ポイントとタイミング
という人などがいた。
そのどちらも同じことを言っているわけであり、夜逃げしてしまった赤石が一番悪いのは間違いないが、紗耶香がこうなったのも、元はと言えば自分たちに原因があるということを誰一人として感じることはないだろう。
むしろ、他人事として静観していて、ワイドショーの話題でもあるかのように、一種の話題の種にして楽しんでいると言ってもいいだろう。
そんな連中は、
「明日は我が身だ」
と感じる人は誰もおらず、本来なら赤石がすべての元凶だとは思わず、紗耶香にもそれなりの悪いところがあると思ってしまっていると、
「自分はそんな女に引っかかることはない」
と思ってしまい、いつの間にか赤石のような女のターゲットになってしまっていることに気づかないのだ。
なぜなら、詐欺を行う人間は、基本的に単独ということはほとんどない。そのバックには誰かがついている、詐欺グループというものも存在しているかも知れない。だから、そんな連中には百戦錬磨の経験から、いかなるやり方の詐欺も熟知しているものだ。一つの方法であれば、教訓として何とかできるかも知れないが、未知の詐欺に関してはまったくの無防備。自分に限っては騙されることはないなどと思っている人が多ければ多いほど、詐欺というのはやりやすいものがないということだ。
特に詐欺集団というのは、悪い意味ではあるが、研究年芯であろう。いかに人を騙すかということを日夜研究しているのだから、呑気に自分は安全だなどと思っている連中とは危機感が違うのだ。そういう意味で、
「騙される人がいるから、騙す人がいる」
という構図が出来上がり、詐欺という犯罪がこの世からなくなることはないのだ。
いくら警察が検挙しようとも、いたちごっこは半永久的に続いていく。その背景には、詐欺を受ける人間がなくならないという構図があることを、一番知らなければいけないはずの、未来の騙される人間がまったく余地も何もしていないということだ。
一つの詐欺集団からの詐欺行為が未然に防げたとしても、他の詐欺集団が狙っていることで、その根本が変わってしまう。
「一度やられかけた人は、二度とやられないように気を付けるものだ」
というのは、空想なのかも知れない。
「一度やられかけたのだから、二度目はないだろう」
と、いい方に勝手に解釈してしまうのが、人間というものであろう。
たとえば、殺人犯人が凶器を隠す場所として、一度警察が捜査した場所に隠すという人がいる。
「一度警察が捜査して、そこにないのを確認した時点で、一番安全な隠し場所になっているのだ」
というミステリードラマがあったが、まさにその通りであろう。
紗耶香は次第に自分が騙されたことに気づくと、いろいろ怪しかった部分も分かるようになってきた。
「そういえば、あの人、絶対に私を自分の部屋に入れようとはしなかったわ」
と言っていた。
それこそ、夜逃げの準備をしていたことを物語っているのではないか。
そんな夜逃げの状態になった赤石は、また同じkとを他の土地で繰り返していた。
前の土地では、まわりの人のウワサでは、
「たぶん詐欺にあったのだろう。名古屋夫婦は本当に気の毒だ」
という話にはなっているだろうが、マスコミが追うほどの事件ではない。
事件としては、なるほどひどいものであるが、それを記事にしたところで、どうなるものでもない。似たような事件は頻繁に起こっていることだし、マスコミが動いて事件が解決するわけでもない。そもそも、警察は民事不介入だし、警察が動いて解決したとしても、出版社側の雑誌が売れるわけでもない。
スクープと言ってお、そこまでの真新しいものではないし、
「またか」
と思われればそれまでだ。
よほど他に書く記事がないほど世の中が平和であればそれに越したことはないのだろうが、こんな事件が起こる時点で平和ということはありえない。しょせんマスコミというのも、
「売れてなんぼ」
の営利商売なのだ。
売れ冴えすれば、でっちあげであろうは関係ない。モラルなどどこに損座右するというのだろうか。
しかも、一万ぽ譲って記事になったとしても、記事が出てから反響が置こる前に、人の興味は他に移っているかも知れない。それだけピンポイントのタイミングを掴まないと、この手のどこにでもあるような記事が売れることはないだろう。
そう思うと、どんな事件であっても、マスコミが動かないと、あっという間に風化して忘れられて終わりなのである。
だから、犯人たちは安心して他の土地で同じことを繰り返す。
同じ手口かも知れないし、若干手口を変えてくるかも知れない。あくまでもターゲットになる人間次第だということである。
話題になったことで。自分が危険に晒される危険性はそれほどないだろう。マスコミはそのあたりには厳しいので、よほどの犯罪者確定状態か、芸能人のように知名度の高い人間でないと、名前を公開したり、容疑者が特定されるような報道はしない。もし、身元が分かってしまって、その人が智謀中傷を受けるだけでなく、家族や知り合いが被害に遭うようなことがあったりすると、逆にマスコミを訴えられることにもなりかねない。しかも、容疑者が本当はクロなのかも知れないが、裁判などで無罪判決でも受けると、推定有罪を行って世論を操作したなどとなると、出版社としては致命的である。
だから、民事でしかも詐欺程度のことであれば、マスコミは容疑者特定の報道はしない。そこがやつらの付け目でもあった。
詐欺を行って、行方を晦ませる。そしてほとぼりが冷めた時に別の場所において犯行を行う。すると、警察はこれが新たな詐欺だとしてしか認識しないだろう、まったく同じ手口であっても、同じ管内での事件であれば、捜査員の中に覚えている人もいるかも知れないが、警察というのは、完全に縄張り争いとするところである。そのあたりはヤクザと変わらないというのが面白いところなのだが、当然情報が入っているわけでもない。だから、
「連続詐欺事件」
としての捜査は難しいだろう。
よほど詐欺などの犯罪に広域で捜査をする専門部署があり、そこがかなり優秀であれば、連続詐欺の可能性を疑うだろうが、疑ってみたところで彼らの犯罪を止めるどころか、抑制することもできないに違いない。
それを思うと、今の世の中において、いかに国家権力といえども、警察があてにならないものかは、テレビドラマなどを見るまでもなく明らかではないだろうか。
それよりも、下手に警察になど協力して、犯人グループに逆恨みなどされれば、目も当てられない。
世間では、
「苛めの現場では、見て見ぬふりをしている連中も同罪だ。いや、もっと罪深いかも知れない」
ということで傍観者も同罪という意識を持たれているが、相手が警察であれば、そんなことはない。
「守ってくれるはずの警察に力がないのだから、下手に警察なんかに協力して殺されでもしたら、これほどひどいことはないんでhないか。まさに、『髪も仏もない』とはこのことだろうと思えてならない」
ということになる。
作品名:ポイントとタイミング 作家名:森本晃次