ポイントとタイミング
「癌保険には入っていたので、治療には十分なお金が保険会社からは払われているようです。もっとも、そんなにひどい状態ではないので、一、二か月に一度、検査通院を行っていて、今のところ、悪化の症状はなく小康状態のようでした。むしろ精神的なところで少し参っているような話を訊いたんですが、本人の希望で、家族や誰にも告知しないということだったようです」
ということだった。
「家族思いな人だったんだね?」
と浅川に言われたが、
「いや、そうではなかったようで、逆に家族のことは信じていなかったと言います。癌が発見されてから、死亡保険の受取人を、最初奥さんにしていて、今も奥さんではあるんですが、途中に何度か受取人を書き換えようとしたくらいだったんですよ。その理由はよく分からなかったが、最終的には他にもいないので、そのままにしたそうです」
という話を訊いて、桜井の脳裏には、赤石に魅せられたスマホの写メを思い出さされた。
――あの写真が本当だとすれば、旦那の方が奥さんを疑っていたという話とは辻褄が合うのではないか――
と考えられた。
「癌を患っている状態で殺されるなんて、実に気の毒な感じもするな」
と桜井がいうと、
「これは念のためにお聞きしますが、本当に命には別条がなかったんでしょうね?」
と浅川が訊いたが、
「ええ、それは間違いはないと医者が言っています。ただ、あの人は神経質なところがあったので、どうしても悩んでしまうだろうから、気が付く人には、理由は分からなくとも、彼が何か重大なことで悩んでいることに気づくはずだというのです。だから、、旦那さんは結構深く悩んでいたんじゃないでしょうか?」
と言われた浅川は、
「じゃあ、本当に家族は知らなかったんでしょうかね?」
と言われると、
「それは分かりません。我々は彼が殺されてからしか、捜査をしていません、生前の彼にあったことがないので、本当はどんな顔をしているのか、どんなことを考えているのか、そしてどんな顔で笑うのかなどということはまったく分からないんですよ」
とH署の刑事は言った。
――それは当たり前のことで、聞くまでもないことであったが、どうしても聞いてみたかった。なぜなら、H署の方で、彼の生前について、どれほどの情報を持っているのかということを少しでも知りたくて、カマをかけるようなマネをしてしまった――
と浅川刑事は考えていた。
どちらにしても、合同捜査にはなるのだろうが、今回の事件において、これは普通の連続殺人なのか、それとも、どちらかが本命であり、どちらかがカモフラージュのようなものなのか、後者は少し考えすぎなのかも知れないが、ありえないことではない。
「ところで、桜井刑事は、麻薬の線で、被害者の奥さんと、最初の被害者であるチンピラの竜二という男との関係を洗ってくれていたよね?」
と浅川刑事は、桜井刑事に向かって聞いてみた。
「ええ、私の方では山口刑事と、この二人の関係を少し探ってみました」
と桜井がいうと、
「それはどういうところからの発想だったんですか?」
と何も知らないH署の刑事が訊いた。
「こちらでは、今、容疑者の洗い出しという意味で、犯行後にいきなり行方不明になった鶴橋夫妻の様子を探ってみていたんです。その時、以前に被害者のとなりの家に住む赤石という女性の証言として、スマホで撮った鶴橋の奥さんと、チンピラの竜二が仲良く歩いている写メを見せてもらったんです。その裏付けをするという意味でいろいろ探ってみたのですが、どうもよく分からないんですよ」
と桜井刑事は言った。
「どういう意味でだい?」
「竜二という男は確かに街のチンピラで、店をやるためのショバ代という意味での組への上納金、いわゆる『みかじめ料』と呼ばれるものを取り立てる役で、そのみかじめ料の代わりに、用心棒のようなことをしているのが、やつの商売だったんです。でも、彼は適当なチンピラが多い中でも、意外と組の中ではしっかりとしていて、律義なところと頭のいいところでは兄貴連中も一目置いていたようで、あまり変なウワサも聞きこむことはなかったんですよ。で、やつの兄貴に聞いてみると、どうもカタギの奥さんと不倫をするような性格ではないというし、奥さんの写真を見せると、やつが好きなタイプの女性とは正反対だという話だったんですよ。だから不倫ということはありえないという話でした。そして、彼には付き合っている女性がいていずれ結婚を考えていたようなんですが。急に彼女が竜二の前から姿を消したそうなんです。雄二はショックで、数日気が抜けたみたいになっていたようですが、すぐに立ち直って、割り切っていたようにまわりには見えたということでした」
と桜井は言った。
「なるほど、いろいろなところで気になるところがありそうだね」
「ええ、そうなんです。私が一番気になったのは、竜二には結婚を考えた女性がいた。それなのに、赤石という女は証拠のように写メを提示した。しかも、その写真は、まるで不倫を思わせる。しかし、竜二は律義な性格で、二股などできるはずもない。そうなると、なぜ結婚まで考えた女性が彼の前から立ち去ることになるのか?」
と桜井は言った。
「なるほど、竜二の彼女の行動も何か怪しいね。他の人が彼ほど律義な性格はいないと言っているのに、一番身近なはずの彼女がいきなり彼から離れてしまった。浮気を疑ったわけではないと思える。そうなると、誰かの入地絵という発想も出てくるが、逆に本当の彼は二重人格か何かで、不倫を悪いことだと思わず、下手をすると、人助けだなどと思っている勘違い野郎なのかも知れない。と、そんな風に桜井君は感じるのかな?」
「ええ、その通りです、表に出ていることだけを素直につなぎ合わせると、悪らかに矛盾なんですよ。そうなると、無訓を解消するには、どちらかの発想を変えなければいけない。それをしてみて、よりしっくりくる方が真実に近いんじゃないかと思うのは、無理もないことだと思いますが」
という桜井刑事に、
「その発想は間違いないことだと思うよ。捜査とすれば教科書的な発想だと思う。だけど、思い込みだけには気を付けた方がいい、せっかく、いろいろな可能性を考えて、少しずつ範囲を狭めていくのだから、最後に思い込みで絞ってしまうと、違った時に。まわりが見えなくなってしまって、取り返しがつかなくなっていることに気づかないと恐ろしいのではないかと思うんだ」
と浅川刑事は言った。
「彼女が誰のところにも出てこなくて行方不明ということは、どういうことなのかって思うんですよ。この事件は行方不明者が多いというのも特徴ではないかと考えるんです。もっとも、被害者の彼女の行方不明はまた違っているのかも知れませんけどね」
と桜井刑事は言った。
「それはどういうことかな?」
作品名:ポイントとタイミング 作家名:森本晃次