永遠のスパイラル
「いいえ、もう一人おられます。秘書の男性が一緒に暮らしているということなんですが、ちょうど二週間くらい前に、秘書から実家で母親が病に倒れたので、至急、帰ってこいという連絡があって、急いで帰ったそうです。ただ、どうもそれから連絡が取れないということになっていたらしいですが、実は社長も娘も、会社の人間も、秘書の人の実家の連絡先が分からないというんです。ケイタイに連絡を入れても、音沙汰はない。電話に出る様子もなければ、折り返してもこない。何かあったのかと思って、警察に捜索願を出そうかと思っていた矢先だったそうです。私が知っているのは、そのあたりまででしょうか?」
というものだった。
倉橋巡査は結構入り込んだ話を知っていた。ひょっとすると、浅川が訊く前に、自分から聞いてみたのかも知れないと思った。
そのうちに、ホームヘルパーの女性が食事の用意をして、いつでも食べれる用意までしておいて、浅川刑事の待っている応接室に戻ってきた。
「ご苦労様です」
と言って、頭を下げたハウスキーパーは、年齢としては、娘よりも少しだけ年上であろうか、三十代前半に感じられた。
「お待たせいたしました。お嬢さんの支度の方は済みましたので、どうぞ事情聴取をなさってください」
と自分から言い始めた。
なるほど、社長宅に派遣されたハウスキーパーだけのことはある。しっかりしたものだった。
「それではさっそくですが、いくつか伺っていきますね。その前に、あなたがこちらの倉橋甚さにお話しいただいた分を少し聞いております。家族構成の件であったり、秘書の方も一緒に住んでおられるが、二週間くらい前に家族が危篤だということで、秘書は実家に帰っただけれど、それから音信不通になった。実家の連絡先を知らないということもあり、連絡もつかないまま、そのうちに捜索願を出すつもりだったというところまでは伺いました」
と浅川がいうと、
「なるほど、そこまで分かっているのであれば、後は、今日の話がメインになるでしょうね」
と、彼女は言った。
さすがに、冷静とは言いながら、その喉はカラカラに乾いているようで、声がまともに出ていないかのようだった。
――完全に臨戦態勢に入っているのかな?
と感じた浅川だった。
秘書の行方
ハウスキーパーさんへの聞き取りがある程度終わった頃、娘の様子もだいぶ平静を取り戻してきたようで、ハウスキーパーに警察との話が大丈夫なのかを訊いてもらうと、大丈夫だということだった。本来なら一人一人を訊いてみるべきなのだろうが、容体のこともあるので、話は一緒ということで、娘にも応接室にきてもらうことにした。
寝巻にガウンを羽織ったような恰好であったが、それも致し方のないこと、化粧も施していないのは、そもそも、彼女には化粧を施したり、服を着飾ったりなどという意識は存在しないのかも知れない。
無頓着といえばそれまでだが、ひょっとするとかつて、父親か母親から、必要以上にまわりに対して気を遣うように言われてきて、ずっと反発の感じていたのかも知れない。
「お辛いことがあったら、遠慮なくおっしゃってください。こちらおお話をやめますからね」
と浅川刑事がいうと、娘は、
「うん」
とばかりに頷いた。
ちなみに、応接室に一堂に介したメンバーとしては。警察側は、、浅川刑事、河合刑事、そして倉橋巡査、被害者の身内として娘の中西涼香。そしてハウスキーパーの山下という面々であった。
「では、さっそくですが、まずはお二人にお伺いします。ご主人を誰か恨んでいるような人に心当たりはありませんか?」
と、言われて、二人は顔を見合わせたようだが、すぐに代表してハウスキーパーの山下が、
「いいえ、社長を恨んでいるというような人に私たちは心当たりがありません」
ということだった。
「仕事のことまでは分かりませんが、仕事面でも殺されるようなことは考えにくいです。しかも、他で殺されたわけではなく、自宅の、しかも寝室ですよね、そうなると、まったく見当がつきません」
と、娘の涼香が言った。
「ところで、お母さんと亡くなったお父様は、五年前に離婚されたということですが、その時の理由などについては、ご存じはないですか?」
と訊かれて、
「いいえ、ハッキリとした理由は聞いていません。夫婦間のことですので、法的な部分は話し合っての離婚だったのだと思います」
と山下がいうと、
「じゃあ、お二人のうちのどちらかが、不倫というような話はなかったんですか?」
と言われて、最初は考えていた涼香だったが、意を決したかのように、
「たぶん、調べればすぐに分かると思うので、お話します。ただ、これもすべてを知っているわけではないので、私たちが他の外野から聞かされた話になりますが、そのあたりはご了承ください」
という前置きを入れた後で、涼香は粛々と話し始めた。
「実は、不倫ということであれば、二人ともしていたというのが事実です。どちらかが先に始めて、その腹いせに、もう片方が……、ということだったのかも知れないし、お互いに知らない間に相手に気づかれないようにして、不倫をしていたのかも知れない。そのあたりは私も分かりません。幸いなことに、それが週刊誌のネタになるようなことではなかったので、騒がれずに離婚できたのは良かったかもしれませんが。私にとっては、両親が揃っているのが当たり前だったので、いつすれ違いが起きたのか、ハッキリとは分かりません。そういうことで、五年前に離婚が成立し、お母さんは、出ていくことになったんです。もちろん、十分な財産分与などはしていたと思いますので、母は追い出されたというわけでもないようです。その後、母は少しして再婚したそうです。その相手が不倫の相手だったのかどうかは、お母さんは教えてくれなかったですので、私もそれ以上は訊きませんでした。今でも母との面会は時々しています。面会ありも、離婚の条件でしたからね。まあ。もっとも、私も成人していたので、親の離婚問題に、あれこれいうつもりはありませんでしたけどね」
と言っている。
吐き捨てるような話し方ではあるが、別に両親を憎んでいるという感じではない。むしろ。仲が悪い夫婦なら、離婚しても当然だという程度の考えを持っていて、ある意味潔いというべきか、
――服装を見ている限り、世間体などに関してはウンザリした考えなのかも知れないな――
と感じた、浅川刑事だった。
浅川刑事も服装には無頓着な方だった。ファッション雑誌などを見ている十代、二十代の男性を見て、
――一体、何が楽しいんだ?
と思うくらいだった。
さすがにスーツ着用が必要な場所にはスーツを着ていくくらいの情式は持ち合わせているが、それはあくまでも一般常識の範囲だった。少なくともファッションに金を掛けることの気が知れなかった。
「服を買う金があったら、うまいものでも食うよ」
と言っていたが、そもそも刑事というのは、ドラマなどでは、いつも着たきり雀で、一張羅のコートをいつも着ているという雰囲気があり、そういう意味では、浅川刑事は、
「昭和の刑事」
のイメージであろうか。