因果応報の記憶喪失
と桜井刑事はいうので、
「ただ、ですね。これはハッキリとした情報ではないのですが、その主任さんが二か月くらい前に、この工場の近くにいたという話をしていた人がいたんですよ。しかも、主任さんを見たという人は一人ではなく、複数の目撃証言があったということなので、まんざら気のせいだともいえないということもありました」
と弘子が言ったが、
「それは少し興味深い情報ですね」
と桜井刑事は関心を示した。
記憶喪失のこと
「ところで、殺された社交さんとはどんな人だったんでしょう?」
と桜井刑事に訊かれて、
「そうですね。直接の上司でもないし、いつも同じ事務所にいるわけではなく、たまに巡回で来られるくらいなので、詳しくは分かりませんが、何か気が弱いところがあるという話は聞いたことがあります。逆にいえば、優しいということなんだと思いますが、二代目社長ということなので、その分のコンプレックスのようなものがあるという話を工場長から聞いたことがあります。でも、今はちゃんと会社を切り盛りしているので、その情報が今は当てはまるかどうかは分かりませんね。でも、人の性格というのはそれほど簡単に変わるものではないと言います。今本当にしっかりされているのであれば、以前にあった気が弱いというウワサも怪しいものではなかったかと思えるほどですね」
と、弘子は言った。
弘子の話を訊いていると、彼女は結構人の性格を捉えるのが上手いように聞こえる。誰か一人でもその言葉通りだと分かれば、他のことも信用してもいいのではないかと思えるほどだった。
弘子はまた少し思い出したのか、話を続けた。
「そうそう、社長さんは結構単純なところがあると言ってましたね。人の話をすぐに信用するところがあるので、そこが頼りないと言ってました。でも、これもウラを返せば一途で頑固なところがあるという意味もあり、軽いというわけでもなさそうに思えましたね。何しろ、たまにしか来ないので、詳しくは分かりませんね」
と、弘子は言った。
「この事務所はどうですか? 殺された社長さんと仲の良かった方はおられますでしょうか?」
と桜井刑事に聞かれたが。
「私が知っている限りではいないと思いますよ。工場長は社長に結構気を遣っていたのは分かっていますが。それはあくまでも、工場長として社長の視察を気にするのは当たり前のことで、私が接待の席の手配をしているんですが、他の人の、例えば営業社員の外部の人への接待よりも、工場長が社長を接待する方がワンランクもツーランクも上のところが多いですね。たまにキャバクラの領収書なんかもあったりして、一応この会社では、支店長や工場長クラスの人の接待費は他の社員よりも格段に高いんです。それは社長接待の分であることは、私は自分の仕事の前任者から伺いました。いわゆる工場長枠と呼ばれるのでしょうが、私はあまりこういうのは古臭い風習に思えて好きではないですね」
と、明らかに怪訝そうな表情で吐き捨てるように話していた。
「これは、言いにくいことを言わせてしまって申し訳ありません。あなたとしても、死んだ人のことを悪くは言いたくないけども、一言くらいは言わせてほしいというところでしょうか?」
と桜井刑事が訊いたが、
「まあ、そんなところでしょうか。私も本当に死んだ人を悪くは言いたくありませんけども、庶務の立場としてはいつも複雑な気持ちになっていたので、一種の愚痴のようなものだということですね」
と聡子は言った。
「なるほどですね。この工場は会社の中でも結構古い方なんでしょう? 吸収合併されたということですが、この工場は合併された方の会社に属していた会社なんでしょうか?」
と桜井が訊くと、
「ええ、そういうことになりますね。私は合併してからの入社なんですけど、何でも吸収された側の会社では、特許を申請している商品があって、それは時代に関係なく結構売れているものなんだそうです。その商品の姉妹品も結構売れていて、そのあたりの分野に関しては他の会社の追随を許さないという感じだったんです。そのため、社長はこの会社に目を付けたんでしょうね。いくら看板商品があるとはいえ、それだけでもっていたような会社ですから、時代が吸収合併など当たり前という時代だったこともあってか、買収し始めてから、結構早い段階で吸収合併が決まったと言います。ただ、看板商品があったというのは大きかったようで、対等合併とまではいきませんが、吸収合併というわりには、吸収された側の条件も悪くなかったようで、そういう意味ではスムーズな会社譲渡だったようですね「
と弘子は言った。
「私はずっと警察しか知らないので、吸収合併をあまりよくは知りません。でも吸収された側は大変だということをいろいろなところから聞いてますね。それが原因で事件が起こるということも少なくはないからですね」
と、桜井はいう、
「ところで工場長さんは何というお名前なんですか?」
「新谷工場長と言います。今日は出張で県外に行かれているので、警察に連絡してから警察の方が来られるまでに連絡は入れておきました。たぶん、昼過ぎくらいには帰って見えられると思います」
「会社の方で他にはどなたに連絡されました?」
「副社長に連絡しました。三浦副社長と言われるのですが、たぶん、もうすぐ来られるのではないかと思います」
と弘子は言った。
「ここの工場の社員さんたちはまだ来られていないんですか?」
と言われたので、
「いいえ、数人の人はもう来ていると思います。たぶん、事務所に入りにくいという意識があるのか、たぶん、工場の方にある詰め所のようなところにいると思います。ええ、工場の奥の方に入荷口があって、その横にちょっとした詰め所があるんですよ。昔はあちらが事務所だったと聞いたことがあります」
と弘子が言った。
「ところで、この事務所で、カギを持っているのは誰がいるんですか?」
と訊かれて、
「基本的には、私と工場長と、入荷の責任者の方の三人には、常駐用にカギを持っています。もし残業であったり、夜間作業でやむ負えず残らなければいけない社員は、前もって工場長の許可を貰って私が貸し出すことになっています。ノートに貴重して、合鍵を渡す形ですね」
と言って、合鍵を収納している、木でできた小さな、壁に備え付けの、まるで巣箱のようなケースにかかっている合鍵を見せてくれた。
「ここの右端三つが事務所の合鍵です。反対側のキーは、社用車のキーになっていて、こちらも同じようにノートに貴重して使うようになっています。車のキーはさすがにいちいち工場長の承認はいりませんけどね」
と弘子は言った。
中を見ると、三つとも合鍵は入っていた。
「末松さんのカギを見せていただけますか?」
と言って、桜井が訊くと、弘子はカバンの中からカギを出し、キーホルダーのようについている札に、工場事務所と書かれ、数字の二の文字が書かれていた。一番は工場長で、三番が入荷担当の主任なのだろう。
「入荷担当の主任さんというと、以前怪我をされてやめられた主任さんがいると言っておられましたが、その人は入荷担当の人だったんでしょうか?」
と訊かれて、