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限りなくゼロに近い

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 猪突猛進で歩んできた人ほど、立ち止まった瞬間に受ける狼狽は激しいものだったに違いない。
 特に、順風満帆でそこまでこれた人はそうかも知れない。
「俺は、何も考えずに来たのだろうか?」
 という思いが襲ってきた時、自分が進む先が一気に不安になる。
 だが、実際には何も考えずに来たわけではないのだ。猪突猛進の人間は、怖いもの知らずで進んできただけで、しかもその性格は悪いことでも何でもない。それを悪いことだと思ってしまうから、せっかく前を見ていた自分が怖くなってしまう。
 怖いもの知らずの人間ほど、実は一番恐怖を恐れているのだ。
「虚勢を張る」
 という言葉があるが、まさにその通りである。
 野球で投手が、強気のピッチングと呼ばれるのは、
「後悔したくない」
 という思いからである。
 投げたいボールを放って打たれるのであれば、それは諦めはつく。まわりの野手の気持ちは別にして、そこで投げたいボールを投げずに打たれると、絶対に後悔が残るからだ。だが、それがいつも成功するというわけではない。むしろ失敗の確率はかなり高いのだ。それでも、そのピッチャーが強気と言われるとするならば、打たれた時は、他のピッチャーと同じように、相手が狙っているボールを投げたから打たれたのだという風に思われることで、印象に残ら解からだ。少なくとも、いつも自分に正直でさえいれば、うまくいった時の印象をまわりに刻ませることができるので、その頻度でまわりの印象が変わってくるというものだ。
 だから、紀一は若い頃の自分と今の自分を比較することができる。
 他の人がよくいうのは、
「もう若くないので」
 と思うからなのか、
「若い頃に戻りたい」
 とよく話しているのを訊いたことがあったが、紀一は決して自分は若い「あの頃」に戻りたいと思うことはないのだ。
 その理由はいくつかあるのだろうが、一番の理由は、
「年を取れば取るほど、その瞬間瞬間を大切にしたい」
 という思いに駆られるからだった。
 それはきっと、
「年を取ると、若い頃を思い出してしまうからだ」
 と言われるゆえんではないからだろうか。
 昔を思い出すということは、今の自分を過去に投影して、想像を妄想にしているのだ。もし、昔の自分に戻りたいなどと発想してしまうと、今の自分の身体のママ戻ってしまうところしか想像ができない。それだけ身体は行き着くところまで行ってしまっているのだ。
 それにも関わらず、昔のことを懐かしくて思い出すのは、精神は行き着くところまで行っていないということになり、それだけ肉体と精神が一致していないということになる。
 逆にいうと、
「過去に戻りたい」
 と感じる、戻ることができる精神と、
「行きつくところまで行っている」
 という肉体とのギャップが、重なり合って、ジレンマを引き起こすことで、過去に戻ることは不可能だということを思い知り、それだけに、過去に戻ることのナンセンスさを感じるのだろう。
 そういう人間にとって。
「戻れるものなら、子供の頃に戻りたい」
 と思うのだ。
 しかし、それは本心だろうか? それほど、少年少女時代にいいことがあったと言えるのだろうか? そう思うとするならば、
「今のこの状況を変えたくて過去に戻りたい」
 と思うのではなく、
「過去の嫌な思い出を変えたいから戻りたい」
 と思うのではないだろうか?
 となると、戻りたいわけではなく、戻って過去を変えたいという使命感のようなものに苛まれているからなのであろう。
 だが、今までに何とかやり直したいと思うことがあるのも事実だった。
 というよりも、あの時に戻って。その場面からやり直したいと考えることであったが、それはすぐに考えを辞めてしまうことになる。
 なぜなら、その瞬間というのは、ずっと時系列で続いてきたことの根長で起こっていることである。
 例えば運命の人に出会うというのも、その瞬間に偶然出会ったというわけではないだろう。何か用事があってその場所に自分が赴いて、相手も同じように自分の都合で来ているわけだ。もしそれが少しでもずれていれば会うことはないだろう。それだけに、
「運命」
 という言葉を使うのだろうが、考えてみれば、そういう場面の連続が人生なのではないだろうか。
 そう考えると、
「人生というのは、運命という言葉が無数に結びついた結果なのではないか」
 と言えるのではないだろうか。
 数珠つなぎになった運命が無限にあるというのは、やはり時系列がしっかりしているからであろう。
 だが、同じ瞬間に別の運命が繋がっているという考えがある。いわゆる。
「パラレルワールド」
 という考えだが、その考えがあるから、タイプマシンの発想が生まれたのかも知れない。
 しかし、これは諸刃の剣のようで、その世界を覗いてしまったり、狂わせてしまうと、今のしっかりとした、
「時間の秩序」
 がなくなってしまい、この世界が消滅してしまうという恐ろしい発想にも繋がってくるのである。
 SF的な発想になってしまうが、そもそも子供の頃に戻りたいとか、過去に戻って人生をやり直したいという発想は、そんな秩序を乱すことであって、できるわけがないと思っているから、誰も何も言わないのだし、何も起こらないのだろう。
 そんなことを考えていると。まわりが繋がっている運命を他人と共有することへの恐ろしさもあり、人と関わることを妙に怖いと思う人もいるのだろう。そんな人に、
「どうしてそう思うのか?」
 と訊いても答えられるはずはない。
 答えてしまうと、「時間のタブー」というものに抵触することになるからに違いない。
 ただ、紀一は一つ気になっているのは、学生時代に一人好きになった女性がいたのだが、その人と結婚するつもりでいた。
 それまで一目惚れなど一度もなかった紀一だったが、彼女のどこがよかったのかと訊かれると、あの頃はハッキリと答えることができなかったが、今だったらハッキリということができる。
「目が綺麗だった。目が透き通って見えたことで、しっかり自分のことを見てくれているというのが分かった気がしていたし。それよりも、綺麗な中に可愛らしさを感じることのできる人だったからなんだろうな」
 という思いであった。
 それは、紀一という男は、女性の性格を考える時、顔や表情から感じ取れたイメージをそのまま性格として感じるというタイプだからではないだろうか。だが、結局うまくいかなかったわけだが、その理由はいろいろと考えられるのだが、一番直接的に思えたのは、彼女を一目惚れしてしまった自分に原因があると思っている。
作品名:限りなくゼロに近い 作家名:森本晃次