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因果応報の記憶喪失

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「じゃあ、都合よく思い出すために、普段は意識させていないということになるんでしょうか?」
 と桜井が訊くと、
「そういうことですね」
 と、博士は答える。

                露呈する計画

 博士は少しの間、してやったりの状態を楽しんでいるようだった。だが、それも終わると急に真面目な顔になり、桜井を見つめた。
「これは、彼女の口から聞いたことではないので、他言無用でお願いしたい。他人にはもちろんのことだが、本人にも言わないでほしいことなんだけどね」
 とあらたまった顔をするので、桜井はビックリして、
「どういうことでしょうか?」
 と訊くと、
「これは、本当はいけないことなのだが、しかもそれを警察の人に話すというのは大きな問題だと思うが、君に秘密が守れるかね?」
 と言われて、
「はい」
 と返事をしてしまった。
 聡子の話が事件とは関係のないことなので、とりあえずは問題ないと思って返事をしたのだが、少し後悔の念もあった。
「私は催眠療法の方も専門なので、彼女の記憶を少しでも引き出そうとして催眠療法を行ったんだ。本当は本人の意思を訊いて、承諾がなければ行ってはいけないルールなのだが、彼女の中に何かトラウマがあるとすれば、その原因を突き止めない限り、いつまで経ってもこの繰り返しだと思ったんだよ。そこで彼女の潜在意識に訴えるかのように、催眠術を掛けた。すると、最初はなかなか催眠に掛からなかったんだ。彼女の無意識の抵抗があると感じた。こうなってしまうと、私も意地になったというよりも、その抵抗の先にこそ、何か秘密があるのではないかと思い、続行した。すると、幸いなことに抵抗はすぐに収まり、一旦収まった抵抗は二度と現れなかった。そこから先はうまく催眠にかかってくれて、彼女の裏に潜む影を知ることができたんだ」
 と博士は言った。
 それを聞きながら喉がカラカラに乾きそうになった桜井は、目の前に出されたお茶を口にふん組んで潤したのだった。
「それで何かが分かったんですか?」
 と訊くと、
「ええ、分かりました。時期はたぶん彼女が大学生の頃だったんじゃないでしょうか?
 お友達とどこかに遊びに行った時のことのようですが、帰ってきてから、家に帰るまでの途中で、どうやら暴行されたようなんです。どこかの工事現場のようなところに連れ込まれて、そこで男に羽交い絞めにされる格好で、抵抗してもあまりにも不意だったのでうまく逃げられるわけはありません。結局、暴行魔の餌食になってしまったようなんですが、彼女は強い女性なんでしょうね。それを誰にも言わずに一人で抱えていました。当然、辛かったと思います。トラウマになってしまって、男性恐怖症になるのも当たり前です。彼女は男性恐怖症を嫌がったのではなく、自分がまわりに何も言わないから、言えないと思っているから、まわりは勝手なことをいう。それが辛かったようです。友達がせっかく親切で、誰か照会してあげると言われても、本人とすればとんでもないこtですよね。それを笑いながらうまく断らなければいけない。そんな自分にジレンマと嫌悪を感じていたようです」
 と、博士は言った。
 それを聞いて、桜井はまるで足元が開いて、奈落の底に叩き落されたような気がした。
 刑事である以上、今までに何人もの女性の被害者を見てきて、見るに堪えないと思ってきたはずなのに、自分の知り合いがそんな目に遭っていたということが分かってしまうと、これほど辛いことはない。
「そ、そんなことがあったんですね」
 と訊くと、
「ええ、その通りのことが彼女の中にあったんです。だから、きっと自分の中に必死にこらえていたものがあったんでしょうね」
 そこまで聞いてから、桜井はハッと感じた。
――そうだ、彼女が暴漢に襲われたというウワサを訊いたことがあったはずだ――
 というのを、今思い出した。
 この間までその思いが意識の奥にあったはずなのに、いつの間に消えてしまっていたのか、これこそ、まるで自分が記憶喪失に掛かったかのようではないか。
 記憶喪失というのは、自分が意識していないと、本当に記憶喪失だとは思うわけはない。聡子も自分の中で、記憶喪失だという意識があるのだろうか?
 あの看護師もなにかも分かっていてついているようだった。そして、聡子が何を言い出してもまったく微動だにしないほどの意識を持たなければいけないにが看護師とうものであろう。
 しかも、身体の変調というわけではなく、精神的なものであり、一番感知しにくい、一番人によって違っているものではないかと思うのだった。
 あの看護師のように、何も言わない方が聡子のためなのかと思うと、聡子が桜井のことだけを思い出したのが何か分かる気がした。
―ーどうしてこんな簡単なことが分からなかったのだろう? それだけ自分が好きだった相手に出会って、しかもその人が記憶喪失で、さらに自分だけを思い出してくれたということに勝手に感動してしまったことで気付かなかったのだろうか?
 そんな風に思うと、穴が会ったら入りたい気分にさせられてしまう。
 聡子があれだけ懐かしんだというのは、それは相手が桜井だったというわけではなく、自分を知っている人がそばにいるということがよほどうれしかったのではないだろうか。記憶を失ったと言われ、まわりはまったく知らない人ばかり、そして何となく記憶に残っている人が目の前に現れたのだから、喜んでみてどこが悪いというのだ。間違っていれば、
「ごめんなさい」
 と謝罪すればいいだけではないか。
 彼女は記憶は失っているかも知れないが、知識が消えたり、頭の回転がなくなってしまったわけではない。記憶がないという以外のことは正常なのだ。
 もし、記憶がないだけではなかったら、医者がそんな呑気なことをしていられるわけもない。記憶がないというだけだからこそ、記憶のない相手をゆっくりと覚醒させようとしているのだからである。
 だが、聡子に寄り添っている看護師は、それでも何か曰くを感じさせられた。確かに記憶喪失の患者の相手というのは難しいだろうし、必要以上に感情と剥き出しにすることは許されないだろう。
 だが、明らかに感情を押し殺した状態で接している。記憶がない以外のことは正常であるなら、彼女の普段と同じ状況で接すればいいのだ。
「あっ」
 そう想うとまた違う発想が頭をもたげた。
――彼女は今、何が本当の彼女なのだろう。普段から人と接しないような孤独な毎日を過ごしているとすれば、今と変わりないではないか。それならば、看護師の態度もどこが悪いというのか、一切問題がないかのように思えるのだ。
 ということは、きおくがあろうがなかろうが、彼女の本性は今の彼女の様子に相違ないと思うと、
――じゃあ、中学生の頃の彼女は何だったんだ?
 と思えてくる。
 ただ、その間にあった暴行事件、中には自殺を考える人だっているような陰惨な卑劣な事件である。
 それがどのような経過で解決したのかは分からない。しかし、刑事をやっていると、大体のことは想像がつく。
作品名:因果応報の記憶喪失 作家名:森本晃次