ポイントとタイミング
「そういえば、彼はミステリーが好きだったな。彼が文章がうまいので、昔聞いてみたことがあったんですが、どうやら学生時代は作家になりたかったといっていました。特にミステリーには造詣が深く、憧れの念のようなものを持っていました。特に、昔の探偵小説と言われていた時代のものが好きなようで、トリックなどの謎の面白さと、描写などの耽美的な部分、さらにホラーのような怪奇な部分。
「すべてが、探偵小説には盛り込まれている」
と言っていましたね。
彼が探偵小説が好きだったというのは意外だった。これまで事件の中で鶴橋氏という捜査線は現れていなかったが、俄然浮上してきたような気がする浅川刑事だった。
「どんな小説が好きだったんですか?」
と聞くと、
「最初は、昔の本格探偵小説であったり、耽美系の探偵小説などを好きだったりしたんだけど、途中から変わってきたんですよ」
と編集長がいうと、
「あっ、無知で誠にすみませんが、耽美的というのは、どういうものなんですか?」
と桜井刑事は、最初聞き流そうかと思った言葉だったが、何度か出てくるうちにさすがに知らないとまずいと思ったのか、恥ずかしげもなく聞いてみた。
「ああ、これは小説用語のようなものを思っていただいてもいいかも知れませんが、これは探偵小説に限らず純文学なんかでも耽美主義的な小説もあったりするんですよ。純文学でいうと代表的な作家として、谷崎潤一郎であったり、三島由紀夫、泉鏡花などがそうかも知れませんね。探偵小説などの大衆文学だと、、江戸川乱歩や夢野久作、永井荷風などがその代表でしょうね。要するに耽美主義というのは、美というものw追い求める主義といえばいいのか、美最上主義とでもいえばいいのか、美しければそれが道徳や倫理感を廃して、美を追い求めるという考え方ですね。死体をいかにきれいに飾って、自分の殺人を芸術として表現するような作品があったりするじゃないですか、ああいう考えが耽美主義なんですよ」
と言われて、
「なるほど、確かに美に耽ると書きますもんね。そういう学問というか、考え方があるのは知っていましたが、なかなかお目にかかることはないですからね」
と浅川刑事がいうと、
「それはそうでしょう。そんな犯罪は猟奇殺人の類なので、そんなに頻繁にあったら怖いですよね」
と編集長がいうと、
「でも、犯人の中には自分が目立ちたいという発想から、警察や社会に挑戦してくるような犯罪もありましからね、あれも一種の耽美主義なのでしょうか?」
「そうなんじゃないかと思いますよ。犯罪というのは、相当なリスクがありますからね。特に殺人などであれば、相手は死んでしまっているのだから、もう取り返しは尽きません。何かのものが壊れたというだけではすみませんからね。人間には、生殺与奪の権利なんてありませんからね」
と、編集長が答えた。
「生殺与奪なんてあったら、警察は溜まったものではないですよ」
と浅川が苦笑いしながらいうと、
「そういえば、彼は生殺与奪ということに興味を持ってしらべていたことがあったな。それも、生殺与奪をありだと思っていたところがあるような気がするんですよ。一度、彼の主観が入った記事で、その生殺与奪について書いていたのがあったんですが、さすがにそれを雑誌の記事として載せるわけにはいかないので、私がその記事を書きなおさせたことがありましたね」
という編集長に対し、
「編集長がいうのだから、相当無理のある記事だったんですか?」
と浅川は訊いたが、
「いえ、記事自体はそれほど奇抜なものではなかったんです。ただ、記事の内容が生殺与奪に向かって一直線で、さらに生殺与奪という言葉が出てきたことが問題だったんです。だから、最初の方は普通の記事でした。そうですね、途中からライターが別人になってしまったのではないかと思うほどの変わり方でした」
と編集長はいった。
「彼はそういう途中で急に変わってしまうような記事を書く人だったんですか?」
と浅川が訊いたが、
「そういう傾向はあったかも知れませんが、彼が優秀な記者だという根拠は、ブレない筋道というのが売りだったんです。つまり、最後まで一貫しているのが彼の描き方。だから、彼が途中で川ってしまったとしても、それは彼なりのやり方で、最初に反対意見のようなものを書いて、途中から自分の意見を書く。彼特有のテクニックのようなものだったんですよ」
と編集長がいった。
「じゃあ、他のライターさんは、どうだったんですか?」
と浅川刑事が訊くと、
「他の人にはそういう書き方はありませんでした。やはり彼独特のものなのでしょうね」
「でも、生殺与奪というと、ちょっと穏やかではないですよね? どちらかというと、雑誌社の方では放送禁止用語に近いものではないんですか?」
「そうかも知れません。倫理に照らし合わせて考えると、宗教的な発想にも抵触するし、人の命の尊厳を、根本から揺るがすものですからね、これは雑誌の世界だけに言えることではないと思いますね」
という編集長に、
「警察にはもっとですよ。特に日常茶飯事で殺人事件は起こっていますからね」
と浅川刑事は言った。
「探偵小説が好きで、取材としては、麻薬ルートを追っていたということは、旦那の方で、殺されたチンピラとかかわりがあったということはありませんかね?」
ともう一人の刑事が訊くと、
「いや、そんなことはないと思いますよ。我々はゴシップを取材することがあるといっても、あくまでも地元の小さな雑誌で、基本的には文化的な雑誌なんです。だから、あまり強引な取材をすることを強要もしないし、むしろ君子しているくらいです。下手なことをすると。本人にも危険が及ぶし、本人以外の家族も危険ですからね。そんなリスクは背負えないし、手当にも似合いませんからね。当然、そのあたりは鶴橋君も分かっていると思います」
という編集長に。
「それはそうでしょうね。自分だけの危険ではなく、家族もと思うと、まず下手なことはできませんからね」
と浅川刑事も納得したようだ。
「ありがとうございます。また他に何か分かりましたら、ご連絡ください」
と浅川刑事は結んで、編集者を後にした。
浅川刑事は痣かった週刊誌を数冊持って、署に戻った。
署に戻った浅川刑事は、借りてきた雑誌を読んでいたが、確かに鶴橋啓二の書いた麻薬に関しての記事は、犯人を特定するかのような刑事捜査的な記事ではなく、どちらかというと、麻薬というものがどのように恐ろしいものか、あるいは、麻薬がどのように、普通の家庭に浸透してきているか、などという内容のものだった。
だから、実際に麻薬を扱ってる連中や、運び屋何焦点が当たっているわけではなく、取材内容も、医者であったり、主婦などの一般人に意見を聞くといった程度で、ヤクザ関係のことには決して触れていなかった。
しかも、取材内容は、あまり難しく書かれていなかった。それは取材内容もそうであるが、さっきの編集長がいっていた通り、鶴橋氏の文章が上手なところから来ている。だから、微妙な問題を孕んでいる記事ではあるが、さほど難しい内容であるわけでもなく、意外とスラスラ読める内容だった。
作品名:ポイントとタイミング 作家名:森本晃次