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モデル都市の殺人

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 と言われた時も、顔では喜んでいたと思ったが、相手に伝わっていたかどうか疑問なほど、自分の中で子供ができたということを、それ以上に喜んでいなかったと思っている。
 それでも、時々一緒に、定期健診に行くと、自分に本当に子供ができたことが実感できた。
 産婦人科などに赴くことなどないだろうと思っていたし、他のお腹の大きんあ妊婦さんを見るのも何か複雑な気がするのではないかと思っていたが、実際に産婦人科の待合室で待っている時、悪い気はしなかった。
 産婦人科というところは、当然初産の人もたくさん来るわけで、出産という一大イベントが女性にとって嬉しいだけではないことは男の直哉にも分かっていた。
 テレビドラマなどでたまに見る出産シーン、苦しみもがくようにして赤ん坊が母体から出てくるのを見ると、女性が心細くなるのも分かるというものだ。
 産婦人科は、そんな奥さんの気持ちを少しでも和らげようと、待合室に癒しになるものをたくさん置いていた。熱帯魚の水槽であったり、大自然の映像を子巨大スクリーンで見せてみたり、産婦人科によってやり方は様々であろうが、細心の注意を払ってもてなしを受けることになるということだけは分かった。
 付き添っている男性も意外と毎回数人いたりして、奥さんに対しての気遣いは見ていて微笑ましさがあった。
 自分に果たしてそれだけの気遣いが行われているのか、自分でも自信がなかったが、産婦人科にいるだけで、自分も父親になるのだということに、実感がわいてくる気がしてくるのだ。
 もちろん、実感めいたものはあったが、それは最初に感じた思いから、膨れ上がっているというものではなく、横ばいであった。
 だが、産婦人科というところは、男の方の気持ちも高ぶらせてくれて、それまでの他人事のような気持ちではいられない作用があるようだ。
 もし、産婦人科に行かなければ、お腹が大きくなってきてから徐々に感じてくるだけで、ある程度中途半端な気分になったところで、出産を迎えるということになったのではないだろうか。
 そう思うと、奥さんが可哀そうに思えてきた。
「きっと苦しみの中で、まだ見ぬ赤ん坊と会えることを最大の楽しみにして、後は子供が生まれて、ホッとしている自分と、喜んでくれている夫の表情が癒しになるということを信じ、苦しみに耐えるんだ」
 という気持ちになっているに違いない。
 自分にとって奥さんがどれほど大切なのかということを一番思い知ったのは、この時だったかも知れない。
 新しい命の生まれる瞬間、初めて感動というものを自分で感じ、
「結婚してよかった」
 といまさらながらに感じることだろう。
 まだ生まれたばかりの子供に対して、何も感じることはなかった。それは心底感じてくるものでなければ、その思いがウソになるのではないかと思ったからだ。
 子供が生まれてきたことで、それまでの自分の人生までもがリセットできるのではないかと思えたほどだったが、それは明らかな間違いだというのは、すぐに分かった。
「子供の成長をこの奥さんと見守っていくんだ」
 と、その時は満面の笑みでそう思い、生まれてしばらくは、赤ん坊の顔を見るのが楽しみで仕方がなかった。
 夜泣きもそれなりにあった。思った以上に夜中眠れない時期もあり、思わず癇癪を起してしまったことも否めない。
 その都度奥さんは無言で一人子供をあやすために表に出たりしてくれていたが、眠ってしまった赤ん坊の顔を見ると、それまでのイライラが消えてしまうほどに癒される。
――俺にもあんな時期があったんだな――
 と感じる時期がまもなくやってくるのだが。女の子というのは、父親に懐くものだという言葉は本当のようだった。
 マンションの入り口には、必ずカギをかけておくようにしていたが、父親が帰ってきた時、カギを捻る音に娘は反応し、扉を開けた途端、娘がとびつぃいてくる。そんな毎日が楽しみで楽しみで仕方がなかった。一日の中で一番嬉しい時であった。
「遥香ちゃん、パパと仲良しでいるんですよ」
 と言っている間に、奥さんの治子が夕飯の準備をしている。
 ちなみに、この子の名前は遥香と名付けた。字は違っているが、「はる」という母親の字をつけたかったのだ。
 直哉は、母親がいう、
「パパと仲良しでいなさい」
 という言葉が嬉しかった。
「仲良くしていなさい」
 ではない、ニュアンスは一緒で、ほぼ言い回しも同じなのだが、もし、後者であったなら、この言葉をここまで好きになることはなかったと思うのだった。
 遥香は、パパといる時、いつも膝の上に乗りたがっていた。まだ乳幼児の頃は、抱っこしてもらいたかったのだろう。抱っこされて、父親の顔をじっと見ているその顔がいたたまれなくなるくらいの癒しであった。
 そのうちにだっこされるよりも、膝の上に座って父親と同じように正面を見るのが好きになったようで、まるで父親の膝がソファー替わりだった。
 後頭部しか見えないその体勢も、パパは大好きだった。後ろから身体を支えるように抱きしめてあげられるからで、この体勢は、本当はまわりから見てみたい体勢であったことは間違いないと思っている。
 遥香が直哉のことを、
「パパ」
 と呼ぶと、奥さんの治子もパパと呼ぶ。
 それも嬉しかった。今までの人生で、男としてモテたというと、治子だけだったが、これからも他の誰からも同じような思いを抱かれることはないと思っていたが、
「パパ」
 と言って、懐いてくる娘の顔を見ていると、
――この子が大きくなっても、俺のことを好きでいてくれ続けるような気がするな――
 と感じていた。
 その思いがあまりにも都合よすぎるというのであれば、
――この子が好きになる男性のタイプは、父親である俺であるんだろうな――
 とも感じていた。
 それこそ、親バカというもので、いずれそのことを思い知らされることがあるのだが、その時は、
――まだまだ、こんな人生が続いてほしい――
 と思っていた。
 いや、続くに違いないと思っていたと言っても過言ではない。実際にある程度続いていたし、小学校に上がってもその様子は変わりなかった。娘が十歳に近づいてくると、自分も三十代後半になってきた。会社では、若い子からは、中年くらいのイメージで見られていたことだろう。
 若い頃は野獣とまで言われた直哉だったが。三十代も後半に差し掛かってくると、却って落ち着いて見えてくるようで、それまでモテたこともなかった自分に、二十代の女子社員たちが何かを意識しているというのを感じてきた。
 それまでは、上司の目、部下の目という程度の意識しかなかった。だが、そこに女性の目というものを感じてくると、それまでのまわりからの目が、あまり強い視線ではなかったということに気づかされた。
 女性としての目は、いくつになっても、厚いものであり、意識をしっかり反映させているものだということに気づかせてくれた。
「俺って、年を取るごとに、いい男になってきているのかな?」
 と思いながらも、
「勘違いだったら、恥ずかしいな」
 という思いを抱いたのも間違いではない。
作品名:モデル都市の殺人 作家名:森本晃次