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限りなくゼロに近い

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 時系列という意味で、一気に年を取ったりするのは夢の中では可能なわけだが、そういう時間経過ではない。実際に夢の中の持っている時間というものが、二度の夢では違うのだ。
 夢の中とはいえ、時間は同じ感覚で進んでいるものだと思っている。それを一気に飛び越えたように感じるのは、その間を一気に抜けた。いわゆるタイムマシンのような発想が、夢の中で自然に息づいているのではないだろうか。夢の中であれば、現実世界のパラドックスや、デジャブなどの辻褄合わせの発想を、恐ろしいものとして考える必要はない。だから、時を一気に超えても、そこに弊害が起こることはない。それが、夢の特徴であり、潜在意識のなせる業だと言えるのではないだろうか。
 その時に二度寝して見た夢は、どうも楽しい夢だったような気がする。夢の中に出てきた人は中学時代に一目惚れをした女の子ではなく、前の日に初めて会った、由衣だったのだ。
 由衣は、夢の中で、しきりに紀一を誘っていた。どこかの世界に誘いかけているようなのだが、夢の中の自分は、その誘いに違和感を持つこともなく、彼女についていくのだった。
――どこに連れていこうというのか分からないが、自分はこのまま彼女についていくしかない――
 という思いを抱いていた。
 今度目を覚ました時は、徐々に目が覚めるといういつもの目の覚め方だった。
 この時は、正直、
「夢だったんだ」
 という、残念な気持ちがあった。
 なぜそう思ったのかというと、夢の中で由衣が言った言葉が頭の中を離れなかったからである。
「逢いたかった」
 と、確かに彼女はそう言った。
 あの言葉は何だったのかというのを考えてみたが、どうやら、紀一に対しての会いたかったという意味ではないようだ。
 もし、いうのであれば、
「また会いたい」
 というのが正しい表現であろう。
 そのことは自分でもよく分かっているつもりで、夢の中で一番聞きたくなかったのは、過去形ではないかということを、目が覚めるにしたがって感じるようになっていたのだ。
 それが、次第にこの夢を、まるで虫の知らせであるかのように感じさせたのであり、由衣とは連絡がつくようにしてあったので、昼頃にでも、一度連絡を入れてみようと思うのだった。
 連絡というっても挨拶程度に収めておこうという思いがあるが、それはやはり、一目惚れという夢のパターンの中で、由衣という女性を思い浮かべたことへの、後ろめたさなのか、恥ずかしさのようなものがあったからであろうか?
「いい年して、何を考えているんだ」
 と言わんばかりであった。
 夢を見ていると、どこまで自分が夢の中で何を感じていられるかということを思ってしまうような気がした。虫の知らせを感じるというのも、夢が時々現実と混同してしまって、時として入れ替わっているのではないかというような錯覚に陥ることがあるのを感じるからだった。
 錯覚というものは、誰でもいつ陥っても無理のないこと、何かの根拠はあるのだろうが、本人に意識のない錯覚というのは、ある意味ありえないと思っている。
「何かを感じることで、勘違いをしたり、間違った感覚を持ったりすると感じていることが、錯覚を引き起こす一つの要因なのかも知れない」
 と感じていた。

              虫の知らせ

 目が覚めてからというもの、ゆっくりと身体を起こし、今日もいつものように朝食を作る。
 飽きもせずのベーコンエッグにトースト、それにインスタントのコーンスープであった。
 トーストに塗るものも、最近はバターを使わずにジャムをよく使う。この間までは、ブルーベリーばかりだったが、一瓶も使えば、ちょうど飽きが来るというのので、最近ではいちごジャムを使っている。
「やはり、オーソドックスでうまいな」
 と感じさせた。
 その旨味は甘さにあるようで、ブルーベリーのように元々甘さがないのか、それとも故意に甘さを控えているのか、中途半端な甘さに感じられ、昔からのイチゴジャムの懐かしさに最近は嵌っていた。
 その日も朝日が差し込んでくる。今日はいつもの早朝バイトもないので、こんな時間に食事なのだが、普通の家庭ではどこでも同じ朝食タイムなのだと思うと、どこか複雑な気持ちになってきた。
「せっかく目を覚ましたのに、また眠くなってくるような気がする」
 と感じたのは。二度寝をしたからであろうか?
 二度寝をしたということを思い出すと、見た夢をまた思い出すような気がする。その夢のどこを思い出そうとしているのか、自分でもハッキリと分かっていないような気がしているのだが、どうして分からないのかということすら、無意識に何かを感じさせるようで、
「まだ、これすら夢の続き何だろうか?」
 とさえ思えてくる。
 そういえば、子供の頃に見たマンガで、
「不眠症に悩んでいる主人公が、眠れない眠れないと悩んでいたのだが、実際には眠れないという夢を見ていた」
 というオチであったのを思い出した。
 スパイラルや、負の連鎖を思わせる内容であり、今であれば、普通に考えられるような話であるが、当時としては、センセーショナルな内容だったような気がする。
 そんなことを思いながら、部屋の中にいつものように充満するトーストにジャムの香ばしい香りと、ハムエッグの油を含んだ甘い香りとが、さらに睡魔を差そうような気がするのだ。
――ひょっとすると、この瞬間、眠りについていないのに、夢を見ていたのかも知れない――
 という感覚を持った気がした。
 だが、時計を見ると、とても夢を見たというほどの時間が経過しているわけではない。意識の中の時間と符合しているからだった。
 しかし、以前どこかの心理学の先生から聞いたことがあったのだが、
「夢というのは、どんなに長い夢であったとしても、それは目を覚ます一瞬、数秒くらいの間に見るものだ」
 というものだった。
 確かに目が覚めていくにしたがって。夢が薄れていく時に、
「あれだけ長かったと思っている夢のはずなのに」
 という思いから、気が付けば、どうしても夢に対しての意識が消えていくのだった。
 夢から覚めるわけではなく、
「夢の世界の自分は、これから自分が夢を見るような感覚なのかも知れない」
 と感じた。
 ということは、現実世界で今感じていることも、夢の中の自分も感じていて、現実世界の自分すら気付いていない自分というものを分かっているのではないかという意識を持っているのかも知れない。
 夢を見た時、夢を見ている自分と、夢の中の主人公である自分の二人の自分を感じているのと同じだ。
「同じ次元に、もう一人の自分が存在することはありえない」
 と思うから、その思いが夢の中で感じたことを、目が覚めるにしたがって、忘れなければいけないことの中に含まれるのであろう。
 もし、その感覚を持ったまま夢から覚めてしまうと、果たしてどのようなことになるというのか、紀一は時々考える。
 たまに一人でまわりを意識することなく考え込んでいることがあるようだが、こういうことをいつも考えているのではないだろうか。
 紀一は、いつも何かを考えているということを感じている。それは今に始まったことではないのであった。
作品名:限りなくゼロに近い 作家名:森本晃次