因果応報の記憶喪失
「そうか。私の講義を受けてくれていたんだね。それは奇遇というものだ。しかも、もっとビックリしたのは、君が記憶喪失の女性である九条聡子さんと以前からの知り合いだったということだよ。最初に、K警察に連絡をした時、浅川刑事が来てくれたんだが、もしタイミングがずれていれば、君だったかも知れない。しかも、その君が今度は殺人事件の第一学研社としてではあるが、別の記憶喪失の女性を連れてくるというのは、どこまで偶然が重なるのかと思うと恐ろしくなるくらいだよ」
と、博士は本当に驚いているようだった。
「聡子さんのことも気になるんですが、弘子さんの方はどうなんでしょう? まだ意識が朦朧とした状態なんでしょうか?」
と桜井刑事が訊くと、
「ああ、そうだね。これは難しいところなんだけど、君も知っていると思うんだが、記憶喪失の人間が、過去のことを思い出そうとして無理をすると、頭に激痛が走るんだよ。それは結構なもののようで、人によっては、その激痛のせいで、思い出すことをやめてしまう人もいる。これは、なった人でなければ分からないと思うんだけど、一度その苦痛を味わうと、条件反射が身体に残ってしまうので、思う出そうとしても、頭痛を怖がって、何とか頭痛が来ないように思い出そうという気持ちになってしまうんだろうね。そうなると、思い出せるものも思い出せなくなってしまう。そのくせがついてしまって、一度思い出せなかったという意識が上つけられ、思い出すことをやめてしまうんだろうね。日頃から頭のいい人や、機転の利く人に多いことなのかも知れない。本当はそういう人こそ、自分のことを一番よく分かっている人であって、何とも皮肉なことではないかと思うんだ」
と、川越博士は言った。
「記憶喪失にもいろいろ種類があると思うんですが、弘子さんのような場合というのは、あまり聞いたことがありませんが、どうなんでしょうね?」
と訊かれた博士は。
「人の中には、過去の忌まわしいことを忘れ去ってしまいたいという願望があると思うんです。その一つのことに対して、本人が、今の性格であったり、今の状態であったりを、その時の延長上で起こったことだとすれば、それがなかった自分はまったく違った人生を歩んでいると思うでしょうね。ショックなことがトラウマとして残ってしまっているというのも、そのあたりに原因があると思うんですが、その思いを抱いている時に、急激なショックを受けたり、障害が起こるような場面に出くわすと。忘れてしまいたいと思う本能が沸き上がってくるんじゃないでしょうか? 本当はその時のことだけをなかったことにしたいと思っているのに、現在がその延長上にあるという意識からか、そこからすべての記憶を封印しようとするのかも知れないですね。それが彼女の記憶喪失なのかも知れません。きっと光化何かで急激に意識が委縮してしまったのではないかと私は思っています」
と博士は言った。
「じゃあ、思い出す可能性は高いんでしょうか?」
と言われて、
「何とも言えないですね。彼女の性格にもよりますが、今は記憶の奥に封印しているという感情から記憶喪失なのでしょう。だからそこを開けてやればいいだけなんですが。すべての意識を失うのは、彼女の表向きの感情ではない。無意識に行ったことなので、彼女自身が記憶を失っていることに戸惑っているはずです。そして冷静になってくるとどう感じるかというと、きっと、思い出したくないことがあるから記憶喪失になったんだと思うでしょうね。その通りなんですが、それが何なのか、それすら分かっていない。これは私が子供の頃に見た怪獣ものの特撮なんですが。ある男の意思によって、ある物体がその男の想像通りのものに化けることができるという内容なんですが、そのうちに大きな怪獣に変身させたんですが。そのまま建物を壊してしまい。その男はビルの下敷きになります。で、その男が怪獣のことを実際に忘れてしまわないと、怪獣は消えません。しかし、昏睡状態で、生死を彷徨っている状態なんです。だから、何とか医者は助けようとするんですが、何とか手術は成功し、意識が朦朧としている男に対して。怪獣のことを忘れさせて、最後はモノと姿に戻るという話なんですが。少し無理がありますよね。子供向けなので問題はないのですが。意識が戻った状態で、皆がまわりから怪獣のことを忘れろと責め立てるんです。その男が忘れたからよかったものの。本当であれば、危険な行動なんですよ。私も子供だったので、何も感じませんでしたが、大人になって見ると、何か違和感があったんです。人間の自営本能から、あんなに責めたてられると、普通なら委縮してしまいます。本当なら、一度思い出してから忘れるようにしないといけないプロセスなのに、特撮ドラマはそれをすっ飛ばしていました。人間の記憶や意識というのはそんなに簡単なものではないんです。あれが大人向けの番組だったら、視聴者の中には、何かおかしいと言ってるでしょうね。今だったら、SNSで炎上なんてことも大いにあるんじゃないでしょうか?」
と博士は言った。
博士が何を言いたいのか、ハッキリしたことは分からなかったが、桜井は、それほど悲観的に考えることはないような気がしていた。ただの勘ではあるが、一つは悲観的に考えても仕方がないという思いと、どうしても、彼女に対して自分が贔屓目になっているのではないかという思いがあるからだった。
「ただ、一つ、これは君の同僚である浅川刑事にもお話をさせていただいたことなのだがね」
と博士は少し、言いにくそうにしていたのを察して、
「ああ、そうですよ。どうして、聡子さんの記憶喪失に浅川さんが絡んでいるのかが疑問だったのですが、どういうことだったのでしょう?」
と、桜井刑事は訊いた。
「最初に、聡子さんが運ばれてきた時は、軽い精神分裂症を病んでいたので、それによる一時的な記憶喪失なのかも知れないと思っていたのですが、いろいろ調べてみると、彼女は薬物障害も患っていました。そこまでひどいものではないんですが、安価で粗悪なものですから、続けていくと、次第にひどくなってきます。記憶喪失もそのあたりから来るモノかも知れないと思う警察に一応通報しました。それでやってきたのが、浅川刑事だということですね」
と博士は言った。
「さっき、聡子さんは、明らかに私を意識して声をかけてきましたが、私は記憶喪失だと知らなかったので、何が悪いのかって思いました。でも、よく見ていると、さっきこちらに私が連れてきた末松弘子さんに症状が似ているような気がしたので、ひょっとして記憶喪失なのかも知れないとは思ったんですよね。それを思うと、何か私のまわりで、記憶喪失が多いのは、本当にただの偶然なのかって思ってしまうんですよね」
と桜井刑事がいうと、