因果応報の記憶喪失
確かに二人が考えるやり方が刑事としては、マニュアルに沿っていると言えるのであろうが、何か引っかかるところがあれば、それを意識してしまうのも、刑事としての勘を信じるという意味で必要なことだと思っている。
まるで昭和の頃の捜査のようだが、杓子定規にすべて新しいことが正しいという考えは恐ろしいと、浅川刑事は考えていた。
「ところで、被害者の女性関係とかの裏話はないのかね?」
と松田警部補が言った。
臆病者の二代目社長、いわゆる幹部の連中から、
「お飾り」
と言われる状態なので、その存在がどこまで会社に浸透しているかは、一目瞭然であり、まるで、
「路傍の石」
のようなものではないか。
社長でなければ、その存在すら、誰にも見えることなく、意識されず、見えているのに見えない存在というレッテルを貼られ、すでに終わっていると思われるであろう、そんな性格であれば、お飾りになってしまったそのはけ口を別に求めるのも当たり前というものだ。
「今のところ、一軒のキャバクラに通っているという話は聞いたことがあります。ただ、それも幹部があてがった場所であり、贔屓の女の子というのも、どうやら幹部が裏でお金を回して接待させているという話を訊きました。もちろん、本人が死んでしまっているので、幹部としては、捜査上、そのうちに警察が彼女に行き当たると思って先手を打ったんでしょうね。ちゃんと本当のことを警察に言わなければ、彼女が疑われるわけですからね」
と別の捜査員が言った。
「その情報は、幹部からのモノなんだろうね?」
と浅川刑事の質問に、
「ええ、その通りです。キャバクラというところに勤めながら、会社から裏金を貰っているという都合上、自分からはハッキリとは言えないでしょうからね。自分が重要容疑者にでもなれば話は別でしょうが」
と彼は答えた。
「そこに、幹部の何かの思惑があるとは考えられないかね?」
と浅川刑事が訊ねたが、
「どういうことですか?」
と浅川の真意がハッキリ分からずに聞き返した。
「いえね、この事件に関係があるかどうか分からないが、会社経営のために、社長に対して、傀儡という立場になってもらうためには、幹部としても、かなりの気を遣う必要がある。まさかとは思うが、今度の犯罪にそのような傀儡に対しての、歪のようなものが根底にあれば、それが動機に結び付いてくるのではないかと思ってね。せっかくキャバクラのキャストを会社として裏で雇っている形になっているのだから、彼女を利用しない手はないという考えが幹部にあれば、どうなのかなと思ってね」
と、浅川刑事は言った。
「それは考えすぎかも知れませんよ。彼女たちは、中には同じように企業と繋がっている人もいるようで、それが他の土地との違いになるのかも知れませんが、ここではそれが横行しているふしもあるということです。これはあくまでも裏の裏と言えるウワサなんですが、そんな彼女たちを企業の戦略に巻き込むため、麻薬が使われているのではないかというウワサも聞いたことがあります。でも、まさかそこまでは考えにくいし、あまりにも信憑性の薄いところからの情報なので、却って信じられないと思っていたんですよ。でも、先ほどからの話を訊いていると、まんざらでもないような気がするんですよ」
というではないか。
「じゃあ、キャバクラなどの風俗店と、企業とがキャスト単位で結び付いているのは、公然の秘密のようなものだということですか? だから、今回の事件にその関係がどこまで関わっているかは分からないが、別に特別なことではないと言いたいわけですね?」
と浅川刑事は、念を押す感じで話をしたのだ。
「ええ、その通りです」
という話を訊いていて、桜井刑事が一つ何か閃いたのか、
「今、ふっと頭をよぎったことなのですが、第一発見者の彼女は、記憶を失う前に誰かを見ているのではないかと思ったんです。記憶を失ったというのは、何か都合がよすぎるような気がするんですよね。あくまでも、今のキャバクラの話を訊いていてどうしてそう思ったのかは分からないんですが。閃いたとでもいえばいいのか、偶然が多いこの事件ですが、どうもそれに惑わされているようにも思う。つまり都合のいいと思うことをどう解釈するかによって、事件の見え方がまったく違ってくるような気がするんです」
と桜井刑事這は言った。
都合がいいこと
この事件は、何かの力によって動かされているというのか、何か信念のようなものが感じられるというのか、それが偶然を誘発したり、都合よく見せているのかも知れないように見えた。
今までにも似たような事件がなかったわけではないが、今度の事件のように、端々で見え隠れしているような事件も珍しい、いきなり分かって、どんでん返しを食らうこともあるが、それはあくまでも結果論であった。
――誰かシナリオを描いている影のフィクサーがいるのだろうか?
と思えてくる。
その人物はもうすでにこの事件に姿を現しているのか、最後の最後に出てきて、大逆転が行われるのか、今のところ分からない。だが、ここにいる捜査陣は大なり小なり似たようなことを考えているのだろうが、一番強く感じているのは桜井刑事のようだった。
桜井刑事は、この事件に最初から首を突っ込んでいる。第一発見者の弘子とも話をしたのだが、肝心なことを聞く前に彼女は記憶を失ってしまった。ただ、この肝心なことというのは、取り調べの中で組み立てられる理論を最後に確認するという意味での肝心なことであり、途中で中断してしまうと、また最初からということになるのだった。
捜査本部の主要人物が皆黙り込んでしまったので、少し重苦しい空気になったが、今までほとんど何も言わずに聞いていた鑑識官が口を開いた。
「桜井刑事、先ほど病院から帰ってこられたようですが、川越博士とはお話をされたんですか?」
と言われた。
「ええ、第一発見者の女性が記憶喪失になってしまったので、記憶喪失についてのお話を訊いてきました」
というと、
「川越博士が記憶喪失についての自論を話したということでしょうか?」
と鑑識官が訊いてきたので、
「ええ、そうですよ」
と、この鑑識官は何をいいたいのだろうかと思いながら、曖昧な相手を探るような返事をした。
「私が知っている川越博士は、記憶喪失についての研究をする人ではなかったと思うんですがね。確かにいろいろなことを幅広く研究されている先生でしたが、私の知っている川越博士と以前話をした時に、記憶喪失というのはアンタッチャブルな分野で、『今の私には手を出すなど、おこがましいんですよね』と言っていたんですよ」
という話を訊いて、
「それはいつ頃のことなんですか?」
「ちょうど三年くらい前でしたか、K市のショッピングセンターで爆破事故があったのを覚えていらっしゃいますか?」
と訊かれて、
「ああ、覚えているよ。かなりの大きな事故だったようだけど、確か奇跡的にけが人はいたけど、死者はでなかったということだったよね。奇跡的だということで話題にはなったけど、死人がいなかったということもあってか、そこまで大きな話題になることはなかったと思ったんだけど」