限りなくゼロに近い
二、三度は一緒に皆で呑んだこともあったが、一度、先生から二人きりでと言って誘われたことがあった。
どうやら、先生としては、一度は参加者の人と差し向かいで呑んでみたいと思っていたようだ。
だが、意外とお互いに意気投合したのか、先生の方から、時間があったら誘い掛けてくれる。人数での飲み会は苦手だが、差し向かいであれば、別に遠慮することもない。いくら相手が先生と言っても、差し向かいであれば、対等な立場を自分から作ろうとするのが紀一の性格だった。
そんなこともあってか、先生は紀一を気に入ってくれたのか、よく誘ってくれるようになった。
そんな時、紀一もよほどの事情や、体調の悪さなどがない限り断らない。だから余計に一度断ると、
「どうしたんですか? どこか具合でも?」
と余計な心配をされてしまう。
それも悪いことはないのだが、紀一には苦手なことだった。
それを思うと、二人きりというのも、決して気が楽なことではないと思うようになったのだった。
ちょうどその日は、家から俳句サークルで使っているメモ帳をもってきていた。何か思いついた句があれば、詠んでみようと思っていたのだ。閃きというのは、いつなんで気あるか分からない。だから、俳句に限らず、メモ用紙はいつも持ち歩いていた。
俳句を作ろうと、公園のまわりをいろいろ散策してみた。一つのテーマとしては、
「せっかく目の前に天守閣があるので、天守閣を主題にするか、バックにイメージしているかのような作品を描ければいいな」
と思っていた。
俳句というのは、
「五・七・五」
という決められた文字数に感情を込めるというもので、文章とは逆のイメージを持つものである。
小説などのように、目の前の情景をいかに相手に伝えるか、あるいは、その人の信条や、あるいは、物語であれば、段階を追って、その場の情景を伝えられるかということが大いに問題になるのだった。
しかも俳句というのは、ある意味制限がいろいろある、まず季語というものを必ず一つはいれないといけないということ、さらに多重季語は絶対にダメだというわけではないが、避けなければいけない。さらに文字数という制限。そういう意味では小説を書くよりも難しいかも知れない。
だが、
「俳句は何とか作ることができるが、小説は絶対に書けない」
という人が結構いるのではないだろうか。
俳句というものは、いろいろな制限があるが、ある意味制限があるだけに、制限さえ守っていけば、それほど難しいことではない。しかも、短い文章なだけに、慣れてくるのも早いのではないだろうか。
しかし、小説というのはそうはいかない。
やってみると分かるのだが、何も用意せずに書き始めれば、たぶん数行も書いたところで、先が見えている。いかに小説を書こうとしても、一度挫折すると、
「やっぱり長い文章というのは難しいんだ」
と思い込んでしまう。
文章を書くには、基本的にはプロットというものを作成する必要がある。
いわゆる設計図のようなものだが、どのような内容にしようか、ジャンルであったり、情景や登場人物の配置。さらには、描く時の視点が一人称なのか三人称なのか、さらには、起承転結などの流れも必要だ。
それを書いておかないと、書いていて支離滅裂な内容になってしまい。袋小路に迷い込んでしまう。それが小説を書けない一番の原因なのではないだろうか。
ただ、本当に書けないという一番の理由は。、
「自分には書けないんだ」
という思い込みがあるからだ。
そういう意味で、小説講座であったり、小説の書き方なりのハウツー本を読んだりすると、一番よく書かれているのが、
「何があっても、一度は最後まで書き終えることが大切だ」
と書かれていた。
途中で挫折してしまうと、
「ああ、やっぱり駄目なんじゃないか。小説を書ける人というのは、一部の限られた天才だけなんだ」
と思い込むであろう。
だからこそ、逆に、
「書けるようになりたい」
と思うのだ。
書けないからこそ、書きたいと思う。それこそ、芸術を志す人の共通の考えではないだろうか。
作ることのできる人を芸術家として尊敬する。その思いがあるから、自分もそうなりたいと思うくせに、うまくできないと、
「やっぱり、俺なんかにはできないんだ」
という言い訳になってしまうのだ。
だが、俳句の場合は、思った言葉を決められた文字に置き換えればいいだけだ。
「そんな簡単なものではない」
と言われるかも知れないが、別にプロを目指しているわけでもない、ただの素人が趣味としてやっていることだ。
そう思うと、誰にでもできると思うのだが、できることで、さらに高みを目指そうとする気持ちが生まれてきて。小説を書けるようになりたいと思う気持ちも、
「書けるようになって終わりではない。まだスタートラインに立ったというだけではないだろうか?」
と思うようになった。
俳句を書こうと思って公園の林の中にまで入り込んで書いていると、そこに何か黒いものが落ちているのを発見した。
「何だ、あれは?」
と思って近づいてみると、小さな、トランプのカードくらいの大きさで、少し厚みがあるのを感じた。
年を取って視力も落ちてきたので、それが何であるか、分かった気がした。
「スマホではないか?」
と思い、拾って交番に届けようかと思ったが、
「待てよ?」
とふと考えてみると、
「そういえば、一昨日、あいりさんを病院に運んだ時、ケイタイが見つからないとか言っていなかっただろうか?」
ということを思い出していた。
ケイタイが見つからないことで、誰かが持って行ったのではないかと思っていたのに、どうしてこんなところにあるというのだろう。それを思うとまったく別人のスマホの可能性もある。何しろここは、一度警察が捜索した場所ではなかったか。
ただ、少し分かりずらいところにあるのも事実で、あまりこんなことは考えたくはないが、殺人事件でもない捜索で、見つかりにくいところまで踏み込んで探したかどうか、少し疑問だった。自分が二年前までいた警察なだけに、その思いが却って深いというのは、実に皮肉なことである。
とりあえず、汗を拭くタオルハンカチに包んで、そのまま交番に届けようと思った。見る限り、公園内に人はおらず。スマホを探している様子もない。とりあえずは交番に届けるのが無難ということではないだろうか。
そう思った紀一は、近くにある、正確にいえば、大手門から少し出たところに交番があるおを知っているので、そこに届けることにした。
交番には、一人若い警官がいた。
「すみません。落とし物を持ってきたんですが」
と言って、中に入ると、
「スマホの落とし物ですね? わざわざありがとうございます」
と言って、一枚の紙を取り出し。
「ここにお名前と拾った場所などをご記入ください」
と言って、いかにもお役所仕事という感じの対応に、少し苛立った紀一だったが、
「いや、その前にちょっと気になることがあるんだけどね。君は一昨日、城内公園で昼間に一人の女性が苦しみ出して、救急車で運ばれたという事件を知っているかね?」
と、聞くと、