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ポイントとタイミング

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「それがよく分からないんです。奥さんはかなり献身的だったという話を訊きましたが、それも途中からだったんですよ。旦那の身体を庇っているようにも見えたが、どうもそうでもないような気もします。その様子は不倫をしていて、それをごまかすためではないかと最初は思っていたんでsyが、それは旦那が末期がんだという話を訊く前のことだったので、疑いもなく浮気をごまかすためと、その後ろめたさからの行動だとしか思っていませんでした。でも、今は分からなくなってきたんです。近所の奥さんの評判は悪いところはありませんし、夫婦仲もよかったということなんですよね。ただ、礼の赤石という女だけが、奥さんがチンピラと不倫をしていると言っているだけで、しかも、写メまであるので、余計に頭の中がこんがらがってくるんです」
 というのだった。
「やっぱり、あの赤石という女が少なからずこの事件で大きな役目を果たしているのは間違いないようだ。推定としては有罪に近いものを感じる。本当なら、確固たる証拠もないのに疑うというのはいけないことなのだが、あの女に関しては、そんなことを言っていると、真実を見失ってしまうような気がするんだ。このまま間違った考えに至ってしまうと、あの女の思うつぼに陥ってしまいそうで、怖いんだ」
 と浅川刑事は言った。
 浅川刑事がこんな言い方をするのは珍しい、ただ、日本の国というのは、
「疑わしきは罰せず」
 という原則がある。
 疑わしいというだけで、決定的な証拠がなければ、証拠不十分ということになってしまい、無罪放免となるだろう。
 しかし、一度は逮捕したが、不起訴になったり、釈放しなければいけなくなったりした場合の再犯率というのはどうなのだろう? 
「あの時逮捕して、罪に問うていれば、新たな犯罪は起こらなかったかも知れない」
 という案件はいくつもあることだろう。
 もちろん、罪に服して出てきても、再犯を行うやつは少なからずいるのだが、不起訴や釈放してしまい再犯した人間に対しての警察の無力感はハンパのないものではないだろうか。ここにいる警察官も、何度も同じような思いをしたに違いない。
 浅川は、この事件において、一つのポイントとして考えているのは、
「鶴橋氏が末期がんであったという事実」
 だと思っている。
 このことを奥さんは知っていたのではないか? しかも、それは思いもよらない人物から教えられ、それを不安に思っているところを付け込まれたのではないか? と思うのだった。
 いや、正確にいえば、末期がんだと教えたのは、犯人なのかどうかまでは分からないが、奥さんが不安に感じるであろうこと、そして不安になった奥さんを自分が洗脳できるのではないかと考えたとすれば、これ以上の悪魔はいないだろうと思われる。
 考えただけでも胸糞悪くなる思いであったが、その人物は間違いなく、赤石というあのオンナだとうを思うのだった。
 そうすると、あの不倫写真などは、まっかなウソで、あの女が言葉巧みに写メに収めたのではないか。そこに洗脳というキーワードが生まれ、この夫婦に対して、
「百害あって一利なし」
 という悪魔のような女であったのだろう。
 とにかく、あの女をこの事件の悪魔だとして捉える必要があるようだ。

                 事件のポイント

 この事件におけるポイントはどこにありのだろう?
 カギを握っているのは、赤石という悪魔のように思われる女であることに違いはないが、真相に近づくには、見えている場面だけではなく、それぞれに潜んでいるその時々、いわゆる節目におけるポイントが大切なのではないかと浅川刑事は感じていた。
 一つのポイントとして考えられるのは、
「鶴橋氏が末期がんであり、それをまわりに必死に隠そうとしていた」
 ということではないだろうか。
 それが奥さんに対しての思いやりだったとすると、それを知った赤石という女が撮ったあの不倫写真は、奥さんを何かで陥れるための切り札だったのかも知れない。ひょっとすると、奥さんは旦那のことを知ってしまい、一人で抱え込むことができなくなり、赤石を頼ったのもあるかも知れないし、鶴橋氏も鶴橋氏で、何かのきっかけであの女に知られてしまったことで、頼るしかなかったのだとすれば、
「旦那の方は脅迫し、奥さんを洗脳していた」
 と考えると、何かが見えてくるような気がする、
 そこまで考えても、それはあくまでも想像でしかない。確証も根拠もない妄想と言ってもいい。普段であれば、部下がそんなことを言い出すと、
「警察官がそんな妄想に駆られたような捜査を行ってはいけない」
 と言い聞かせることだろう。
 しかし、今回は妄想のまま突っ走ってもいいような気がする。少なくとも赤石は、絶対に何かを握っているのは間違いない。実際に手を下したわけではなくとも、殺人を教唆の証拠を残さずに行うということはお手の物かも知れない。
 だが、もしあの女が犯罪というものを舐めていたのだとすると、どこかで綻びを感じさせるような小さな穴が見つかるかも知れない。
 警察官のようなプロに掛かれば、その穴をでかくしていくことも可能ではないかと思うと、俄然ファイトが湧いてくる。
 浅川も桜井も、日頃刑事捜査をしながら、不安と背中合わせであった。
「犯罪捜査をしながら、どんどん真実に近づいて行っているが、果たしてその真実が正義なのかどうか分からない。それを考えると、自分たち刑事の存在価値を疑わざる負えなくなってしまうのだが、かといって、真実を見つけないわけにはいかないのだ。どんな真実が待ち受けていようとも、何かの犯罪があって自分たちは動いているのだから、答えが見つからないということは許されない」
 という覚悟を持っているつもりだった。
 だが、今回は赤石に限っては、あの女の正体を暴くことは明らかな正義だと思う。末期がんである旦那の思い、そして妻が旦那を慕う気持ちを踏みにじったのだとすれば、許されることではない。
 しかし、これはあくまでも妄想なのだ。状況証拠すらもない。もちろん、物証があるわけでもない。
 そう思うと、少なからず、事件を冷静に整理する必要があると感じた。事件に存在する節目節目をポイントとして感じることで、そのポイントを結び付けて、違和感がない状態にした時こそ、そこに真実への道が開かれるのではないだろうか。
 これまでの捜査はずっとそうやってきたつもりである。証拠を見つけて、証拠を重ね合わせることで、違和感や無人を失くす。それと同じことではないだろうか。
 つまりは、今までの捜査における証拠の収集というのが、今回のポイントセリであり、どんな細かいことであっても、あるいは、屁理屈かも知れないことであっても、そこに存在しているのが事件を時系列でつなぎ合わせて矛盾のない状態にできれば、立派な証拠のかわりになるだろう。そして、そこから改めて見えてきたことに対して証拠を探せば、今まで見つからなかった証拠も見つかってくるというものだ。
 犯罪捜査に証拠は大切なものだが、証拠を揃えるために、最初に事件を推理するという手順があってもそれはそれでありなのではないかと浅川刑事は感じたのだ。
作品名:ポイントとタイミング 作家名:森本晃次