小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

限りなくゼロに近い

INDEX|15ページ/29ページ|

次のページ前のページ
 

 その時の中学時代の自分は、一目惚れをしている自分であった。気持ちの中では、その一目惚れをしている相手に早く会いたいと思っているのだが、ソワソワした気持ちの中に、不安な気持ちが含まれている。
 本当は逃げ出したいくらいの気持ちなのだ。逃げ出したいという気持ちは、自分に自信がないからで、逃げ出したいという思いが逢いたいという気持ちをいかに正当化させようかと感じるのだ。
 素直にただ会いたいと思うだけではダメなのか? 中学生の自分は考える。会いたいと思うだけなら別に悪いことではないと思っているくせに、どうしても頭の中に引っかかっているのは、
「自分が一目惚れなどしてしまった」
 ということであった。
 一目惚れが悪いことだとは思っていないのだが、一目惚れをしてしまったことで、自分のことを好きになってほしいという気持ちが強くなるのだ。一目惚れではない場合は、相手から好かれないと、こちらから好きになることはないと思っている紀一は、そういう意味で、
「自分を好きになってもらいたいと思うのは、一目惚れの場合にしかありえないことなのだ」
 と思う時であった。
 紀一は、夢ではあまり考えないようにしていると思っていたが、結構考えているようではないか。
 今までも、昔の夢、特に学生時代などの夢を見ることがあった。
 そんな時は、いつも自分だけが若返っていて、中学生の中にいるのだが、実際には自分がとっくに中学を卒業していて、大人になっていることは比較している。
 しかし、大人になっているという自覚があっても、どれくらいの大人なのかは分かっていない。前に見た時、自分がどれほどの大人だったのかということを、模索しているような気がしているのか、その時を思い出そうとしているようにも感じる。
 夢の中の自分は中学生になっているのだから、その中学生から見れば、二十歳も、四十歳であっても同じ大人なのだ、そう思うと、夢の中の自分の視線も夢の中では有効なようである。
 その日の夢は、夢の内容よりも、夢というものがどういうものなのか? ということを考えていたような気がする。意外と夢に集中できなかったりしたのだが、そのわりに、見た夢をおぼろげであるが覚えているというのもおかしなものだった。
 夢というのは、そのほとんどを覚えていない。
「目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」
 という意識があるからなのだろう。
 実際には、怖い夢というのは覚えているもので、普通に見た夢や、楽しい夢、特にもう一度見たいと思うような夢の記憶はない。だが、普通ではない夢を見たという意識だけは残っている。どうして分かるのかというと、
「こんな中途半端なところで目を覚ましたくない」
 という意識が残っているからだ。
 しかもそういう意識がある時というのは、そのほとんどが、夢から一気に目覚める。いきなり現実に引き戻されたと言った方がいいだろう。
 怖い夢であり、覚えている夢でも、普通に見た覚えていない夢であっても、目を覚ますまでに若干の時間を必要としている。目が覚めてしまうと、覚えていない夢であっても、
「目が覚めるにしたがって、現実世界に引き戻され、忘れてしまう」
 と感じるのだ。
 つまりは、
「まだ見ていたい夢のようにいきなり現実に引き戻された時は、夢を覚えていないのであり。ゆっくりと目が覚めるにしたがって記憶から消えていくのは、忘れてしまうということなのではないか?」
 ということなのだろうと、この年になって紀一は感じるようになってきた。
 その日見た夢が、ある程度覚えているような気がする。中学時代の一目惚れの女性を思い出す夢は今までにも何度も見た。
 その時、普通に目が覚める間に忘れてしまったこともあれば、いきなり現実に引き戻された、まだ見ていたい夢だったというもの、さらに恐怖を感じさせる夢で、
「確か最後には、もう一人の自分が夢の中に出てきた気がする」
 と思わせる夢を見た。
 一つの夢で、すべてのパターンの夢を見たというのは初めてで、そもそも三つのパターンの夢なのだから、最低三度は同じ夢を見る必要があるのだ。
 同じ夢を三度も見るということ自体他の夢であっただろうか。あったような気がするが、この三つのパターンを網羅した夢はなかったような気がする。
 怖いという印象を持ったまま、その夢の内容を目が覚めても覚えていたというのが、そのほとんどだったような気がするが、すでに忘れてしまっていて、どんな夢だったのかすら思い出せないほどだった。
 同じ夢を何度も見るというのは、よほど未練があるからなのか、逆に自分にとって危機一髪だと思ったことがトラウマになっていて、普段は思い出すことはないが、それは、自分が普段思い出したくないと思っているからで、潜在意識が見せる夢では、そんな忖度はないので、兵器に何度も見せられるのではないdろうか。
 そんなことを考えていると、今日見たこの夢は何かの前兆のようなものであり、正夢になるか、それとも虫の知らせのようなものか、その答えは今日中に何かの形で現れるのではないかと感じた。
 今までにも見た夢が正夢になったり、虫の知らせのようなものであったりということはあった。ただ、その起こったことが、定期的に起こることであったり、普通の人はあまり経験しないことでも、仕事上、いろいろ陰惨な場面に立ち会うことの多い紀一には、珍しいことではない場合も多いのだが、それでも、本当であれば、見たくないものであるというのは、一般市民とは変わりはない。それだけに、
「虫の知らせや正夢など、あってほしくない」
 と思うようになっていた。
 その日は、朝の掃除が休みの日だったので、早く起きる必要などないと思っていたにも関わらず、気が付けば早朝の四時前だった。
「もう一度寝ようか?」
 と思ったのは、ひょっとすると、夢の続きを見るかも知れないという思いがあtったからだった。
 だが、目を覚ました時はおぼろげに覚えている夢ではあるが、眠りについてしまい、夢の世界に突入してしまうと、さっきまで見ていた夢を、まるっきり忘れてしまっているようだ。
 だから、さっき見た夢の続きを見ていたとしても、覚えていないのだから、本人は夢の続きを見ているなどという意識はない。だが、シチュエーションが似ているというだけで、同じ夢を繰り返して見ているのかも知れない、その場合最初に見た夢と、自分の行動パターンが同じだとは思えない。同じ人間なのだから、似たような行動はとるだろうが、その一瞬一瞬に行動パターンの選択肢が無限に広がっているのおだから、同じ行動をとるなどありえないと言えるのではないdろうか。
 そのことは、文章を書いていても分かることだ。同じ題材で、最初に書いた作文と、もう一度書く作文は、なるべく同じにしようとしても、結局テーマに沿っているだけで、ただの似たような文章にしかならないだろう。ましてや一字一句一緒にするなど、不可能である。
 しかも、同じ夢を見ていたり、続きを見る時というのは、一度目に見た夢と二度目に見る夢とではスピードが違うのだ。
作品名:限りなくゼロに近い 作家名:森本晃次