限りなくゼロに近い
ハンバーガー屋さんというのも、ある意味あざといのかも知れない。ファミレスでもいいのだろうが、紀一とは気さくに話せる相手でいたいという意思表示からなのか、敢えてハンバーガーショップにしようと思ったのかも知れない。
「私以前、養成学校の先生とお付き合いしていたことがあったんだけど。その人とはいつも高級レストランだったの。その人は私に好かれたいという気持ちが強すぎたのか、かなり見栄を張っていたようなのね。私も彼の気持ちが分かったので、下手に指摘すると悪いと思って黙ってしたがっていたんだけど、そのうちに、私のために、借金するようになって、結局、私と別れて、養成学校を去ることになったの。私は、別に彼に何かをしてほしいと思っていたわけでもないのに、いつの間にかまわりから、私は男性をダメにするタイプの女性と言われるようになってしまい、思ってもいなかった悪女のようなレッテルを貼られてしまったのね」
というではないか。
「それは辛かったよね。本人の思っていることと別の状況にあわりが向かっていくと、これほど戸惑うことはないよね。しかも、相手を惑わせてはいけないからと思って、何も言わなかったのに、最後の結末が最悪になるというのは。今後の自分がどのような態度を取っていいのかというジレンマが襲ってくることになるんだろうね」
と、紀一は言った。
「ええ、そうなの。でも、私はこの性格をいきなり変えるということはできないと思っているの。だって、私を知っている人は私のこの性格でもって応対してくれているんだから。その人たちに対して再度考えを改めさせなければいけないというのは、少しおかしな気がするんですよ」
と由衣は言った。
「君たちくらいの年齢というのは、私には正直よく分からないんだけど、君たちと一緒にいるだけで、自分がどんどん若返っていくような気がしてくるんだけど、これって錯覚なんだろうかね」
と、紀一は言った。
「由衣ちゃんは一目惚れしたことがあるかい?」
と、急に思い立ち、言葉を続けながら、紀一は訊いた。
「ええ、あるわよ。一目惚れの方が多いくらいなんじゃないかと思うの。急にそれまでの自分と違った自分がそこに現れたかのような錯覚に陥るんだけど、どうなんでしょうね?」
と、由衣がいうと、
「そうだね。一目惚れをした時、世界が変わったかのような気がしたというのを訊いて、自分が一目惚れした時のことを思い出したよ。何をやってもうまくいくかのような気がするんだけど、結構ボンヤリミスが多かったりもするんだよね」
と、紀一が答えた。
「それは、初めての一目惚れの時ですか?」
と聞かれ、一瞬ドキッとしたが、頷くと、
「初めての一目漏れの時は、一目惚れをした自分が信じられないと思うことで、まるで何でもできるような気がするかのような気分になるんですよ。でも、そんな時って、自惚れが強いというか、足元が見えていないんですよ。上から目線という言葉があるでしょう? あれとは違って、逆に下から目線なんですよ。だから、自分が分かっていない。そのために、目の前のこととなると、意外と失敗が多い……。でも、そのことを失敗だと思わないことが本当は一番の問題で、凡ミスも愛嬌というくらいに感じてしまうんですよね」
と、言っていた。
紀一は自分のことを思い出していた。
結局自分は、一目惚れは今まででその時一度キリだったのだ。さすがにそれを彼女の前で言ってしまうのは、その必要性を感じなかったのだ。
彼女の質問の、
「初めての一目惚れなのか?」
という質問に対しては間違っていないからだった。
ただ、この時なぜ自分が一目惚れにこだわってしまったのか、よく分からなかった。この後そのことに気づく時がやってくるのだが、
――気付きたくはなかった――
と考えさせられるのであった。
由衣の顔を見ていると、どんどん自分が若返って行っているのを感じた。
「もし、一目惚れをした女性に、もう一度出会ったとしたら、あなたはまたその女性に一目惚れしますか?}
と聞かれたとすれば、どうだろう?
その時々で、パターンも違う、パターンごとに考えてみた。
「もし、自分も、彼女もあの時と同じ年齢に戻ったとしたら、間違いなくまた一目惚れをするに違いない。では、自分が年を取って、彼女が年を取らずに若いままの彼女であれば、どうだろう? 自分がその年齢になりきろうとして、少し時間をかけてしまうが、一目惚れするだろう。では、お互いに今の年齢で出会ってしまったら? もし、相手を一度一目惚れをした相手だと分かれば、一目惚れしそうな気がする。しかし、ただ、出会っただけでは一目惚れはしないだろう。つまり、自分の意識の中で、一目惚れをする相手というのが固まっているのだ。それは一度一目惚れをすることで、その人のイメージを自分の中で組み立てて、
「一目惚れをするなら、この人」
というイメージである。
もっとも、これは一目惚れに限らず、好きなタイプの女性であっても同じことである。自分が好きになるタイプの女性は、ある程度一貫しているものであるが、それは初恋として最初に好きになった相手のイメージが自分の中に残ってしまい、その人を愛するということが、自分の頭にインプットされ、まるでルーティーンのようにイメージが形成されていくに違いない。
「私ね、本当に寂しいの。アイドルを目指しているのは、寂しさを解消するためだって思っているんだけど、それは、結局、自分のことが分からないからなのね。アイドルを目指して、アイドルとしてまわりに認識されるようになれば、私は輝けるのではないかと思うの。でも、アイドルというのは思っていたよりも辛いもので、いつだって、自分との闘い。まわりからいろいろな制限を受けて、例えば恋愛禁止だったり、体系を維持しなければいけなかったりね。それはすべてが自分のためではなく、ファンのためなのよね。孤独を解消したくてアイドルを目指しているのに、孤立するって、それじゃあ、本末転倒なんじゃないかって思うんだけど、でも一旦アイドルを目指してしまうと、逃げ出すことができなくなってしまったの。それは他人のためではなく、自分のため、逃げ出してしまうと、自分ではなくなってしまいそうで、それが怖いの。だから、本当は逃げ出したいのに逃げることができない。前に進むことも後ろに戻ることもできない。ちょっとでも動けば谷底に落っこちてしまいそうな、そんな恐ろしい気持ちにさせられるのよ」
というではないか。
テレビで笑顔を振りまいているアイドル。彼女たちは誰のために微笑んでいるのだろう?
笑顔のその先に何が見えているのか、考えたこともなかったが、彼女の言いたいことはそこにあるのだ。
「とにかく、救われたいという気持ちが強いのかい?」
と聞くと、
「ううん、そうじゃないの。私が私であるのが今だということを教えてほしいの。それを教えてくれる人であれば、私はその人に一生ついていける。そんな気がするの。だから今は、マネージャーさんや、事務所の人のいうことを信じて頑張るしかないと思っているんだけど、結局、いつも堂々巡りを繰り返すことになるのよ」
と、由衣はいうのだった。
さらに、由衣は、