モデル都市の殺人
春日井の行動はすでに片桐の想像を超えていた。見張っているつもりであったが、いつの間にか撒かれていたり、想像もしていなかったところにしけこんでいたりと、神出鬼没とはまさにこのことだった。
そんな中で、一人の風俗嬢と懇意になってしまった春日井だったが、それは一番恐れていたことでもあった。
「遊んでもいいけど、バレないように」
という片桐の言葉をまったく履き違えて思っていた春日井は、
「これこそ、片桐にバレでもしたら、どうなることか」
と思い、片桐に対しては、必要以上に神経をとがらせていた。
そのせいもあってか、他の誰かに気づかれていたことに気づいてもいなかった。
その人は別に知ったからと言って、春日井を脅してくるわけではない。リストラなどののっぴきならない自体の時の切り札として持っておこうと思っていた。ただ、実際に使うことはなかった。こういう脅しネタは、賞味期限が来るまでに食べてしまう必要がある。しかも、その賞味期限は、実に短いものだった。
そんな彼が風俗嬢に入れあげることになったのだが、そのことが片桐にとっての切り札にもなったのだが、片桐は中途半端な思いがあり、それが彼にとって諸刃の剣となってしまった。
片桐は目の前に見えることしか想像できなかったのだ。つまりは人間の心の中にある欲望の深さに気付かなかったのであり。
いや、気付かなかったのであろうか、それとも目を瞑ってもいいという風に思ったのか、もしそうであるとすれば、片桐のフィクサーとしては中途半端で、しょせん大きなことのできない男だとも言えるだろう。
そんな片桐の思いが迷いを生んだのだろう。もっと押さなければならないところを押し切れずに、しかもそれならば、徹底して見なければいけないところを見ることもできず放置のような形になってしまい、結果放任のようなことになり、相手に、
「ミイラ取りがミイラになった」
と思わせた。
実は問題は、春日井が増長したことではなく、彼にミイラ取りがミイラになったことを悟らせてしまったことであり、そこから王朝が始まったという一つの肝心な過程を認識していなかったのだ。
それが自分の甘さから来ているのか、どうしても自分を信用できないという思いから来ているのか自分でも分からない。その思いが今回の事件の発端になったのではないだろうか?
風俗嬢と仲良くなった春日井だが、春日井という男、兄をずっと見ていたことで、
「俺はあんなに不細工ではないので、きっとモテるはずだ」
という思いが大学の時からずっとあった。
特に工場に入ってからは、まわりの目としては、工場長の息子ということで、主任や課長はヨイショする。先輩である自分たちには何らいい思いなどできるはずがないと思わせることで、工員は少しずつ減っていった。もっとも、その方が自分に対してのイエスマンだけが残るということで、操る方としては楽だった。
一人、纏める人がいて、後は忠実なしもべのような連中が馬車馬のように働けばいいことだと思っていたことで、実際に次第に工場は春日井の思っているように変わってきた。ちなみに、纏める人というのはいうまでもなく片桐のことである。
彼はまるで口うるさい爺のような存在だった。だが、彼の中の小さなアリの巣のような隙間を垣間見ることができたことで、彼の目を盗むのは得意だった。片桐としては。
――どうして俺のことをこんなに分かるんだろう?
と、春日井の洞察力に感嘆したものだったが、どうしてどうしてそんなことではない。
春日井は、いつも不安でいたのだ。うまくいけばいくほど、
「今度はきっと悪いことが起こる」
と不安に思っていた。
しかし起こるのは悪いことではなく、彼にとっていいことだった。それがまた増長させるのだが、増長しながら、心の奥に闇が増えていくのだった。
そういう意味では、春日井と片桐には似たところがある。似た者同士が追いかけっこするのである。追われる方はどこに逃げればいいかくらい分かりそうなものだ。そして同じような人間の一方が、もう一方をよく分かったとすれば、その反対派ありえない。どちらもお互いを分かり合えるということは、もっともっと考え方の性格も近い存在でなければありえないのだった。
片桐には、ある程度まで分かってはいたが、肝心なところが分からない。その理屈は分かっているくせに、どうしてそうなってしまうのかを理解できなかった。
要するに、すべてにおいて片桐は中途半端なのだった。
逆に、好きなことに対しては中途半端はあり得ない。徹底的に突き進むタイプの春日井は、そういう意味では主従関係の主であり、お目付け役としてはいいのであるが、すべてのことに中途半端で、そこから脱却できない片桐は、従の立場を払拭することはできないのだ。
そういう意味では、典型的な主従関係だと言えるだろう。
そんな片桐の目を盗むかのように、風俗で遊びまくっていたある日、あるソープに立ち寄った時、一目惚れした女がいた。
彼女は年齢を二十歳と言っていたが、サバを読むのがあの商売。
「二十四、五かな?」
と言って笑うと、
「女に年を聴くもんじゃありませんよ」
と言って、窘めるようにニッコリと笑って、彼女はそう言った。
二度目に遭った時くらいで、すでにそんな会話をしていたかもしれない。お客として接してくれていながら、時々戒めてくれるかのようなその口調が妙に心地よい。すっかり、春日井は彼女に嵌ってしまった。
源氏名は「睦月」と言った。
「私一月生まれなのよ」
と、想像通りの回答に、まるで自分が名付けたかのような悦びを感じた。
彼女に対して性欲を感じるよりも、年下なのに、まるで姉を見ているかのような安心感が彼にはあった。
性欲を見たそうとすると、行為が終わった後に襲ってくるやるせないような罪悪感。だが、それも数回で慣れてしまった。
だが、店に寄ってから、指名した相手が現れるまでのドキドキ感が慣れることはなかった。これが風俗通いの醍醐味であり、
「どうして風俗に通ってくるの?」
と訊かれた時、
「一言でいうとすれば、癒しがほしいから」
と答えるだろう。
癒しというものを一口では説明できないし、説明するために頭の中で組み立てようとすると、話をしているうちに支離滅裂になってしまうことが分かっているので、お店に入ってきて癒されたい場合はじっとしているのが心地よいくせに、ついつい会話が弾んでしまう。この時に感じるのは、
「会話には相手があることだ」
という、実に当たり前のことであった。
この時にもう一つ感じたのは、
「自分が悪いことをしているとしても、他人が同じことをしていても、なかなか気づかない」
という思いであった。
今までの春日井がそうだったのだが、それまで風俗というものをどこか、遊び以外には見ていなかったということを自覚しながらも認めたくない自分がいたことをウスウス気付いていた。
その中でいかに自分を正当化しようかと考えていると、出会ったのが睦月だったのだ。
彼女は自分を飾ることもなければ、相手が客だからと言って、悪いことは悪いとハッキリ言える女性だった。