限りなくゼロに近い
その人物というのは、他でもないこの事件に最初から首を突っ込んでいる、元警察官の紀一だった。最初から首を突っ込んでいるというよりも、事件の発端を作ったかのように思わせる人物として目されているくらいである。そんな人物が、自分がちょうど居合わせた事件の被害者の、友達という人を伴ってやってきたのだから、一様に捜査陣は色めき立つというのも無理のないことではないだろうか。
とにかく、刑事課の創設室で話を訊くことにした。話を訊く方は、当然桜井刑事と浅川刑事の二人である。
「わざわざ、本日はご足労願って、申し訳ありません」
というと、彼女は、
「いえ、ちょうど、佐々木さんが一緒に来てくださるということでしたので、来てみることにしました」
と、オドオドした様子で答えた。
――なるほど、この様子なら、誰か一緒に来てくれる人がいなければ、とても何かを知っているとしても、警察に出頭しようなどという勇気は持てなかっただろうな――
と浅川刑事は感じた。
そういう意味では、紀一には感謝しなければいけないなという思いを持つのだった。
「じゃあ、まずはあなたのことをお聞かせください」
と浅川刑事が訊ねると、
「私は坂口由衣といいます。職業としては、今はアルバイトなどをして、アイドルを目指しているところです。昼はアルバイト、夜は歌やお芝居、ダンスなどのレッスンに通っているというところです」
というと、
「ほう、アイドルですか。なかなか難しいものなのでしょうね?」
と、あまりよく知らない世界なので、漠然と答えたつもりの浅川だったが、由衣の方ではそれをねぎらいの言葉と感じたようで、今までのオドオドした雰囲気が少し和らいだように見えた。
本意ではなかったが、相手に安心感を与える結果になったことは、浅川刑事にもありがたいことだった。浅川刑事は由衣を見て、
「綺麗さの中に可愛さを秘めているような女の子だ」
と感じていた。
この感覚は程度の差こそあるが、浅川だけではなく、紀一にも桜井刑事にも感じられたことであった。
そして一様に三人ともが、その感覚に間違いはないと思ったのが、彼女のオドオドした雰囲気を、いかにも綺麗さの中の可愛さが原因だという風に感じていることだった。
「ところで、本日はどうして佐々木さんと一緒にこちらに来られたんですか? 佐々木さんとは以前からのお知り合いだったんですか?」
と聞くと、由衣は紀一の方を振り返って、戸惑いの表情を紀一に向けたが、紀一はそれを見て、目地空を込める形で由衣を見つめ、真剣な顔で一つ頷いて見せた。
それを見て、由衣は意を決したのか、話し始めた。
「実は今回の被害者だと思っているその人は、私の友人なんです。アイドルを目指しているライバルと言ってもいいかと思います。ライバルとは言いながら、アイドルを目指して一人で努力するというのは、かなりきついものです。一人でまわり皆を敵に回して戦うわけだし、制約も結構厳しいんです。彼氏を作ってはいけないだとか、体系意地のために食事制限であったり、スタミナをつけなければいけないので、食事制限をしながら、スタミナきれをしないようにしないといけないなどの矛盾したことも克服しなければいけない。だから、制約としては存在しているけど、適当に破っている人もいると思います。そのすべてを充実に守るなんてできっこないですからね、なので、私が思うに、アイドル養成事務所の考え方として、少しきつめの制約を貸しているのかも知れないとも思うんですよ。少々破ったとしても、それはしょうがないという考えでしょうか?」
というではないか。
「それって、却ってきついのでは? 相手が許容していることを、皆知らないわけですよね。いくら破られても仕方のない部分があるとはいえ、破ってしまうと、自己嫌悪に陥ってしまう人もいるでしょう。そうなると、耐えられない人も出てくるのでは?」
と浅川刑事がいうと、
「それはあると思います。でも、それくらいのことを乗り越えていかないと、アイドルとしてはやってiけない厳しい世界でもあると私は思っているんです。アイドルを目指している私たちも必死の覚悟を持た名kれ場いけないんです。だから、事務所にはその覚悟を受け入れてもらえるだけの技量を私たちも求めているというわけですね」
と、由衣は言った。
「本当に大変な世界なんですね」
と浅川刑事はねぎらいの言葉を掛けたが、実際には今までのアイドルというものへ、どこか偏見の目を持っていたことに少し謝罪の気持ちもあった。
しかし、アイドルの世界にもピンからキリまでいるわけで、今まで感じてきたアイドルへのイメージを打ち消すわけではなく、幅を広げる感覚でいるということのだと自分なりに理解していた。
「それでですね。私と彼女は同じ事務所に所属しています。つまり、私が被害者じゃないかと思っている女性は私と同じアイドル志望の女の子だと思ってください」
と由衣は言った。
なるほど、それであれば、昨日紀一が見た光景はなっとくがいく。昼間ジャージを着て公園にいたというっことは、その日はアルバイトが休みの日で、昼間に基礎体力をつけるために、ジョギングや体操をしていたのではないかと思うと納得がいく。所持品もタオルとペットボトル、運動には欠かせないものだったのだ。
「どうして、佐々木さんとお知り合いになったのですか?」
と、まずは、そこから聞きたかったのだ。
「私は一緒に住んでいることもあって、彼女の性格も行動パターンも知っているつもりです。まず気になったのは、昨日彼女が帰ってこなかったこと。今までに一度もなかったからです。そして、昨日彼女はアルバイトが休みだったのを知っていたので、そういう時は、いつも城内公園でトレーニングをしていることも知っていました。だから、まずは昨日の行動パターンから彼女の行方を探そうと思って、公園に行ってみたんです。そうすると、そこにいたのが、佐々木さんだったんです」
と由衣は言った。
「佐々木さんは、どうしてその場所に?」
「私も、カノジョのことが気になって、家族の人が心配しているといけないので、どうすればいいかと思った時、昨日のあの場所にいることしか思い浮かばなかったんです。それで機能と同じ時間に、あの場所に行ってみると、由衣さんが話しかけてきてくれたというわけです」
それを聞いた由衣が、話を補足した。
「佐々木さんはベンチに座って隣のベンチばかり気にしていました。そこには誰も座っていなかったんですが、その視線の先に何があるのかが気になったとでも言いましょうか。普段あら怖くて話しかけられないところなんですが、私が見ているのを佐々木さんも気付いたんでしょうね。私を見返したんです。一瞬気まずいと思いましたが、私としてもせっかくここまで来て彼女のことを知っていると思えるような人をみつけたんです。これを逃せば、もう他に誰も彼女を知っている人に出会えることはないと思ったんですよ。そう思うと、佐々木さんに声を掛けなければと思ったんです。佐々木さんのような男性からはなかなか若い女の子には声をかけにくいんじゃないかと思ってですね」
「それで、思い切って声を掛けたというわけですね」