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限りなくゼロに近い

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 それは、一目惚れしてしまったことで、自分の中に、勝手な妄想の彼女を作り上げてしまったことだった。前述のように、相手の顔や表情から感じ取れたイメージから作り上げた性格を勝手に思い込んでしまったことで、それが少しずつ違ってくると、まるでメッキが剥げてしまった金メッキ細工のようなギャップに対し、本当は自分が勝手に思い込んだだけなのに、それをすべて相手のせいにして、自分に逆らったかのような錯覚まで抱いてしまい、結局ぎこちなくなり、相手も信じてくれなくなった。そこまでになっているのに、この期に及んで、自分が悪いということを決して見詠めようとしない。それだけ怖かったのだ。
「何が怖かったというのか?」
 それは、その事実を認めてしまうと、自分が一目惚れをこれから二度とできなくなってしまうというのを認めたことになるからだ。
 今であれば、
「それでもいい」
 と思うのだろうが、あの時はそれを許さない自分がいた。
 ここは、彼女の中にある、強情な性格が自分に悪いように影響してしまったと感じることで、副作用を呼んでしまったのであろう。
 本当であれば、彼女の性格は自分の中の悩みに対して、特効薬のワクチンであるくせに、体調が悪い時に注射など禁物なはずであり、その時の紀一も心の病みが、体調の悪さであり、禁物のワクチンを接種してしまったことで、副作用を引き起こしたのであろう。
 ひょっとしたら、それは、
「アナフィラキシーショック」
 だったのかも知れない。
「スズメハチに二度差させると死ぬ」
 と言われるが、これはハチの毒で死に至るわけではない。
 一度刺されたことで、スズメバチの毒に対して、人間の身体が抗体を作るのだ。そして、もしその後スズメバチに刺されると、侵入してきたハチの毒に対して、身体の中の抗体が反応して、ショック状態を引き起こす。一種の副作用のようなものだと言ってもいいだろう。
 せっかくできた抗体が侵入してきた毒に対して機能してしまったことで、shっく状態を引き起こすというのは、何という皮肉なことだろう。それだけアレルギーというのは恐ろしいのだ。
 恋愛でも、相手のことを分かっていると思っているという抗体が、相手の思いと違ったことで、精神的なショックを引き起こす。それが身体にどのような李経を及ぼすか、精神的にはショックが立ち直れないものであればあるほど、身体に起こすショックは計り知れないものとなってしまう。それも一種の、アナフィラキシーショックなのではないだろうか。
 その恋愛におけるアナフィラキシーショックを引き起こしたその時の抗体の元になっていたのは、一目惚れという自分がそれまで起こしたことのない、一つの感情の表れだったのだ。今ならそのことが分かっている。
「もう一度あの時に戻ってやり直してみたい」
 と思うのは、今まで生きてきた中で、この時だけであった。
 もちろん、原因もショック状態も分かっているからであるが、問題はそこではない。
「もし、もう一度あの場面に戻ったとして、どうやればいいのか、自分で分かるのだろうか?」
 という思いであった。
 原因も結果も分かっていて、そのプロセスも分かっている。すべてを分かっているのだから、簡単にやり直せるかというとそうはいかない。無数にある可能性の中の一つがうまくいかなかったからと言って、まだ可能性は無限にあるのだ。
「無限から一を引いても、無限にしかならない」
 ということである。
「あの時の恋愛だって、結局は減算法だったのではないか?」
 と考えていた。
 それ以降も、自分が創造していた通り、自分から好きになった人はいなかった。むろん、一目惚れなどあろうはずがない。だから、今まで付き合った女性とは、付き合っていくうちに好きになったパターンである。
 しかも、そのほとんどが相手に好きになってもらったことで、自分も好きになるというパターンだった。やはり最初に好きになった女性へのトラウマが自分の中にあったからではないだろうか。
 そう思うと、その人の存在が今の自分をいかに形成している課ということが分かるという小ものだ。
「恋愛というのは、好きになられたから好きになるんじゃなくって、好きになったから、好かれたいという思いのことをいうのだ」
 と言っている人がいたが、紀一はその意見にはどうしても賛成できなかった。
 その理由は自分が好きになる前に相手に好かれるからだ。女性を好きになることがないわけではない。
――この娘、可愛いな――
 と思うことは結構ある。
 むしろ結構多いと思っている。ストライクゾーンは広い方だった。それは、好かれた相手に対して好きにならないという選択肢が自分の中に存在しないからだ。
 ひょっとすると、好きになった相手に対して、好きになったと思いたくない気持ちが、意識を隠そうとしているのかも知れない。
「好きになってもらった相手でなければ、自分が好きになったという事実を認めたくない」
 とでもいうような感覚である。
 二十年前に離婚した女房もそうだった。
 彼女は、実におしとやかなタイプの女性で、自分の気持ちを表に出すことのないタイプだった。
 人見知りの激しい女性で。どうやって自分と仲良くなるきっかけがあったのかということすら、もう過去過ぎて覚えていないほどだ。
 それほど出会いに対してのインパクトはなかった。
 ただ、紀一が元女房に対して気になっていた思いは。
「自分に対しては、一切の人見知りはなく、誰にも言えないようなことを自分にだけ話してくれる」
 という思いだった。
 その思いが、紀一の気持ちを動かしたのだ。
 そんな彼女は、紀一のいうことであれば、何でも聞くようなタイプの女性で、それは、自分の話をどんなことでも聞いてくれる自分への、
「お返し」
 のような思いがあったのではないだろうか。
 付き合い始めた頃の何度目かのデートでのことだったが、待ち合わせ場所に間に合わないということで、ちょうど、遠くへ出張中だったということもあってか、自腹で新幹線を使ったことがあり、何とか間に合った。それが彼女を感激させたと言ってくれたことがあった。
 その時の紀一は、
「そんなことは当たり前のことだ」
 というくらいに思っていた。
 その頃には、もちろん、ケイタイ電話などがあるわけでもなく、一度待ち合わせをして、相手は移動してしまうと、連絡を取るすべはなかったのだ。電話連絡はもちろん、メールなどというものもない。そもそも、メールというと、手紙という感覚しかない時代である。
 そう、時代とすれば、まだ昭和だったのだ。パソコンすら、一般家庭に普及していない。マウスなどない時代だったのである。
 移動中にリアルに連絡が取れるといえば、タクシーに備え付けられている無線機くらいのものであろうか。
 そんな二人はその頃から親密になっていったのだが、今から思えば、付き合っている最中に彼女が一番聞かれることで嫌だったのが何だったのかということを、離婚して少しして気付いたような気がした。どうしていきなり気付いたのかということはハッキリと分かったわけではないが、その内容というものは、
「俺のどこを好きになったんだい?」
 という言葉だったように思うのだ。
作品名:限りなくゼロに近い 作家名:森本晃次