モデル都市の殺人
ただ、奥さんの方も、父親の会社に入れると思っていたのが、いきなり銀行に出向などと彼の気持ちを思うと、どこか後ろめたさがあり、お金も与えていた。彼が絶妙にいまく立ち回ったことで、バレずに済んだのだが、奥さんは、ウスウス気付いていたもかも知れない。
旦那が情けないので、奥さんはしっかり者となった。名前は川崎治子。学生時代から真面目を絵に描いたような女性で、恋愛もしたことのないくらいだったが、彼女の男性の好みというのが、少し変わっていた。
見た目は冴えない直哉のことを好きになった。彼女が男性を好きになるのは。自分の性格に合う人を自分なりに想像して、そのイメージに嵌った男性を好きになる。つまり、好きになった男性がいるわけではなく、イメージに合う人を好きになるのだった。
そういう意味では見た目もだらしなく冴えない直哉だったが、そんな直哉を治子が好きになったとまわりが訊いた時、
「お嬢さんの気まぐれかしらね」
と言って笑っていた友達も、まさか結婚するまで行くとは思ってもいなかったので、彼女に親しい人ほど、この結婚を意外に思っていたようだ。
見た目のだらしなさを、直哉は意識していなかった。そもそも身だしなみなどに興味もなく、
「だらしなくて何が悪い」
と開き直るのが正しいと自分で思っているくらいだった。
そういう意味では変わり者同士、お似合いだったのかも知れない。
ただ、直哉を知っている人は、
「お嬢様がコロッと騙されちゃったか」
と、彼の要領の良さだけで、逆玉に乗ったということで、しばらくは友達でいることで、おこぼれに預かろうとしていた友人もいたようだ。
こんな男にお金を与えると、まさに猫に小判のようなもので、何に使うか、誰にも分からなかった。学生時代にはそんなに女の子に興味がある方ではなく、どちらかというとヲタクに近い方だった。
女の子への興味は、マンガに出てくるような二次元ばかりで、普段から人と話をするよりもパソコン相手が多かったというまったくのインドア派だったのだ。
そんなやつが逆玉に乗るだなんて。誰が想像したことだろう。
「世の中蓼食う虫も好き好きなんていう言葉もあるが、世の中の珍事を垣間見たようで、世の中不公平にできていることを思えば、俺にもチャンスがあるかも知れないな」
などと言っている連中といつも一緒にいた時点で、自分だけではなく、仲間も大したことがないのは分かり切っていたのだった。
それでも、一人前に結婚したことで、
「少しは、しっかりするんじゃないか?」
とまわりは思ったようだが、そう簡単なものではないことを、しっかりと本人が証明してくれたのだった。
「美女と野獣」
という映画が昔あったが、まさに表現上、見た目ともに、その通りではないかと思えていた。
どちらが最初に好きになったのかということはハッキリとは分かっていないが、交際中に積極的だったのは、治子の方だった。むしろ直哉の方は戸惑っていただろう。最初こそ、信じられないと思うような状況に、
「夢を見ているようだ。もし夢なら覚めないでくれ」
という思いでいたことであろう。
それなのに、実際付き合ってみると、相手がぐいぐい押してくる。世間とすれば二人に対して偏見を持った目で言いたい放題であったが。逆にそれがまわりの、
「負け犬の遠吠え」
のように聞こえ、それが自尊心をくすぐり、心地よかった。
今までは自分が負け犬だったということを、改めて思い知らされると、自分にも自尊心があるということが分かって、嬉しいくらいだった。
普通自尊心というとあまりいい意味では言われない。自尊心を傷つけられると、その後の感情的になった行動が、それまで築いてきた自分の地位を根底から覆すかのようになってしまう懸念があったからだ。
そんな中まわりから自分に対して向けられる汚い言葉や、本音とも思える吐き捨てるような言葉を嫉妬だと理解するまでに少し時間が掛かった。
それまでの自分は人に嫉妬することがないほど、容姿には自信が持てず、
「嫉妬をしてはいけない人間」
として、自分を感じていたのだった。
小学生のころは愚か、中学時代、、高校時代とモテるなどという言葉とは縁遠かった自分が、まさか、工場長の令嬢と婚約迄こぎつけるなど思ってもみなかった。
K市における、工場長という立場は、社長と同レベルである。最初は、工場長という話だけだったので、K市というものの実情を知らなかった直哉は、少なくとも彼女の金が目当てではなかったことは確かだった。
それから少しして、K市だけにとどまららず、他の市に会社を設立し、そこから、工場への流れを作ることで、スムーズな経営ができるようになった。社長も兼任することで、名実ともに社長令嬢となった治子だったが、養子に来てくれる婿を探してきたことに対して一応の評価を与えたことで、二人の間の結婚に障害はなくなった。
ただ、前述のように、出向という憂き目に遭ってしまったことは少しショックだったかも知れないが、変な責任があるわけでもなく、プレッシャーがないだけに、却って気が楽だとも言えるだろう。
引っ込み思案なところは、彼にとtって一長一短だった。
基本的に引っ込み思案というのは、暗い性格であり、あまりいいイメージで摂られないが、従順であることは上司にとっては使い勝手がよく、余計なことを言わない。そういう意味で部下としてはありがたかった。
結婚してから係長に就任し、課長クラスまではとんとん拍子だったが、そこから先はなかなか昇進というわけにはいかなかった。それは性格が災いしているというのもあったのだが、
「これ以上、出世を急いではいけない」
という、義父の裏からの圧力があったようだ。
性格的には変わっていないので、甘んじてその時々での役職を無難にこなしていたが、そんな彼を、治子は嫁の立場から、何かを口だそうという気にはならなかった。二人の関係は、終始そういう関係だった。
結婚してから、すぐに女の子を授かった。二人はともに二十四歳になっていて、ひょっとするとこの頃が一番自分が輝いていた時期だったかも知れないと、直哉は感じていた。
いつも何かを考えていても、すぐに我に返ってから思い出そうとすると、思い出せないという人生をずっと送ってきたが、その時だけは、考えていることの結論がしっかりと会ったように思えた。ただ、そんな時期を通り越してしまうと、そんな時期があったということさえ思い出せないほどに自分が情けなくなっていたのだ。
生まれた娘を見た時、
「目の中に入れても痛くない」
という言葉があるが、まさにその通りだった。
それまで、子供というものはうるさいだけで、実際には嫌いだった。イライラさせる存在なだけだと思っていたこともあって、乳幼児の、
「子供に時間は関係ない」
と言われるように、深夜であろうと、泣きわめく状態で、果たして会社の仕事をこなすことができるのかということを考えると、怖くなってきた。
子供を本当に欲しかったのかどうかと言われると、正直分からない。奥さんから、
「赤ちゃんができた」