小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

限りなくゼロに近い

INDEX|4ページ/29ページ|

次のページ前のページ
 

 交際している時の相手とすれば、聞きたいという気持ちはやまやまだろう。だが普通なら必要以上に訊かないようにするもので、それを我慢できないというのが、かつてのトラウマが影響しているのではないかと思うのだった。
 今から思えば、
「どうして、もっと大切にしてあげられなかったのだろう?」
 という思いが強くある。
 しかし、相手が自分に従順で、こちらもそれの答えているというつもりでいれば、その自手mで、
「十分に大切にしている」
 と思うのではないだろうか。
 今まで、仕事においてなど。そんなことはなかったはずなのに、肉親、特に奥さんともなると、何でも分かってくれているという錯覚があったのだろう。
「血は水より濃い」
 とよく言われるが、紀一はあまり血縁関係というものを信用しているわけではない。
 確かに医学や心理学などの上での遺伝子というものの働き、及び、その信憑性に関しては証明されているものであり、実際に知り合いの中でも、
「やっぱり、親子だ」
 と思うようなことはたくさんあった。
 だからと言って、何に対しても最優先というのが、この「血縁関係」であるという考え方には承服できないところがある。
 もちろん、何かあった時の原因として血縁関係が関わってくることを否定するわけではないが、例えば、
「犯罪者の息子だから、犯罪を犯すのではないか?」
 という発想であったり、
「親が離婚しているから、子供も離婚する」
 などという理論はあくまでも、都市伝説のようなもので、信憑性という意味ではまったくないと言ってもいいのではないだろうか。
 それは、むしろ、これから起こることへの戒めのようなものではなく、結果論からの言い訳に近いものではないか。
 離婚した人の親を調べてみたら、やっぱり離婚していたということであったり、犯罪者の先祖を探ってみれば、どこかで犯罪者にぶつかったというだけで、遺伝性を主張するのは、他に理由を求めることのできないことへの言い訳でしかないように思う、
 つまり、強引な結び付けが、乱暴な結論に持っていくしかないということなのではないだろうか。
 だから、離婚した時、考えたのは自分の親のことであった。
「どんな親だったんだろう?」
 と思い返すと、確かに、いつも喧嘩ばかりしていた両親だった。
 仲良くしているところを見たことの方が稀だった。だが、結局離婚することはなかった。どちらかが我慢していたのかお知れないが、それがバランスになっていたのかも知れない。
 紀一の親の世代というと、まだ男尊女卑の時代でもあり、亭主関白当たり前の頃だった。
 子供の頃に見たホームドラマなどで、家族団らんの中、父親が、ちゃぶ台をひっくり返すなどというシーンがよくあったものだ。
 今の時代はどうだろう? 家族そろって食事などということ自体、ほぼ稀な時代ではないか。昔は、父親が帰宅して家族全員が集まらないと、夕食を始めてはいけないというそんなルールが絶対だったくらいである。確かに、残業が増えたり、共稼ぎなどというものが増えていき、次第に家族が団欒などという言葉が、死後になっていく時代でもあったのだ。
 昭和という時代はそういう時代であった。父親の威厳は絶対であり、それに逆らうことは許されない。家庭が完全に社会の縮図のようなものだったのだ。一長一短あるそんな時代だが、紀一は、
「基本的には昭和の時代がよかった」
 と思っている。
 しかし、実際には、昭和の時代がよかったとはいえ、そんな家族の社会の縮図であったり、血縁の繋がりなどという考え方は、ナンセンスだと思っている。それは一人暮らしをするようになって思ったことであり、確かに離婚していきなり一人ぼっちになった時は、
「これまで右肩上がりできた人生が、一気に奈落の底に叩き落された」
 という思いに駆られたのだ。
 ポジティブに考えるなら、
「これ以上落ちることはない」
 という思いを抱けばいいだけで、そう思うと、これほど気が楽なことはないと開き直ることができるのだろうが、実際には無理なことだった。
 開き直るまでに要した時間は、学生の頃であれば、一週間くらいで解決できると感じるようなことかも知れないそんな感情を、半年以上も引きづったのだった。

                城内公園

 佐々木紀一は、定年退職後は、毎日の行動パターンとして、早朝駅などの掃除を行うアルバイトをして、家に帰って、ひと眠りする。そして、目wp覚ますとそこで初めて昼食兼任の朝食を摂るのだが、その時に、テレビをつけ、一日の始まりを感じた。
 ただ、あくまでもズルズルとした生活で、本当であれば規則正しい生活を心がけるのが当然なのだろうが、体内時計は放っておいても、身体が慣れてくると、勝手にリズムができてしまう。それが、佐々木紀一という人間の特徴であった。
 朝食が終わった頃に洗濯も終わり、洗い物の痕に洗濯物を干すという、自分の中で一番煩わしいことを、同時にできることは一連の行動としてありがたいことであった。
 ここまでくれば、ちょうど一時頃になるであろうか、夏であれば熱中症の心配があるので、行動パターンが変わるが、まだ冬のこの時期であれば、昼の一時頃というと、表に出かけるにはちょうどいい時間帯である。紀一はこの時間を散歩の時間に充てた。
 散歩コスはある程度決まっていた。家の近くには、この街が元城下町だったということで、天守閣を頂く、石垣が格好いいお濠を横目に見ながら歩いていくと、すぐに大手門が見えて、場内へと入ることができる。
 この城の大手門から中の公園は、無料で入ることができる。天守閣に登るには拝観料がいるが、本丸の近くまでは散歩コースとしての公園の様相を呈していた。
 紀一は、このコースの往復が散歩コースであった。距離としては三キロほどであろうか。ゆっくりと歩いて、一時間弱という散歩コースを毎日堪能していた。
 その日も一時少し前に出かけて、二時頃には帰宅予定で家を出ていた。風もあまりなく、日差しも適当にあり、ポカポカ陽気ということもあり、寒さを感じさせる要素はどこにもなかった。
 朝の誰もいない時間帯であれば、ジャージなどの歩きやすい服装でいいのだろうが、昼間はさすがにそうはいかない。もっとも、散歩だからと言って、ジャージを着るという考えは紀一にはなかった。
 その日は、普通のカッターシャツにセーターを羽織り、春用のハーフコートといった出で立ちをしていた。まさか普通は散歩だとは思わないだろうし、散歩ではないとすれば、手ぶらということに違和感があるくらいではないかと思えた。
 天守閣を横目に見ながら、いつものおように構内公園を歩いていると、思ったよりも汗を掻いているのを感じ、最近にしては暖かくなってきたということを感じながら、公園の端にあるベンチに腰掛けた。そこからは天守閣が正面に見え、されに、眼下には、公園という、贅沢な光景が味わえたのだ。
 ベンチに座ると、背中にじんわりと汗が滲んでいるようだ。滲んでいる汗を気持ちいいと感じるか、違和感で気持ち悪いと感じるか、体調にもよるのだろうが、それよりも、その時の自分の運勢に関係を及ぼしているような思いがあった。
作品名:限りなくゼロに近い 作家名:森本晃次