永遠のスパイラル
ちなみにその日の巡査当番は、倉橋刑事で、久しぶりの殺人事件ということで緊張していたが、実際に現場を見ると、あまり気持ちのいいものではなかった。男が狭い路地に倒れ込むようになっていて、その胸にはナイフが刺さっている。刺殺されたのだということは一目瞭然だった。
さらに、咄嗟に首筋を見たが、そこには扼殺痕もなかったので、やはりナイフによる殺害であることは間違いないと思った。
それからすぐにK警察から、桜井刑事と福島刑事がやってきた。
「ご苦労様です」
と敬礼を死、お互いをねぎらったが、すぐに一様に緊張した表情になり、まずは桜井が被害者を覗き込んだ。
その顔はまさに断末魔の表情そのもので、カッと見開いたその目に、犯人の痕跡が残っているかのようで、無念だったのではないかと桜井は感じた。
その後に覗き込んだの福島だったが。福島刑事の反応は、桜井刑事とはまったく違っていた。被害者を見たとたん、それこそ断末魔の表情が被害者から移ってしまったのではないかとお思うほど、彼も被害者に対して目をカッと見開き、その目を動かすことができないようだった。
「福島刑事は、この男を知っているのかい?」
と言われて、青い顔をしていた福島刑事はその表情をやっと元に戻し、
「この男は、若松という男です」
と、やっとの思いで口にしたが、
「君とはどういういきさつなんだ?」
と訊かれて、
「私にとっては因縁の相手なんです。私が恫喝したと言って、私に冤罪の汚名を着せた男がこいつだったんです。こんなことになるのなら、あの時、有罪になっておけばよかったのに」
と、思わず本音がこぼれてしまった。
――それだけ福島刑事は、彼のことを一時も忘れたことがなかったのではないか?
と、桜井刑事は考えた。
それも無理のないことであったが、確かに、かつての自分に冤罪を押し付けた相手と、このような形で再会しなければいけないなど、誰が想像できたであろうか。
「確か、二年くらい前のことだったのかな?」
「ええ、そうです」
「その時、被害者は、どんな犯罪を犯したんだい?」
「あれは、彼が詐欺集団に属していたという話を訊いて、前の署で、詐欺集団の専門家が内偵をしていたんですが、その人が殺されるという事件があったんです。その実行犯として、当時チンピラだった若松が自首してきたんですよ。だけど、曖昧な証言ばかりで、一向に事件の核心に入ろうとしない、そこで我々捜査陣は十分に怒りがこみあげてきて、皆苛立っているような感じでした。そんな中でも一番私がやつの取り調べに熱心だったので、きっと私をターゲットにしたんでしょうね。きっと自首する時点で、決まっていた計画だったんでしょう。曖昧な証言や警察を愚弄することで、最終的に自白の強要を裁判で持ち出すというですね。裁判で覆されてしまうと、刑事としては、どうすることもできない。検事さんに任せていたんですが、結局、相手の思惑通りになったということです。きっと弁護士も詐欺グループに関わっていたんでしょうね」
と福島刑事は言った。
それを聞いて桜井刑事も、
「当たらず遠からじではないだろうか?」
と思ったのだった。
詐欺集団というと、この間一緒になった韮崎刑事も知っている相手ということになるんだろうか?」
と桜井刑事が訊くと、
「ええ、もちろん知っています。私がやつを逃がしたのを、私以上に悔しがっていたくらいですからね。元々韮崎君とは、研修の時から仲がよくて、配属部署は違ったんだけど、お互いに切磋琢磨しながらやっていこうと話し合った仲なんですよ。だから、僕が精神的に苦しい時も一緒にいてくれたんですよ。彼の相手を慰めるやり方は変わってましてね。苦しんでいることを本人以上に悔しがって見せるんですよ。そうすると、こっちもあっけに取られて、どっちが慰めているのかって分からなくなるくらいなんですが、それが結構効くようで、あれが彼の精神安定剤なんでしょうね。私も助けられました」
と、福島刑事は笑っていた。
――なるほど、福島刑事のように、頭に血が上りやすいタイプでも、冷静になれる人間であれば、韮崎刑事のようなやり方は功を奏するかも知れないな。でも、皆に当て嵌まるわけではないだろうが――
と、桜井刑事は感じた。
鑑識の話では、
「死後、五時間くらいだと思うので、早朝の四時から五時の間くらいではないかと思われます。死因は、胸に刺さっているナイフだと思われます。おそらく即死ですね。ただ、これは解剖してみないと分かりませんが、睡眠薬か何かの薬が使われている可能性もあると思われます。被害者が眠ったところで刺したと考えれば、まわりに抵抗の痕がほどんどないことも分かるというものですよね」
ということであった。
「じゃあ、声も立てずに、いきなり刺されて、ショックで目をカッと見開いて断末魔のような表情になったということですか?」
「そうだと思います。眠っていても、刺されれば反射的に目を覚ましますからね」
ということであった。
「他に何か気になったものはありますか?」
と言われた鑑識官は、少し考えるようにして、
「これもハッキリといつなのかということまでは言えませんが、この男、顔を整形していますね。原型をとどめているかどうかは分かりませんが、かなり大がかりではないでしょうか?」
と言って、鑑識官は、首筋をまくった。
なるほど、そこには絞殺の痕はなかったが、そのかわり、針で縫ったような傷跡があった。まるでフランケンシュタインのような痛々しいその首筋には、死後硬直が生まれていて、顔と、首筋から下をよく見ると、傷口のあたりから、明らかな色の違いを感じさせられた。身体は死斑が出てきたり、冷たくなったように見えるのに、顔はそこまで変化がなさそうだった。そういう意味で元から生きているかのような死んだ肌を顔に張り巡らしていた証拠であろう。
「ということはどういうことになるんだ? じゃあ、この男は若松ではないということになるんでしょうか?」
と、福島刑事は鑑識官に訊ねたが、
「それは、これからの捜査になるのではないかと思いますが、彼が顔に整形を施しているのは間違いないようですね」
と鑑識官は冷静に答えた。
それを聞いて、
「よくこの死体が整形だとすぐに気付かれましたね。確かによく見ると後が見える気がするし、身体と顔との血色の違いも分かる気がするんですが、どうも鑑識官は、最初から分かっていて、これをいうべきかどうか、迷っているように思われたんですよ。分かっていたはずだったら、ハッキリとはしないまでも、報告としてはするべきことだからですね」
と桜井刑事は言った。
「ええ、おっしゃる通り、私は死体を見た瞬間に、整形を感じました。でもですね、刑事さんはご存じないかも知れませんが、変死体と思しき死体で、解剖に回された死体は結構整形を施している人は多いんですよ。でも、それは刑事さんが捜査を必要とするものではないので、いちいち刑事課に報告されることはなかったと思うんです」
と鑑識官はいうのだ。
「何ということだ。そんなに変死体が整形していることが多いということか? だったら、我々にもそのあたりの情報を教えてほしかった気がするんだけど」