永遠のスパイラル
したがって、差別化されるのはある程度仕方のないことで、逆に警察官を底辺に合わせるわけにはいかない。一定の水準があって、そこに見たなければ、警察官としての職務がまっとうできないとして、辞めなければいけない立場にだって追い込まれるというものだ。そんな中、同期の人間と上司から競わされる立場に置かれたとしても、それはパワハラとは言えないのではないだろうか。最近では、ハラスメントが叫ばれているが、何でもかんでもハラスメントで片づけるというのは、却って問題なのではないかと思うのだ。
福島刑事は、そもそも自分から、競争の立場に身を置くことで、自らの成長を促そうと思っていたことは間違いなく、上司もそれを頼もしいと思っていたのだ。
だが、少しやりすぎがあったようだ。
警察官としての職務や理念を忘れてしまっては、いくら勧善懲悪の精神を持っていても、せっかくの意志も宝の持ち腐れというものだ。
冤罪の事件においても、最初は普通に捜査をしていた。しかし、逮捕されてからの犯人の様子があまりにも曖昧だった。素直に反省しているかのように首を垂れて、素直に事情聴取を受けている時もあるかと思えば、相手をバカにしたように、足を投げ出したりして、挑発行為を繰り返してみたり、急に泣き出してみたりと、捜査陣の考えていることをことごとく覆すような事情聴取に、ほとほと疲れ切っていた。
そんな時、参考人の一言が福島の堪忍袋の緒を切ってしまったのだ。何と言ったのかまでは覚えていない。覚えているくらい冷静であれば、ここまで起こってはいないだろう。
「気が付けば、怒鳴り散らしていた」
というのが本音で、しかもその時から参考人は、観念したかのように喋り出したのだ。
しかもその内容が理路整然としていたので、誰が考えても、彼が本当に改心して話しだしたと思ったのだろう。
だが、この証言を元に起訴したが、検察官は、ちょうどその場面でのやり取りの場にはいなかった。これもまずかったのだが、そこも相手の計算だったようだ。
弁護士がしっかりと知恵をつけていたのだろうが、福島には分からない。
通常通りに起訴して、その証言さえ裏付けられれば、後は裁判に任せればいいというところで、裁判になると。
「私は警察官の恫喝に怯えて、ウソの告白をさせられた」
とばかりに居直ってしまった。
「そんなバカな」
と傍聴席から怒鳴っても、後の祭りである。
「傍聴席は静粛に」
と言われるだけだ。
そして、この時とばかりに、弁護側はいろいろと無罪の証拠を拾ってくる。普通であれば、疑わしいことも、警察の自殺の強要という意識があるからか、後から出てきた弁護側の証拠は、完全に鉄壁のものとなってしまった。
そうなると、後は、どんどん無罪ではないかという話に傾いていき、マスコミまで、
「冤罪」
という文字が週刊誌や新聞を賑わせるようになる。
結局、裁判では無罪が確定し、再度捜査は振り出しだった。
いや、冤罪を引き起こしたという部分で、大いにマイナスのイメージを持たせてしまい、さらに時間が経ってしまったことで、捜査もどんどんやりにくくなり、結局事件は迷宮入りしてしまった。
福島からすれば、
「迷宮入りになるのは、当たり前だ。犯人が無罪放免として、のうのうと生きてるからだ。そもそも真犯人が見つからないことこそが、冤罪ではないという証拠ではないか?」
と言いたいが、そんなことは口が裂けても言えない。
結局、警察は世間からの悪者となり、しかも犯人も挙げられない無能というレッテルを貼られてしまう。
そうなってしまうと、福島だけが悪いわけではないのだろうが、誰か一人に罪をかぶってもらわなければいけないということで、彼が左遷されることになったのだ。
そんな事件は、ここだけに限ったことではなく、他でも結構あることではないか。世の中で冤罪と言われているものの中に、どれだけの冤罪があるというのだろう? 逆も真なりで。本当は冤罪なのに、罪をかぶせられた人だって、山ほどいるだろう。それを考えると、マスコミや世間の言葉もあながち無視することはできないであろう。
二人の過去
二人の刑事が赴任してきて。さすがに浅川刑事が二人の刑事の面倒を見るのは難しかった。自分も事件の捜査をしながた、かたや、元巡査で一から刑事のいろはを叩きこんでやらなければいけない相手、かたた、自信過剰な中で、相手の術中に嵌る形で、冤罪と呼ばれる形の汚名を着せられたまま、左遷されてきたというデリケートな部下二人を一緒に面倒見ることは不可能であった。
一人は自分が面倒を見るとして、もう一人は桜井刑事に任せようと思った。少し危険な部分を感じ、ギリギリまで迷ったが、最初はこのコンビで行くことに決めた。
「桜井刑事に福島刑事、そして自分に河合刑事」
という組み合わせだった。
独り立ちを考えて、いきなりのペアが異動してきてすぐの福島刑事である。しかも福島刑事というと、冤罪事件の汚名を着せられ、元々自信過剰なくらいだったものが、左遷という形で他の土地に飛ばされてきた。その心境を思い図ることは無理な気がした。
少々のことにはおじけづくことのない桜井刑事だったが、さすがに独り立ちして組む相手というのが、曰くありの刑事というのは、問題だった。
ただ、年齢的にはまだ若く刑事としての経験はまだ乏しいというのが、一つの救いだと桜井は感じていた。ある程度の経験を有していて、その発展途上の中で犯したミスであれば、一番最初に浮かんでくる発想は後悔である、反省と後悔を天秤に架ければ、若いうちは反省が強いのだろうが、年を重ねる、いや経験が豊富になるにつれて、後輩が強くなってくる。
後悔というものは、考えれば考えるほど、長ければ長いほど、元の姿に戻ることを難しくしてしまう。元の自分が分からなくなるからだ。
だが、ある程度まで戻ってくると、自分の中に残っている元の姿の自分がハッキリしてくるのだが、それも自覚が必要なのだ。その自覚は後悔を抱いている間は自覚を持つことができない。それにその自覚は、自分一人ではなかなか持つことができない。
「自覚なんだから、人が介在しているというのはおかしなものではないか?」
と考えるのだが、それは違う。
確かに人が介在して自分を取り戻すことができるのだが、それが果たして本当に戻ろうとしている自分なのかが分からない。
いや、頭の中で、
「元の自分に戻りたくない」
という意思があるのではないだろうか、
あれだけ過剰に持っていた自信を失ってしまうほどのショックなことだったのだ。そのショックは、今までの自分が抱いていた自信を果たして取り戻したい自信なのかどうか、自分に問いかければ問いかけるほど、分からんくなるのだった。
本音としての、
「前の自分に戻って、もう一度やり直したい」
というところまで感じることができれば、いいのだ。
やり直すという意識が自分を前に進ませる。ただ、元に戻りたいというだけでは、中途半端なのだ。