因果応報の記憶喪失
というその言葉に間違いはなかった。それなのに、時代が重なっていないということの矛盾が桜井を追い詰める。
勘違いをして覚えているというにはあまりにも矛盾しすぎている。それを想うと、都合のいいという発想が、まわりによって組み立てられているのではなく、自分の中で組み立てられているということを感じさせるからだった。
大体、記憶喪失だというのに、桜井のことを覚えていたり。その覚えていることが本人も忘れていたような鮮明なことであったり、それにも関わらず、微妙に記憶がずれていたりと、明らかに歯車が狂っている記憶にどんな信憑性があるというのだろうか。
「立派な刑事さんになったんだろうな。もっと早く会いたかったな」
という言葉を言った時の寂しそうな目、その目も確かに中学時代の彼女の目だった。いや、この目こそが桜井の知っている彼女の目であり、自分が好きになった聡子の目だというのを思い出した。
そんな自分が今どんな表情をしているというのか。
「桜井君のその目、いつも私を見てくれているその目。私好きだったんだよ。」
と言ってくれた。
「僕は今でも、君のことが好きだよ。君は今は、好きだったということなのかい?」
というと、
「ええ、そう。好きだったの。今の私はあなたを好きになっちゃいけないの」
と言ってまた寂しそうな顔になった。
その顔を見ていると、聡子にはどうやら自分にはいえない秘密があるような気がして仕方がなかった。
いや、その話も最近聞いたのか、自分で想像していたことだったと思うのに、どうして思い出せないのだろう? 自分に言い聞かせると、記憶の奥に封印してしまって、そう簡単に引き出せるものではない。
かといって、彼女に聞くのはこれほど酷なことはない。
ひょっとしたら、博士方聞いたことなのかも知れないが。恥を忍んで聞いてみるしかないと思った。
「聡子ちゃんとまた会えて嬉しいよ。きっと僕はまた聡子ちゃんと会うことができるって信じていたから会えたのかも知れないな」
というと、
「そうよ、その通りよ。私も今あなたが言った言葉と同じことを想っていたの。きっと二人の気持ちが通じあえたのよね」
と聡子は言って、その目には涙が浮かんでいるような気がした。
やっと会えたことを嬉しいと再確認したことで、感無量となった彼女は、どうやら彼といる時間はかなりの体力と神経を消耗するようで、一緒についていた看護師さんが、
「九条さん、かなりお疲れのようですが、大丈夫ですか?」
とこのままいけばどこまでも無限な時間を形成してしまいそうになっている二人をいさめるように言った。
「ああ、それっじゃ、私はそろそろ行きましょうかね。少し博士のところにも寄ってみたいし」
と言って、そそくさと病室を後にした。
博士の研究室までは少々距離もあり、病院の建物の端から端まで移動するくらいの距離だった。途中に受付があったり、待合室があったりと、さすがに大学病院。入院患者もお見舞いの人も、スタッフや関係者もかなりの人出溢れていることを、いまさらながらに感じた。
警察管内とはまったく違った雰囲気ではあるが、この臨場感は分かるような気がした。
それでも、医者や教授と言われる先生たちの研究室あたりになってくると人もほとんどおらず、患者やスタッフが行きかう通路は、所せましと思っていたが、こう誰もいないと、無駄に広いだけだと思えてくるから不思議だった。
この思いは何度も感じたはずなのに、今回はあらたまって自分に関係のある人の情報を得ようという緊張感からか、いつもと違った極度の緊張感を感じるのだった。
一番奥の部屋の扉には、
「川越教授(博士)」
と書かれたプレートが掛かっていた。
改めて、川越氏が博士であるということに気づかされたわけだが、さらに緊張感が増してくるのを感じるのはなぜだろう?
部屋の扉をノックすると、奥の方から、
「はい」
という声が聞こえてきた。
「失礼します」
と言って中に入ると、博士は自分の机で、資料に目を通していた。
――ここに入るのは何度目だろう? 不思議なことに、いつも同じことを考えるくせに、すぐに答えが出てこず、答えが出てこないから、次第に分からなくなるんだ――
と感じた。
――そうだ。最近自分が忘れることが多くなったと感じたのは、感じた時にすぐ、そのことに集中して思い出そうとしないから、曖昧な記憶の思い出し方にしかならないのではないか?
と思うようになった。
つまりは、記憶に対して甘い考えを持ってしまったことで、自分の中で戒めが起きているような気がする。それが、桜井の考え方であった。
「ほう、桜井さんは、今記憶に対して、自分が冒涜のようなことをしているんじゃないかと感じているね?」
と言われ、ビックリして、
「ええ、そうですが、どうして分かったんですか?」
と訊くと、
「君がここに来るのが何度目であるか、そして聡子さんのことが気になっていて、そして彼女の記憶が自分にだけありそうな気がすることに正直戸惑っている。しかも、中学時代の思いまで掘り起こすことになった時点で、戸惑いが意識と記憶の境目を作ることを妨げる。そうなると、意識を記憶に持って行ってしまい、意識という場所で活性化させなければいけない思いを封印することになる。だから、君は私にその理由を訊ねようとしてここにやってきた。もちろん、聡子さんのことも含めてね。だから、君は今最高に緊張しているでしょう。その緊張はすぐに顔に出るんだよ。そして、記憶いしても意識にしても、感じた時にちゃんと受け止めなかった自分が記憶を冒涜しているんじゃないかと思っているのではないかと感じたのさ」
と博士は言った。
桜井刑事はそれを聞きながら、唖然とするしかなかった。まるでポカンと口を開けたままどうしていいのか分からず、ベソを掻いているかのようである。
その様子をさぞや満足そうな顔で見つめる川越博士は、その表情に浮かんでいるのは、してやったりの気持ちなのだろうか。それは自分の考えが当たっていることへの自負なのだろうか?
そんな思いを抱いていると、
「記憶への冒涜って何なんでしょうね? どうしてなのか、最近本当に忘れっぽいんですよ。それも自分が訊いたと思っていること、自分が考えて態度に出そうとしたことが、本当に行動に移せたのかどうかが分からない。自分というものに自信がなくなってしまった証拠なのではないかと思うようになったんです」
と、桜井は言った。
「忘れっぽいというのは、きっと記憶というものを必要以上に意識してしまうからなんじゃないですか? 年を取ると記憶力が衰えてくるといいますが、そういうわけではない。その証拠に、子供の頃のことを思い出すようになると言われている。ある意味私は、そういう年齢に達したからではないかと思うんです。その人にとって、例えば中学時代を思い出すとすれば、いくつの時というように、運命のようなもので決まっているのではないかと思うんです。だから、大切な思い出というのは封印されているんです。思い出すべき時に思い出すようにですね」
といった、