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因果応報の記憶喪失

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 浅川刑事にしても、桜井刑事にしても、特に桜井刑事の方には、この事件における記憶喪失という状況が、彼自身に大いにのしかかってきているのだから、仕方のない部分もあるだろう。それを考えると、彼らが博士にこだわる気持ちも分からなくもない。まさか見えない力が二人を博士に集中させているのが問題のだろうか。
 いや、逆にこの事件がまさかとは思うが、大きな犯罪の隠れ蓑ということはないだろうか?そんなバカなことを一瞬でも考えたことに対して、松田警部補は穴があったら入りたかったくらいだ。
 そう考えてみると、まわりが変に偶然が重なったり都合のいい様子が垣間見られてはいるが、事件の様子は案外と簡単なようだった。
 今回の事件で、防犯カメラの映像が残っていたので、それを解析してみると、社長を刺し殺したのは、顔から目出し帽をかぶった男だった。まるで昔のプロレスラー「デストロイヤー」が被っていたような覆面である。殺害現場だという臨場感が溢れているはずのその場所がどこか滑稽に感じられることも、特徴的なところであった。
 身長は社長の肩くらいまでしかなかった。だからと言って、ずんぐりむっくりというわけではない。動きや体格から考えると、女性だと思う方がすっきりとしていて、今まで犯人を男性だと思っていたことが思い込みであると、感じさせられた。
 ただ、女性と思うのも思い込みであり、危険でもあった。それを突破したのは、ここぞという時の浅川刑事であった。
 だが、犯人が容易に分かるわけではなかった。
「この事件が解決する時、もう一つm何かが分かる時のような気がするんだ。そういう意味ではこの事件を見えているところだけを見ていると、結局何も見えていないことになる。かといって見えている部分もおろそかにはできない。少なくとも、今見えている部分だけが我々にとってのヒントでしかないんだからな」
 と浅川刑事は言った。
 確かにこの事件は見えている部分は狭い一か所に固まっていた。その部分だけを見ていては完全にミスリードさせられる。
 ほとんどの犯罪計画というのは、犯罪計画が大きなものとしてあり。その中でいろいろと偽装工作であったり、ミスリードするように計画されるものだが、あくまでも、それは犯人の中における。
 今のところ、会社社長の殺害ということに絞られて事件を割り出すことに集中しているが、この事件が何か他の大きな事件の一環であったり、あるいはカモフラージュであったりなどということは考えられないだろうか。
 この考えに今のところ柔軟に受け入れることができると思っているのは、桜井刑事と浅川刑事だけだった。
 どうしてなのかと言われると、二人にもハッキリとした理由が分かっていなかったが、二人の共通点として、
「K大学病院にて、記憶喪失の患者を診ている」
 ということである。
 そこには川越博士がいて、二人はそれぞれに博士と意見を言い交した。話は白熱し、どちらからというわけでもなく、盛り上がっていった。この会話の行方が事件を暗示させているような気がしたのだ。
「会話というのは、同じ意見だけではどちらかが、意見をおさらいする形で終わってしまうので、発展はないが、様々な状況の中で、それぞれに意見の違う二人が切磋琢磨しながら、会話を重ねていく。どこで、思いもしなかった発想が生まれることで、会話をしているという醍醐味を味わうことができるというものだ」
 と、浅川刑事も桜井刑事も感じていて、さらには川越博士も共有している考えであった。
――ということは、川越博士は、我々に心理的な挑戦をしてきているのではないだろうか?
 と、浅川は感じていた。
 博士の挑戦というのは、
「敵である自分の考えていることが分かるか?」
 というようなものではなく、話の中で発想がいくらでも膨らむために相手を挑発し、ひいては自分の意見も充実させようという、あくまでも自分のための作戦である。
 会話というものに力があるとすれば、それはまさしく博士の考えている考え方が裏に潜んでいるからではないだろうか。無意識に会話が膨らんでいくことを会話の醍醐味として楽しんでいる人は多いだろう。だから、人と話さなくなると、寂しいのだ。
 寂しいから誰かを求めるというのは当たり前のことで、会話がなくとも、寂しさを紛らわせることができる。
 それは身体の関係であろう。
 男と女の性行為は、そういう心の隙間を埋めるという意味でも大切なことだ。心には必ず隙間というものがあり、その隙間をピタリと受けられるのが、人間の性欲であり、それに伴う性行為である。
 そもそも性行為とは、
「お互いに足りないところを埋め合って、雄ネジと雌ネジのように、パッタリと重なって、決して外れることのない絆」
 それを求めることなのではないだろうか。
 それは太古の昔、「古事記」にも書かれていることであり。古事記では国の誕生を記しているが、代々つながる人間の数千年という歴史は、まさにここから始まっていると言ってもいい。
 だが、人間は性行為というものに、羞恥心というものを持つようになった。それは神によってもたらされたと思うようになっているが、それはきっと、人間が自分で持つということが矛盾に満ちているからであろう。
「人間というのは神が作った」
 と言われるが、神だって人間が創造したものだと言えるのではないだろうか。
 これはまるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
 という禅問答を、
「メビウスの輪」
 のような矛盾した考えに置き換えてみると、面白い考えが浮かんでくるようだ。
 だが、その考えがどういうものなのかということをハッキリと示すことはできない。なぜならあくまでもそれは人が勝手に考える、しかも限りない余地を残した発想であるだけに、一つとして同じものができあがるわけではない。
 つまりは、人の数だけ考えがあるということであろう
 さらには、それは三次元的な考えで、さらに時間という四次元の要素が絡んでくると、人類の歴史における果てしない人たちのかずだけ、考えがあることになり、その間にはいくつもの同じ考えがあると言っても過言ではにあだろう、
「人間は愚かなことは繰り返す」
 と言われているが、同じ考えが回帰すると考えれば分からなくもない。
 それを、
「輪廻転生」
 などという考えに重ね合わせると、さらに理屈としてであるが、辻褄が合うと思うのはどれだけの人間であろうか。
 その中で偶然と言われることや、デジャブや既視感などという心理的な人間の作用で、ハッキリと理屈のあ分かっていないものもたくさんある。
 逆に、人間が発展し、成長していく中で、数々の文明が作られてきたが、その文明には限りというものがある。
 その限りというのは、研究を続ければ続けるほど、その限界を味わうだけというところに落ち着いてしまうというジレンマではないだろうか。
 例えば今の世の中でいえば、ロボット開発であったり、タイムマシンである。ただ、この考えは今までにもあったことではないだろうか。それぞれの時代において、同じような限界を感じてきたはずである。
作品名:因果応報の記憶喪失 作家名:森本晃次