ないかというのは、気付く人がいるかいないかというよりも、名乗り出る勇気があるかどうかであろう。
人間というのは、気付いただけでは何もしない。それだけ自分が可愛く、保身に入っているからだ。
「自分と利害関係のない人のために、自分が危険に見舞われるリスクを負う必要などないだろう」
と思うのだろうが、実際にはまさしくその通りである。
人間というのは、それほど深いかかわりなどあるものなのだろうか。
人間というものに対して、いろいろ考える時と、一切考えない時の性激しかった。
いや、差が激しいというよりも、考えている時の人間に対しての見方が、特殊だということになるのか、普通の人と同じところを見ているのに、見方が違うからなのか、人から見れば。これほど偏見の強いものはないとでも思うことだろう。
極端な話、人間というものを、道具としてしか見ていないという人がいるなど、ドラマの世界でもない限りはないだろうと普通なら思うだろう。
しかし、この感情は特殊な人にだけあるものではなく、潜在的に誰の心にでもあるものだということを、果たしてどれだけの人間が知っているだろうか?
もちろん、言葉だけで言ったとしても、誰が信じるというものかということであろうが。そもそも、キチンと説明しようにも、その言葉が見つからない。どのように説明しようとしても、最初から理解できないことであれば、その時点で誰も聞く耳を持つことはないからである。
こういう話を断定的にいえる人はすごいと思う。どうしても、「思う」、「だろうか」、「なのかも知れない」などという断定しない言い方になるからだ。
小説などを書いていると、どうしても断定的には書けない。それだけ自分の言葉に自信がないからなのか、それとも読者を意識するあまり、反対意見の人もいたりすると、気を悪くするのではないかと思うからだろうか?
考えてみれば、反対意見のある人は自分の小説を読もうなどとはしないだろうし。別に途中で嫌になれば、詠むのを辞めてしまったとしても、一向にかまわないだろう。読者の自由だからである。
書いている方も、実はそんなに読者を意識していないかも知れない。確かに最初、プロットを作る段階では、読者を意識して書く人も多いだろう。だが、実際に本文に入ってしまうと、書き手は自分であり、いかに展開させるかが作者の技量でもある。
作家のテクニックなどというおこがましいことはいわないが、小説を書く楽しみであり、醍醐味なのだ。それは自分だけで味わえばいいものであり、何も他人に気を遣う必要はない。
ただ、それはあくまでも、
「お金を貰って書いていない場合」
に限られるであろう。
ただ、趣味で書いている場合においては、誰から何か言われる筋合いではないし、もし、コンプライアンスに逆らうものであったとしても、まったく許されないというわけでもない。許容範囲というのはあるというものであり、それが曖昧なだけに、あまりコンプライアンスに抵触するのは、作者としても本意というわけではないだろう。
それを思うと、書いていて、
「いかに楽しむか」
ということが大切な気がする。
正直。毎日のように書いていると、マンネリ化してしまいそうになり、ストーリーの途中でこのような愚痴っぽいことで、作品のお茶を濁していたりするだろう。
別に無意識というわけでもないが、こういう心の響きのような内容は、何も考えずに筆が進むというものだ。読者の方々の中には共感してくれる人もいるかも知れないが、やはり物語に関係のない話を押し続けるのは、アマチュアの素人作家としても、後ろめたさがあるというもの。
とりあえず、愚痴にお付き合いいただいた読者の方に、御礼を申し上げることにいたしましょう。
さて、この見た目も少し危ないこの女。とりあえず容姿に関しては、今はあまり細かく書くことは控えておこう。
一つ言えることとして、
「おろかな王様の女性版」
というところであろうか。
椅子に座って、ほとんど動かず、食事も食べさせてもらう。節操なく食べ続けるので、当然ブクブク太ってしまう。
その結果どうなるかというと、太りすぎたために、椅子から身体が抜けなくなってしまい、大切な玉座を壊さなければいけなくなってしまった。
それは、王としての最低のことであり、王として君臨できなくなるということを意味していた。
椅子から抜けなくなってしまうほどに節操なく、そして醜く太った女、それがこの女だということであった。
作品名:ポイントとタイミング 作家名:森本晃次