モデル都市の殺人
そんな頃の妻の治子の方であったが、二十代の頃はあれだけ綺麗だったのに、三十を過ぎると、急に老け込んできたように思えた。
子供を産んだあとも、それほど老け込んだり、変わったりしたわけでもなかったので、
「治子は、いつまでも美しいままなんだろうな」
と思い続けると思っていたが、どうもそっちも勘違いだったようだ。
どうして急に老け込んで見えるようになったのかも一つの疑問であったが、ある意味、自分が昔に比べてモテるのではないかと感じるようになったことで、却って奥さんに対して綺麗に見えなくなったのではないかという錯覚があったのかも知れない。
ただ、娘の遥香は、十歳になった時、すでに成熟しているのではないかと思うほどに大人びて見えていた。
ちょうどその頃から恥ずかしいということを頻繁に口にするようになって、明らかに変わってきたのが分かっていた。
春日井の道楽
春日井板金工場で見つかった川崎直哉の家族には、すぐに連絡された。娘はすでに学校に出かけた後だったので、母親に繋がった。
「K警察署の浅川というものですが、川崎治子さんでしょうか?」
と、いきなり警察と言われて、治子は気が動転した。
そういえば、昨日から夫の直哉が帰ってきていなかったが、夫が帰ってこないことはあっても、普通なら連絡をくれるはずだった。しかも、K警察署ということは、旦那の会社ともこの家とも管轄が違っている。確か春日井板金工場があるのは分かっていたが、最近は兄弟仲が冷めているように見えたので、弟のところに行っているというのも少し変な気がした。治子は頭の中が混乱していた。
治子も弟のことも嫌いだった。むしろ、弟のことを一番毛嫌いしているのは、娘の遥香で、その次が治子だった。直哉は自分の弟ということで、少しは気にしていたようだが、妻と娘が嫌っている手前、顔を見せることもしなかった。ある意味、板挟みになっているのは気の毒なことであった。
弟の春日井悟は、兄と違って軽いところがあった。何事も楽天的に、いいことばかりを考えているといえば聞こえはいいが、彼も立ち回るのが上手いところもあり、結構女性関係は激しいというウワサにはなっているが、なぜかあまり悪くは言われていない。
参謀である片桐の手腕もあるのだろうが、最近では、少しは大人しくなったとはいえ、女遊びに関しては、閉口するほどであった。
兄の直哉とは対照的と言ってもいいくらい、見た目は爽やかな感じで、第一印象から最初の人当りの良さに、女性はコロッと騙されるようで、特に大学時代のご乱行は、結構なものだったということだ。
春日井という男は、女に見境がないというところもあり、不倫や浮気に感じても、
「一体、何が悪いんだ?」
というくらいだったので、自分が付き合っている彼女が浮気をしても、自分の手前もあるからなのか、強くは言わなかった。
とは言っても、精神的にストレスがたまらないわけではない。その反動が、楽天的な性格として現れてくるのだった。
だから、大学時代には結構羽目を外していて、スワッピングや乱交パーティなども自分主催で催すことが多かった。
もちろん、性交の場ではクスリが用いられるのは、暗黙の了解で、一時期はクスリ付けになりかけていた。
だが、一度警察に捕まって、薬物取締法違反で加療が必要とされ、何とかその時は更生したのだが、一度染まってしまうと完全に抜けることはできないのか、退院、出所後もほとぼりが冷めた頃から、また始めたのだ。
川崎一家も、そんな弟に愛想を尽かしていた。春日井の父親が残してくれた工場を、このままでは弟が潰してしまうことになるのは、すでに見えているだけに、弟に分からないように、他の大手から工場の買収をしてもらえるように話を持ちかけたりしていた。
銀行にいるとそういうことは結構できるもので、裏でいろいろ画策はしてみたが、なかなかうまくはいかない。そもそもそういう調略的なことに掛けては、真面目過ぎる直哉には無理だったのだろう。
裏で手をまわして参謀である片桐を味方につけようとして、近づいた時、彼も工場の未来について、今の工場長では先が見えていることを危惧していた。しかし、だからと言って他に誰が工場長となって工場を支えていけるかということになると、その人選が難しかった。
「片桐さんなどがいいんじゃないですか?」
と直哉は言ったが、
「いやいや、私はあくまでも影で動くフィクサー的存在なんですよ。潰すことにかけては自信があっても、新しい基盤を築いて、その長となることに関しては、まったく想像もつかないほとに無理だと思っています」
と、片桐は言った。
そういう意味では片桐も、近い将来、工場長に何かあるのではないかと思っていたが、その予想はある程度間違っていなかったようだ。あれは、今から十年ほど前のことで、自分たちがそろそろ仕事の中心になる年齢に達してきた頃のことだった。
「でも、そんなことを言っていては先に進めませんよ。私としては片桐さんに腹をくくってもらいたいと思っているんですがね」
と言ってはみたが、やはり難しいようで、頑なに拒否する片桐は、彼なりに何かを考えていたのかも知れない。
ただ、今のところできることといえば、片桐にとっては、社長が失敗しないように、自分が支えていくことだと思っていたのだが、それはあくまでも、
「工場ありき」
の発想であって、春日井悟本人への気配りだったわけではない。
直哉としては、
「弟のことは任せた」
というくらいに思っていたことで、ここに二人の間に決定的な隔たりがあったのだ。
この隔たりはやがて溝になっていく。お互いに自分の思惑を中心に話をしているのだから、話が通じるわけもない。それを二人とも相手に対して。
――どうして、この人は分かってくれないんだ――
とばかりに考えていた。
それは相手が考えてくれないのではなく、自分の勝手な思い込みだったということにお互いに気づかないことで、せっかく歩み寄っているのだから、どこかでぶつかればいいものをぶつからないので、あとは離れていくばかりである。近づいたことが却ってお互いに何も気づかないという悲惨なことになってしまうのであれば、最初から信用などしなければいいのだ。相手に対して敬意を表するという状況が、二人に悲劇を思わせるのかも知れない。
お互いの利権と思惑が交差する中、春日井は増長していく。
彼が会社に大きな損害を与えることになるくらいであれば、少々の夜の街でのおいたくらいなら、大目に見てもいいというくらいなので、キャバクラや風俗で使うお金は、大目に見るという考えになっていた。
必要経費というにはあまりにもであったが、問題は誰にもバレないようにしなければいけないということであった。
下手にバレてしまうと、片桐までもが共犯になってしまい、収監されて戻ってきた時に会社はなくなっていたなどという、
「ウラシマ現象」
になっていれば、それは完全に本末転倒になっていることだろう。